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『ヘーゲル』意訳
はじめに
「カント」意訳に続き、「ヘーゲル」意訳を公開する。
清沢が「純正哲学」を講義したのは二十六歳の時であった。また西洋哲学史講義は二十七歳から始まり、三十二歳まで続けられた。
「へーゲル」はこの中でも最後の部分に属するので、講義の時期は三十一、二歳の頃と思われる。
この「純正哲学」から「ヘーゲル」に至る約五年間、清沢はロッツェやヘーゲルの著作を解釈・講義するという形式を通して、
一つの問題を掘り下げて探究していったと思われる。
その一つの問題とは、存在論──「ある」ということはどういうことか──を明らかにする、ということである。
我々は言葉を発しようとするとき、この行為を内省的に捉えていくと、最終的に(=内省を経ての最初的に、あるいは根源的に)
この問題に撞着する。
清沢においては、この問題が「純正哲学」では概括的に捉えられていたが、「ヘーゲル」に至って精緻なレベルに高められた
ということができると思う。そして「ヘーゲル」に至って、清沢は「あるということはどういうことか」の、ほぼ完璧な答えを得る。
それは清沢が「第一原理」と名付けたものである。清沢のヘーゲル講義は、この第一原理が基礎となって全哲学が展開する、
というものである。しかし、面白いことにヘーゲル原文(第一部「論理学」)では第一原理という言葉は出てこない。
したがって「第一原理」は清沢が読み取ったヘーゲル哲学の核心に、清沢自身が付けた名称であろうと思われる。
しかし、清沢はこのように哲学の核心に迫りながら、おそらく、なお、満足することはできなかった。なぜなら、清沢自身にとっては、
ヘーゲルが想像もできなかった仏教文化圏に生まれ育ったという事実があるからである。
清沢の中では西洋の哲学・キリスト教への理解があると共に、仏教への理解も確固として根付いている。
そして清沢は西洋哲学の精華とも言うべき存在論を手に入れた。
それではこの存在論と仏教をいかに統合するべきだろうか。この問題が清沢にとって不可避のものとして、立ち現れてきたのだろう。
なぜなら、西洋哲学の存在論も仏教も清沢にとっては自分の一部なのである。それらをバラバラなままで放っておくわけにはいかない。
これが動機の一つとなり『宗教哲学骸骨』(三十歳)が書かれ、「宗教哲学骸骨講義」(三十〜三十一歳)が為されたのだろう。
2009年11月5日 星 研良