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『ヘーゲル』意訳


批評

 ヘーゲルはカントの観念論(唯心)の半分だけを見て、半分は捨てた。あるいはヘーゲルは当時の経験論的研究法に反対した、 と言われている。またヘーゲルの哲学では、近代の学問的研究成果を解釈できないところがあるという批判もある。
 これらの批判は何れもヘーゲル哲学を否定する根拠にはならない。なぜなら、 ヘーゲルにはカントの哲学のあと半分を取らなければならないという義務は無い。経験論に従わなければならないという責任も無い。 またヘーゲル哲学でカバーできる範囲の外の事実〔おそらくヘーゲル以後の学問的進化を指すのであろう。 ヘーゲル原文にはヨーロッパ文明・人種優先の差別的言辞や、宗教というと事実上キリスト教しか眼中に無いことなど、 現代からみると問題な部分が多々ある。この点については現代から約百年前の清沢の歴史観・世界観が我々と異なっているように、 清沢から五十年以上前のヘーゲルの時代の歴史観・世界観によってヘーゲル自身が制約を受けざるを得ない面がある。 それを清沢は認めていると思う。〕を持ってきたところで、事実の方に誤りがあるのかもしれない。 従ってこのような批判には意味がない。
 このような話題はさておき、ここではヘーゲル哲学自身に不都合があれば、それを指摘しなければならない。

 ヘーゲル哲学において、次の問題がある。
はじめに出てくる存在(純有)と弁証法(三段法)は同じものであるのか、別々であるのか。
 もし別々にあるとするなら、どちらが最初になるべきか。どちらが最初になっても、そのとき一方が他方に及ぼす関係とは、 どのような法に従うのか。
 またもし存在と弁証法が同じものであるとすれば、その一つのものよりどのようにして多〔=ヘーゲル全哲学〕が開発してくるのか。

 このように考えてくると、なお不十分なところがあるようにも思える。
 存在と弁証法が一であるとするなら、どのようにして一から多が生ずるのか。有から無になることは必然であるから、 無から有になることもまた必然である。この有無〔という矛盾するもの〕が総合して転〔生成〕ずるとはどういうことか。
 弁証法が別にあるとすれば、存在と二つになる。存在と弁証法が並ぶことになり、弁証法から存在への移り行きが分らない。 また、二つあるということは相対ということになり、絶対哲学ではなくなる。絶対哲学であれば、どちらかが最初でなければならない。 それはどちらか。
 このような批判である。

 そうしてこのように考えてくるとシェリングの両極論法、あるいは通常のアリストテレス流の形式論法の方が かえって正確なようにも思えてしまう。
 しかし、ヘーゲルの論法のすぐれたところは、反対が同一である(あるいは同一が反対である、と言ってもよい) というところにある。
 すなわち、有・無、相反対してあるものが、生成(転化)という考え方で見れば同一である。これを換言すると次のようになる。
 どのようなものでも、同異という二つの側面がある。すなわち宇宙間のものは、一方より見れば彼と此とが反面的に関係している。 すなわち相反対している。しかし、もう一方より見れば、彼と此とは正面的に関係している。すなわち同一である。
 このような考え方を〔西洋哲学の中では〕大いに明らかにした、というところにヘーゲルの論法の優れている点がある。 よって初め〔唯一の太初、一元〕から二つ以上ある。〔ここで二つと言わず「二つ以上」と言っているのは意味があるように思う。 二つと言ってしまって、存在と弁証法のみを指し、そこから直線的に多が生成され、全存在ができるということではないからである。 すなわち、上記のような批判の、その仕方に問題がある、ということを含んで「以上」という言葉を付け加えているのではないか。〕
 平等と差別と二つある。すなわち正面と反面がある。初めから二つ以上ある、それがまた一つである、という。
 一が初めから一ではない。一の上に多がある、多のところに一がある、すなわち、不一不異と言うべきである。 この考えが厳としてある。一にして多、多にして一と言う。これだけは動かない。
 森羅万象と思えば万象であり、真如と思えば真如であり、全存在(万法)とすれば全存在となる。 これがヘーゲル哲学のすぐれたところである。
〔最後のシュライアーマッハ―への言及は省略。〕

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『ヘーゲル』意訳

更新情報・使用法・凡例
はじめに
-----意訳開始-----
緒論

第一章 エンチクロペディー 第一部 論理学(論法)

第二章 エンチクロペディー 第二部 自然哲学(万有哲学)

第三章 エンチクロペディー 第三部 精神哲学

批評

-----意訳終了-----

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