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第27回無限洞
日時 2009年7月27日(月)14:00 〜 28日(火)13:00
場所 仙台市・泉ヶ岳温泉「やまぼうし」
参加者
講師:末木 文美士(国際日本文化研究センター研究部教授)。
信楽 秀道、信楽 俊子、信楽 隆浩、多田 俊宏、関口 真爾、小野 和徳、武藤 淳之、星 研良、和田 光雄、膝舘 泰麿、阿部 章真。
オブザーバー:佐藤 弘夫(東北大学大学院文学研究科教授)、オリオン クラウタウ(東北大学大学院文学研究科博士課程 28日のみ)
事前配布資料
1.日本の哲学を考える1(講義用レジュメ)
T日本の哲学の形成と問題
U『善の研究』を読み直す
2.日本発の哲学──その可能性をめぐって(未来社『いま、哲学とはなにか』の「がんばれ哲学!(がんばれるかな?)」を敷衍したもの。)
3.純粋経験からの出発──西田幾多郎(トランスビュー『明治思想家論』の第十二章。)
日本近代の仏教、哲学及び一般的思想を検討する一回目。
27日
14:00〜18:00 講義・座談
19:00 夕食、懇親会。
講義 日本において「哲学」という語が現れ定着していく時代状況を概観した。時代としては明治当初から
昭和初期まで。哲学が「学問の王」として導入されながら、それがアカデミズムの中で単なる一分野に局限されてしまった。
またアカデミズムの哲学は体制擁護の手段に堕していった。
その中で西田の哲学はアカデミズムの流れの外に位置し、明治の国家体制中心の思想から、大正の個人中心の思想に転換する
要因の一つとなった。
座談
- オブザーバーの佐藤氏が所属する東北大学の日本思想史の講座の由来。
- 西田の分りにくい独特の文章表現について、それが何故そうなったのか。
- 西田は宗教を統一的に捉えようとしていた。
- 今村の西田批判─神も仏も一緒にしてしまっているではないか(無限洞4号) ─について。
- 末木氏の図式についての様々な検討。そこから末木氏の目指すところが示される。
28日
9:00〜12:00 講義・座談
12:00 昼食
13:00 解散
講義 西田哲学を受け入れる階層としての、旧制高校の教養主義文化の説明。
『善の研究』の純粋経験が、国家体制を指向する思想からの解放と個人を主体とする思想の萌芽をもたらしたが、限界もあった。
しかし純粋経験は後の成熟した西田哲学の中核となる思想を既に内包していた。それはヨーロッパの伝統的哲学の思考方法が
もたらす限界を超える要素を持っていたことで注目に値する。
座談
- 「場所的論理と宗教的世界観」でのある文章が戦争肯定と取り得る表現のため、これを巡って色々議論。
- 西田の宗教の捉え方、宗教と歴史との関係について。
- 末木氏の図に、西田も含めた日本の哲学者の説をどう援用するかの説明。その中で西田哲学のカバーする領域が かなり広いということと、末木氏の目指す体系の構想が段々と明らかになる。
- 一神教、多神教での神のレベルの違いについて。また神と仏の違いは案外はっきりせず、そこでの対立的な議論が ある場合は、それぞれの宗教宗派のドグマ的な対立が根にある場合が多いことがはっきりしてきた。
- 仏教の守備範囲の限界がかなり冷徹に示された。
全体を通して、末木先生の構想とスケールが明らかになってきた。
また28日の昼食時の雑談の中で、ブラジルからの留学生であるクラウタウ氏にブラジル宗教界の儀式事情、経済事情を聞いたが
これが面白かった。
2009/08/07