真宗大谷派 西照寺

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今村仁司記念シンポジウムに参加して


東京経済大学・学術フォーラム
「現代における社会と文化の理論を求めて」
─今村仁司記念シンポジウム─
日時:2007年10月27日(土) 13:00〜17:30
場所:東京経済大学 2号館B301番教室

 この催しに仙台から日帰りで参加したので印象を記す。 無限洞の他のメンバーは都合が付かず、私一人の参加となる。
 台風接近の雨の中、8:30過ぎの新幹線で仙台発。東京に着いて中央線に乗り換え、 国分寺駅に11:30頃到着。駅に隣接する建物の食堂で昼食を済ませ、東京経済大学 に向かう。大学に着き受付にてプログラムと講演者のレジュメ、「今村仁司著作・ 論文等目録」を受け取る。桜井哲夫氏のご尽力によって作られたこの目録は今村 先生の著述全般が網羅されている。
 会場の教室に12:40分頃入る。大教室内の着席者はまだまばら だったが、その後どんどん人が入ってきて八割方の席が埋まった。後の主催者発表に よると250人以上の参加があったという。
予定通り始まる。以下プログラムに沿って私の感想を述べる。 あくまで私の印象による記述である。発言も本人が喋った語句の逐一の記述ではないので注意されたい。
※講師のプロフィールはプログラムから引用させて頂いた。

司会は東京経済大学教授の三島憲一氏と長岡克行氏。

画像 三島憲一氏(右)、
長岡克行氏(左)。

はじめに東京経済大学学長の村上勝彦氏が挨拶に立たれる。

画像 村上勝彦氏。

ご自身が今村先生の誘いでこの大学に就職したこと(「暴力的に」引っ張られてと 表現され笑いが起こった。)、その時の逸話などを 語られた。また 1970年代半ば、研究の為にフランスに発たれる今村先生を空港に見送りに行った時に 見た姿が、荷物を両肩にたすき掛けにぶら下げ、まるで出征する兵士のようだった という話も笑いを誘ったが、印象的だった。若き今村さんが研究に真正面から 立ち向かわれた姿が髣髴された。

次から講演に入る。 講演者は5名で一人の持ち時間は40分(講演30分、質疑10分)。

最初は野家啓一氏(東北大学副学長・文学研究科教授)。
演題:今村社会哲学の射程

画像 野家啓一(のえ けいいち)氏。
東北大学副学長・文学研究科教授
主著:『増補・科学の解釈学』(ちくま学芸文庫、2007)、『物語の哲学(増 補新版)』(岩波現代文庫、2005)、『クーンーパラダイム』(講談社、1998)、 ほか多数。
科学哲学・分析哲学から出発し、ウィトゲンシュタインに造詣が深い。さら には現象学、科学論、歴史の物語り論などにおいても新境地を開拓してきた。 哲学における数少ないオールラウンドプレーヤー。

『社会性の哲学』第一部を中心に人間存在論が主なテーマとして語られた。 そして書かれなかった第三部「覚醒倫理」への期待を述べられた。 また野家氏は第一部では「理性」という語が一ヶ所しか出てこない、さらに「実存」 という言葉をあえて使っていると指摘されたが、さすがにプロはこういう点に 鋭く反応するのかと感心した。
私は今村先生が事実上覚醒に到達されたと思っている(いきなりこんな書き方を して唐突だが)。そうでなければ「覚醒倫理」の構想は出てこない。 3月初旬にお会いした時、この『社会性の哲学』の原稿の話になり「全部書いたよ」 と言われた。本が出てみて「全部」とはこれまでのお仕事の集大成と解った。 2月、3月に遣り取りしたメールの内容を今読み返してみると、 今村先生は「覚醒倫理」の執筆にあと半年〜一年程度の期間を見ていたのではなかったか と思われる。

2番目は子安宣邦氏(大阪大学名誉教授)。
演題:今村仁司における「清沢問題」

画像 子安宣邦(こやす のぶくに)氏。
大阪大学名誉教授
主著:『国家と祭祀一国家神道の現在』(青土社、2004)、『宣長学講義』 (岩波書店、2006)、『日本ナショナリズムの解読』(白澤社、2007)、ほ か多数。
本居宣長、伊藤仁斎の研究をはじめとして、日本近世・近代思想研究の第一 人者。特に東アジアの研究者との連携の下に、東アジアのなかでの日本近代 思想の再検証に務める指導的存在。

『清沢満之と哲学』での清沢の引用の仕方を問題にされた。
要するに牽強付会的に「今村哲学」に清沢の文章を組み込んでいるのではないか、と いうことだった。そうしてそれは今村思想の展開にとっては至極当然の事と 認めるが引用の仕方としては問題がある、近代思想史家の立場の自分としては そこが納得できない。
『清沢満之と哲学』の草稿が具体化される現場にいた私としてはこの指摘には 素直には頷けない。 が、そういうことが問題になるということの重要性を認識させられた。
また近代思想史には「親鸞問題」「親鸞の信の問題」があると言われた。 これは近代知識人が、親鸞を読み込んでいってそれぞれの「信」に到達するパターンの 類似性に注目された言及である。このパターンは親鸞問題に限らず小林秀雄が本居宣長 を読み込んでいくパターンとも一致する。そして親鸞自身にも一致し、その究極として 神典、仏典があるというものだった。私にとってはこの見方は新鮮で面白かった。 ただし親鸞に対する言及には賛成しかねる部分があるが。 子安氏のレジュメは何回か読み返していると、微妙なしかし重要な示唆が含まれている ことが見えてきた。 これらは私には今後注意していくべき課題になった。

3番目は塚原史氏(早稲田大学法学部教授)。
演題:暴力論の系譜─今村仁司とジョルジュ・ソレル

画像 塚原史(つかはら ふみ)氏。
早稲田大学法学部教授
主著:『記号と反抗』(人文書院、1998)、『ダダ・シュルレアリスムの時代』(ち くま学芸文庫、2003)、『ボードリヤールという生き方』(NTT出版、2005)、 ほか多数。
専攻は、ダダイズム(特にトリスタン・ツァラ)およびシュルレアリスム研究。 またボードリヤール、ブルデューなどの邦訳、研究を手がかりに、アート、 写真、映画などを含む20世紀文化論に詳しい。

塚原氏は9月に出た岩波文庫のソレル著『暴力論』の今村さんとの共訳者であると 自己紹介された。講演はレジュメを通読する形で進められた。 内容は私にとっては事実上初めてのものだったので、興味をそそられた。
強制力(force)と暴力(violence)の意味の区別と歴史的経過での混同、取り違えや 「暴力」の解釈に多義性があることなど。これらの違いは単に抽象的な思弁の世界の 話ではなく、もろに現実世界の暴力の解釈や発現に関わってくる、という切実な印象を 受けた。早速『暴力論』を買わねば。


ここで約10分の休憩。

4番目は田辺繁治氏(大谷大学教授・国立民俗学博物館名誉教授)。
演題:今村「時間論」と生社会コミュニティ

画像 田辺繁治(たなべ しげはる)氏。
大谷大学文学部教授(国立民族学博物館名誉教授)
主著:『生き方の人類学』(講談社、2003)、Ecology and Practical Technology: Peasant Farming Systems in Thailand (White Lotus、1994)、『黄衣と黒衣一北タイにおける 農民指導者の物語』(Chulalongkon University Press、 2004/1986〔タイ語〕)、ほか多数。
東南アジア、特にタイの農耕儀礼から、霊媒、仏教、貧困とエイズの問題まで多様 な領域を論じる。遠い国の他者ばかりでなく、日常生活が異文化とのたえざる接触になった 現在の知のありようを考える人類学の最先端の研究者。

田辺氏は最近の今村著作から、これまでの否定的弁証法の論理から肯定的弁証法に 転換する予感を受けたという。これも「覚醒倫理」への期待の現われであろう。
田辺氏は生きる人間にとっての時間概念を問題にされた。
近代の過去→現在→未来という直線的な発展的時間概念を克服する概念を 今村『ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読』の引用(p.182)として 「未来は過去を媒介にして現在に到来する。(過去→未来→現在)という時間性」 に言及されている。
これは改めて指摘されてみると仏教経典の時間表現と同一である。 (例えば無量寿経の「去・来・現の仏、仏と仏と相念す」。この異訳の無量寿経如来会でも 「去・来・現在の諸仏を思惟したまう」。)この本を書かれた時、今村先生は既に 仏教に相当詳しくなられていたはずなので、頭の中で連絡はあったのだろうか。 もう一度、この本を読み直してみなければと思う。

5番目は桜井哲夫氏(東京経済大学コミュニケーション学部教授)。
演題:今村「労働論」の今日的意味

画像 桜井哲夫(さくらい てつお)氏。
東京経済大学コミュニケーション学部教授
主著:『「近代」の意味』(日本放送出版協会、1984)、『フーコー ─ 知と権力』(講談社、1996)、『占領 下パリの思想家たち』(平凡社、2007)、ほか多数。
アルチュセールのイデオロギー論をもとに第一次世界大戦時の挙国一致現象を分析した修士論文以後、 20世紀フランスの思想家たちの思想を歴史的現実とからませて論じてきた。また社会学者として日 本の若者文化や映像文化、ネットワーク文化にも詳しい。

桜井氏は本題に入る前に今村先生との出会いを語られた。
東京大学大学院時代、パリに留学中に自分の論文を持って今村先生のアパートに押し かけたこと、日本に戻り広島大学の助手をしていた頃、今村先生が東京経済大学にポ ストを作り桜井氏を呼び寄せてくれたこと等。語っているうちに熱いものがこみ上げ てきたのだろう、しばらく絶句された。
本題の労働論であるが、今村さんの書かれた労働論の変遷を追い、書かれたであろう あるべき労働の姿と意味を探るという内容だった。それは『仕事』の最後の文章が示 唆する「労働と芸術が等しいものになる」希望であり「遊戯性と結合した労働」の可 能性である。
このレジュメを今読みながら、ふと『社会性の哲学』ではどのあたりに対応するだろ うかと考え探してみた。第一部第三章二の「定常状態」あたりの記述(p.220)に相当 するのだろうか。抽象度の高い表現で「形式の制作」が「遊戯的」に行なわれるとあ る。そうして、これまた仏教の作用概念である菩薩の園林遊戯地門(=還相の回向) とが今村先生の頭の中ではどんな連絡があったのだろうか。

以上、各講演者のレジュメを見ながら現場を思い出しコメントを作成したが、問題意 識を持つ人にとってはレジュメを読むだけでも多々示唆を受けるものがあると思う。 興味のある方は次に問い合わせされると良いかもしれない。

東京経済大学・研究課 E-mail:kyomu@tku.ac.jp Tel:042-328-7959 Fax:042-328-7772
なお「今村仁司著作・論文等目録」は2008年2月末発行予定 『東京経済大学会誌(経済学)』257号(今村仁司教授追悼号)に掲載予定とのこと。 

引き続き総合討論に入る。

画像


興味を引いた質疑だけメモしたのでそれを列挙する。

子安:質問される前に言っておく。講演ではネガティブに取られる今村論をあえて 行なった。それは不毛と取られようと挙げないわけにはいかない問題だったからで ある。しかし、本来のポジティブな今村論がこの後に続くべきであることは十分承知 している。それは今村式往相還相論となるべきものだろう。
Q 今村はサルトルをどのように捉えていたのか。
A
塚原:サルトル及び吉本隆明に対しては「反権力の権威」に収まっている者 という見方をし、距離を置いていた。
桜井:サルトルは自己欺瞞だけだ、と言っていた。
Q 今村はホワイトヘッドに好意的に言及しているが、それについてどうか。
A
桜井:ホワイトヘッドの世界観に通ずるものは、今村「親鸞論」が発行さ れればかなり明らかになるのではないか。この親鸞論は既に本にできる原稿がある出 版社に渡っている。革新的な内容で早期の出版を期待している。

 プログラム終了後、18:00過ぎから別の建物での懇親会となる。
 寿司とオードブルの立食式。参加者は100人位だろうか。 司会の三島氏が「今村さんは葬式無用、偲ぶ会、追悼会など更に無用と言ったはずで あると確信しているが、亡くなった今村さんを縁としてここに集まっている以上、先 ず献杯をしなければなりません。」という意味のことを言われ、献杯の音頭取りに 学長の村上氏が指名され前に出られる。そして回りの人々も当然の如くそれに応じ 各自グラスに飲み物を注ぎ準備をはじめる。
私はこの光景をおや おやと思いながら眺めていた。献ずるとは何に?と私の天邪鬼根性が頭をもたげる。 ここに出席されているような 人々でも、日常生活で死者儀礼を敬遠している雰囲気に染まっているのだろうなと思う。 そして、このような場合の身体動作の持って行き場を見失って(おそらく葬儀屋発祥の) 習俗儀礼「献杯」に迎合してしまうのだろうか。
こういう点に関しては死者儀礼を執行する立場にある私のような坊主分は、身体動 作と意味付けについて実践的に対処しなければならない現場にいる のでどうしても過敏に反応してしまう。
「献杯」の音頭に、私は「頂きます」と応じグラスを空けた。

 その後は、皆自由に歓談となる。
我々無限洞は今村先生お一人との交流で十三年間を過ごしてきたが、アカデミ ズムの世界とは無縁な人間の集まりである。 そういう人間が一人でこのような場に参加してしまうと、話す相手ときっかけがなか なか掴めず手持ち無沙汰になってしまう。
 とにかく電子メールで遣り取りのあった長岡氏と桜井氏には挨拶をしておこうと 腹ごなしをしながら目で探す。
 はじめに長岡氏を見つけて挨拶する。無限洞の説明や会報出版の実情などの話を するうちに、今村夫人が出席されていることを伺う。是非紹介して欲しいとお願 いし引き会わせて頂く。今村夫人とは今村先生が亡くなった後、手紙の遣り取り があったが、お会いするのはもちろん初めてである。今村先生の4月以降のご病気 の様子などを伺う。
 次に桜井氏を探し挨拶する。我々の手元にある今村先生の論文で未公表のもの がまだ結構ある。それを次の会報にまとめたい意向と、出版社 に渡っている親鸞論との兼ね合いを相談すると、それは奥様に確認を取れば良い だろうと助言を受ける。
 そこで再度今村夫人に事情を話し細かい点を確認した。 奥様は入れ替わり立ち代り挨拶に来る人々(私も含めて)への応対で休まれる間は 無かったのではなかろうか。
私自身はこの場でやるべきことはとりあえず済んだ。時計を見ると19:00を過ぎている。 帰りの列車の時刻があるので、閉会を待たずに会場を後にする。
 外に出ると風雨が強い。国分寺駅の緑の窓口で仙台までの新幹線の予約を取り 中央線に乗る。東京で新幹線に乗り継ぎ、10:40過ぎ仙台着。

 三島氏がプログラムの終りに多くの人々のご苦労と尽力で、今回の催しを遂行でき たことを感謝すると言われていた。本当にそう思う。3月6、7日と東京経済大学を 会合場所として今村先生との最期の研究会を持った折、先生から大学予算の緊縮化 の例を色々聞かされた。厳しい状況の中でこのようにスケールの大きく内容の濃い催し を開かれた関係者の方々に一参加者として感謝申し上げる。たった一人で、ある面 気が重い参加であったが結果は十分報われた。
 子安氏が総合討論の時に「シンポジウムは 来てみるものだなあ」と感じ入ったように言われていたが、今回の様に今村先生に関係の 深い各分野の第一線の研究者の方々が一同に会して議論するということは稀な 機会だったのではないか。改めて今村先生の懐の深さと全方位的な守備範囲 の広さを再確認した催しだった。 やはり億劫がらずに出てみるものである。

                            2007/10/30 星 研良

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