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『道徳教育について』意訳
2 道徳の基礎
さて、世の中の事は自分の予想や期待を超えて動くものであると感じます。道徳教育についても、道徳、道徳と言い
立てて教え込んで、どれだけの効果があるのかということがあります。道徳などとりたてて言わなくとも、立派な
道徳教育になっているということがあります。道徳教育をしなければならないという主張と、実地の教育の結果とは
別の事と思います。そして、道徳教育は実地で行うことが主となりますから、口に論じ筆に述べることは、少しくらい
違っていてもかまわないとも言えます。何も知らないような、知識や思想については何の特長もない人物が、思いの
ほか立派な行いをすることもあるようです。しかし、そういう行いができる人の場合、その行いを起こす基礎が確か
でないとできるものではないとも思います。この基礎を把握することはかなり難しいと言わなければなりません。
道徳上の基礎となると、その他の学問における基礎と違って、理屈に収まらないことが問題になるように思います。
そういうことが問題になるかならないかは、最終的には皆さんそれぞれのご経験によって判断して戴かなければならない
ことです。
そして宗教、とくに仏教から申しますと、その基礎を作るということが最も重要です。その基礎に達しない間は
〔その人が、あるいはその人に向かって〕千言万語を述べ立てても、実は訳が分からない状況にあるようです。
基礎を作るということはそれをただ述べるのみでなく、実際にその言葉に依って感じるという、皆さん各自の心の
状態が最も大切になります。この基礎とそれに依る心の状態の二つが一致しなければ、本当に解ったというところ
には至りません。
しかし、だからといって私の述べるところが皆さんが納得できるようなものになるだろうかというと、到底そうは
ならないだろうと言わなければなりません。納得させられないのに話すのは無用かもしれませんが、そのうちのある部分が
ご記憶に残って他日ご参考の一端にはなるのでは、というかすかな希望は持っています。