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『道徳教育について』意訳
9 道徳の指針
そうすると、道徳教育ということをどのように考えて行えばよいか。我々は無限に発達しうるし、するべきである、
ということを信じてそこに向かって精神を鍛錬しなければならない。そのとき先に言ったように全世界すべてのものが
自分の所有である、ということになれば、天地の物に対する我々の働き方も随分違ってくると思う。禽獣までも自分の子と
いうようになれば、今日の話題の道義とか徳義とかの観念は湧然と涌いてくると思う。
そうなれば、それまで肩を怒らせて張り合っていた者が和気あり、しなやかになって互いに手を取って語るとか、それまで
は目の前の人を罪人であると思っていたことが、そうではなく自分が悪かったのだ、という風になって相手に罪を被せていた
ことを謝らなければならないことになる。そうすれば、それまで敵同士であったものが対立することを止めて親しくなって
来なければならない。
そういうことを自分の関係の範囲にあてはめて行ったならば、それまで我々が常識と思っていたことが実は間違っていた、
というように、物事に対する考え方が違ってくるということが起きなければならない。このようなことは、この中で既に
そういうご経験がお有りの方がいらっしゃれば、余計な話ではあります。しかし、まだこのような考えに到る最中の方も
いらっしゃるかもしれません。私も未だにそこまでは到っておりません。そうでなければならないとは思いますが、
実際に妻子眷属を相手にしていると腹が立つことが起きる。しかし、その時にここでの宗教的考えで反省すると、
腹が立つのはこちらが悪いと、自分を責めるようになる。そうすると、存外に相手がこちらの態度によって改めて
状況が善くなるということがある。〔こういった体験による証明が実感されますので〕個々別々なものを立て、
それらの間に境界を立てて、財産とか生命とかいうことばかりを気に掛けるような考えは一変しなければならない。
その一変するところを仏教では転迷開悟と言います。転迷開悟とはなにか非常に特別なことを指すのではなく、このように
ものごとの見方、受け取り方の変わることを言います。仏教ではこのような例を沢山書いています。一切の衆生は最上無限の
仏になる性質があると言います。またこの考えを拡張して我々人間とか動物ばかりではなく、花でも瓦でも進化の程度が
低いだけで、段々進化していくと最上無限に発達するべきものであると言う。我々が一つの色と感じ、一つの香りと
感ずるものも最上無限に発達するべき真理を備えている。さらに言えば我々の心の中には大変な道理が籠もっている。
それがうまく開けば天地万物を組み立てることができるようになる。
こういうことは奇怪不思議なことを言っているようですが、しかし、道理で推して考えていくとどうしてもそこまで
いかなければならない。しかし、そういうことをあまり申し上げると皆さんの中に不思議な思いを繰り返させることに
なりますから、最後にものの値打ちとういことを、ここでの道理から申し上げて終わらせていただきます。