真宗大谷派 西照寺

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清沢満之をめぐる経済について


10 人口の変化と宗門の権勢

 日本の人口は明治20(1887)年あたりでは3800万人程度であった(物価事典 pp.431)。これに対して現代では1億2000万人 である。したがって約120年の間に人口は
 1億2000万 ÷ 3800万 = 3.16
約3.2倍になっている。
 人口増加がそのまま世帯(戸)数の増加であるとは言えないが、とりあえずそう仮定する。
そうすると、世帯数が3.2倍になったのだから、宗門の門徒戸数もこの120年で3.2倍になったかというと、そうはいかない。
 当時の門徒戸数は約100万であった。それに対して現在は約130万である。すなわち、この120年の間に宗門の戸数増加として は1.3倍になったのだが、国全体の戸数増加は3.2倍である。
すると、国全体の戸数に対する宗門の戸数の変化は
 1.3 ÷ 3.2 = 0.41倍
つまり、大谷派の権勢、すなわち社会への政治的・経済的影響力は120年前を1とすると、現代は約4割にまで低下した、 ということができる。逆に言うと、120年前は、現在の2倍以上の権勢を持っていたということになる。さらに当時は、 法主を絶対とする専制体制が─制度というよりも雰囲気として─機能していたと思われる。強引な集金が可能だったのは、 このような背景があったからかと思う。

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清沢満之をめぐる経済について


1 清沢は葬式をしたか

2 清沢の伝記

3 経済状況を知りたい

4 東本願寺育英教校時代

5 東大大学院・一高嘱託教授・哲学館教授時代

6 京都府尋常中学校校長〜禁欲生活時代

7 結核発病〜教界時言社時代

8 真宗大学の移転建設

9 明治20年代の宗門の財政状況
9.1 現代の状況
9.2 当時の状況と現代との比較
9.3 負債返却後の財政運営

10 人口の変化と宗門の権勢

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