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清沢満之をめぐる経済について
4 東本願寺育英教校時代
明治11(1878)年(16歳)〜明治13(1880)年(19歳)
本山本から
当時、真宗大谷派は、時代の求めに応えうる人材を育成する目的で育英教校という学校を開設していました。 そこは主に宗門の子弟を中心に、一種の英才教育によって次の世代の宗門を担う人材を育てるということで、 授業料と生活費が無料で月五円の生活費を支給されるなど、生徒はとても優遇されていました。(pp.4)
生活費として5円支給されたのか、生活費の他に5円支給されたのかどちらとも取れる文章だが、おそらく後者だろう。 5円〔125,000円〕は、形の上では平等・均質化した社会に暮らす我々から見ると、小遣いとしては高額過ぎるようにも 思われるが、当時の階級社会における宗門内のほんの一握りの子弟のエリート教育としては、当然の待遇だったのか もしれない。(換算比率を掛けて125,000円としたが、おそらくもっと高く200,000円を越える価値ではなかったか。)