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清沢満之をめぐる経済について
3 経済状況を知りたい
伝記を読み進めるうちに新たな興味が湧いてきた。清沢の短い一生には様々な転機や事件があるが、これらの場合に
おいての貨幣との関わり方を見てみたい。そうすることで清沢と宗門の置かれていた状況がより具体的に明らかになる、
更には現在の宗門の状況を省みる手がかりになると思った。これがこの文章を書き始めた動機である。
しかし、ここで問題にぶつかる。当時の経済状況を理解しようとするとき、貨幣価値を現代の値に換算しなければならない。
当時というのは清沢が本願寺育英教校に入学した明治11(1878)年頃から亡くなった明治36(1903)年頃までの約25年間である。
当時の1円は現在の1円の何倍の価値があったのか。
しかし、これを決定することはとても難しい。換算方法ですぐに思いつくのは当時と現在で共通の生活必需品を選び、
その比率を換算の係数にすればよいということであり、その品物として一番に米を思いつく。しかし、当時は白米を
食べられるのは限られた上位階層だった。米の生産力も規模も、また商品としての価値も現代とはまるで違う。
(『物価の文化史事典』(森永卓郎監修 展望社) pp.22。以降この本を「物価事典」と略記する。)
人口規模は現代の3分の1である。
そうした様々な違いを考えていくほど、米が価値換算の指標になりえないことがはっきりしてくる。同じように他の個別の
品物で換算比率を出す試みは、ぶれが大きくどこかに歪みが出て、ほぼ失敗する。
以前、無限洞4号で米を基準として、親鸞が東国の門弟から送られた
銭を現代価値に換算してみたが(無限洞4号 pp.45)、同様の誤りを犯していたようである。
こうして考えてくると、比較する時代の国力、産業構成、技術発展段階、身分階層構成なども考慮しなければならないと
いうことが分かってきて、えらい話になってくる。そもそもすべての物事が変動するのが世界の在り方(諸行無常)
なのだから、時代を隔てた二つの時点に一貫する換算基準を求めようとすることが間違いなのかもしれない。
とは言いながら、当時の状況を具体的に感じるためにはなんとか換算したい。
また「当時」と言いながら、換算の対象とする期間は25年ある。この間にも1円をめぐる状況は刻々と変化しているわけ
だから、本来一つの換算比率で済ますことはできない。これもこだわるとえらい話になってくる。何とか当たらずといえども
遠からずのところで、一つの換算比率を出したい。
色々と試行錯誤して、当時25年間の1円の価値は現在の40,000倍から20,000倍の間で推移しているだろうということが
分かった。
さて、個別の物価で比率を求めるよりは、給料で比率を求める方がより正確な値を出せるだろうと考えた。
幸いに物価事典pp.398に「小学校教員の初任給」ということで明治4(1871)年〜平成16(2004)年までの一覧が載っている。
今問題にしている明治11年から明治36の間は学校制度の成立時期にはじまり、間に日清戦争を挟んだ時期である。
この間に制度変更を伴って月給額が次のように変動している。
明治19年 5円
明治30年 8円
明治33年 10〜13円
ここで中間の8円を取って2004年の給料198,000を割ってみる。
198,000 ÷ 8 = 24,750
推測した比率の範囲には入っている。
この結果から25,000倍を換算比率とすることに決めた。
面倒なのでこのあたりで妥協しようという決め方である。換算しないよりはまし、という程度に受け取って欲しい。
以下、この換算比率で現在価値を表す場合、〔〕でくくる。
この後の記述は、清沢や宗門と貨幣が関連する話題を断片的に取り上げていくことになるので、清沢の生涯の履歴を
知っていないと、よくわからない部分が出てくると思う。その場合は2で紹介した伝記を読んで欲しい。また、
とりあえずは年齢順一覧を見ながらであれば、なんとか意味は通じると思う。