真宗大谷派 西照寺

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『純正哲学』意訳


終結

[62] 「動作」は表現不能である
 我々は事物の実在を尋ねて、それが事物相互の関係にあることを明らかにした。更に進んで、 関係は事物相互の動作の外には求め得ないことを明らかにした。かつ事物相互の動作は万物が一体であることから 起るものであり、動作が表現不能なことは万物一体の根本の性質に由来するものであることを解説した。 〔「異様」の解釈をどうするかで、この部分の意味が全く変わるが「一体ノ原性ヨリ起ルモノ」とあるので 「一体ノ原性」を有限と無限の合一であると解し「異様」は言説表現不能の意味とした。〕

[63] 「思想の必然」を制御すること
 次のように問を発す人がいるかもしれない。
事物の諸般の動作は万物一体の根本の性質より起るとすれば、既に根本の性質がある以上は、動作の前後が繋がり、 因果が行じられるのは当然のことであろう。しかし、根本の性質はそもそもどうして有るのか、 動作の起るべきそもそもの始りは、どう了解すべきか。
 この問題は既にアリストテレス以来の疑問にして、哲学が大きな労力を浪費してきたところである。
この問題に対するとき、我々はしばしば実物世界の外に出て、事理を観察しようという欲求に囚われ、誤謬の罠に陥る。
 運動の起源を求めて無動界に入ろうと欲望し、無動界なるものがあると軽々しく考え、そこから運動というものを 開発し基礎付けようという考えなどはこの例である。
 これは我々の日常の思考で、結果を観察してその因を求めるという方法を拡張するものに過ぎない。しかし、 この論法を適用してよいのは実物世界に限られるわけで、無実の世界にまで適用しようというのは、 この論法の限界をよく弁えていない者のすることである。
 我々は実物世界の因果を順次に追求して、そのそもそもの始めに達することもあるかもしれない。 しかしこれを成し得たとしても、我々がここで問題にしていることへの解釈には少しも役に立たない。何故なら、 たとえそもそもの始まりという解答を見出したとしても、それは実物世界のことで、無実世界のことではないからである。 既に実物世界であるからこそ、運動があるのである。決して無動の領域ではない。
 宇宙は実在世界である。そして我々はこの世界の中にいるのである。この世界の中にあって動作し思考している。 しかし思考に虚実あるが故に、ついには虚の中に実を開発しようという行動を起こしてしまう。 このようなことは為すべきだろうか。我々はこれについて数多の問題を提起することができる。
 1 世界はなぜ存在するのか、存在しなくても良いのではないか。
 2 世界の現状はなぜこのようなものなのか、別のあり方はないのか。
 3 世界にはなぜ運動変化があるのか、どうして寂静不変ではないのか。
 4 運動変化の法則はなぜこのようなものなのか、別の法則はないのか。
これらの疑問は哲学者が関与するところではない。哲学は実有の世界について実際の事実を観察して、 その説明を与えるものである。哲学者は世界と事実とを創造すべき者ではない。これを研究する者である。 故に哲学は純正実在を創造することは不可能である。経験以外の知識は哲学が認めるものではない。
 実在世界の外に出て、仮想世界の事を論じようとするが如きは全く根拠の無いものである。
あの「思想の必然」と称するものの如きには、最も注意してかからなければならない。思想の必然は現実世界の 根本的性質から生ずるもの、根本的性質に具備するもので、現実世界の事物については間違いなくその必然がある。 しかし、この思想の必然において現実でない世界に断定を下そうとする者は、道理を弁えざる者と言わなければならない。 理想の展開を以って現実世界の万物を創造するという如きは、でたらめの甚だしいものである。

[64] 万物一体の理解は両方向的同時進行である
 思想の必然の法則を以って実在世界を形成しようとすることの誤りは前段に述べた。しかし我々は我が身をも 省みなければならない。先に結論した万物一体の理を考察すると次の二式を得る。

1 天 = A + B + C
 「天」を万物の規範とし、天あるが故にA、B、Cが現出することを得るの意味である。 一体が凝然としてその自性を保持して、不変であるが故に万物はその中で無数の転化・変化を生ずることを 得るということを表す。
〔これは、現に転化・変化が起きている現実から見て、あるものに転変化が起きるとき、万物一体の不変性を 保持するためには、他のものがそれに応じて転変化せざるをえない。それによって万象の変化がありながら、 万物一体の不変性が成り立つという意味であろう。〕

2 A + B + C = 天
 「天」をA、B、Cの現状によって生成される結果と見るもので、天は万物を除いて独自に存在し独自に 活動するものではなく、A、B、Cの現実物を検証して始めて存在するものと認めうることを表す。

この二種の見解は相依って万物一体説を表すもので、分離するべきではないのだが、仮に別々に名付けると1は理想論、 2は実体論と言えるだろう。
 理想論は一種の理想(=規範)に順じて万物が変化現象するというものである。しかし理想は虚影・抽象的なものを 指すのでなく、必ず現実・具体的なものでなければならない。
 換言すれば、理想なるものは現実の世界万物の規範なのだから、その規範に無実の世界も順じなければならない、 という論法は通用しないということである。
 理想は現実の事物の外にあるものではない。即ち実体を離れない理想である。しかし、理想の理想たる所以は、 万物の開発が完全にこれに順じて起り、これに順じて現ずるところにある。即ち万物開発の方向と順次は、 完全に理想自体の性能から出てくるもので、その他のものに左右されるものではない。
 これによって、理想が顕現する前の状態は、理想顕現の後の状態を生ずる理由を具え、各々の状態において、 理想が実現して万物を統制することになる。
 この進行において、AがA´に変化するに当ってBがB´に変化しなければならない事情の時はAがA´に変化した後は 必ずBがB´に変化するのを見る。この理は前の節で説明したように、万物一体の事物の相互作用によるもので、 宇宙の中に器械的系統の必然の法則として顕れる。
 これが、前の瞬間における実物実事が一定不変の理法に順じて、後の瞬間での実物実事を生じ、 各瞬間の実物実事に理想の全体が顕現すると言いうることの基礎である。

[65] 理想と実体のどちらも捨ててはならないこと
 理想は各瞬間の状態において円まどかに顕現する。そして理想の功能はこれに尽きるものではない。 時間において、過去の状態を経過したことも、未来の状態を生起することも、また理想の功能である。 これを観察・把握するためには無限の時において、無限の実在界に居住しなければならない。単に我々の思想を以って、 無限の時と無限の実在界を尽そうなどと考えるのは、甚だしい誤りである。これが実体論が明らかに教えるところである。
 思うに実体論は、それぞれの時においての存在の状態について、それが一定の理法に順じて過去の諸力の動作した結果で、 動かすべからざるものと見なす。
 ただし、通常の実体論は、一元論を取らないで、多元論を取る。しかし、多元論が誤りであることは 前に詳しく論じたので、参照すること。
 さて、一元論を取るとする。そうすると事物の変化は、万物が相依する一体の性質から生ずると言わざるをえなくなる。 そうなると、理想論も実体論も大きな隔りはなくなることを注意してほしい。
 両者の違いは、理想論はその原理をもって活動的理想と為し、実体論は客観の実物界の中にその原理を求め、 実体にそなわる法則であると為す、この違いがあるのみである。
 この違いがあるが、実体論者も〔理想論者と同じく〕その経験の確定したものにあっては未来を推測するに足ると為す。 ただ、その経験の本体は実体を措いて他には無いということを明言する。
しかし、実体論者も事実の各々の継起の状態のみを以って、実体界を完全に表すものとは見なしておらず、 各々の状態を以って一定の目的に達する手段であり、一種の意義を表す装置であると見なす。
 とすれば、これは精神性(霊性)の存在を拒否するものではない、ということになる。

[66] 事物とは精神的実体である
 我々はこれまで事物の何であるかを尋ねて、種々の考察と論説を検討してきた。 しかし未だに目指す結論を得ていない印象がある。これまで論じてきた内容をまとめて、この疑問に答えて欲しい。
 答える。
 事物とはその体は不変不動のものではなく、常に展転して移り行くもので、かつ一本体の相状であるとは先に述べた。
 そしてこの転変流化の間にあって、事物が各々それ自体を保持することもまた説明した。
 更に進んで、我々は万物が一体であることを論証した。

 そして、いわゆる「自体を保持する」ということは、知覚において感覚することの外にあることではない。 「ある体を保持する」ということを成り立たせるためには、それ自らを現前させなければならないからである。 これは精神性(霊性)の功能である。
 故に事物lは精神的実体でなければ、決して事物であることができない。精神的実体であるが故に、 能くそれ自体を保持し、能く相状の本体であることを得るのである。
 そしてこのことは、万物を包含する一体と、事象として顕現する実体と、どちらにもあてはまることを知るべきである。

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『純正哲学』意訳

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はじめに
-----意訳開始-----
序言

緒論

本論 第一章 実在論

第一節 事物の実在

第二節 事物の性質

第三節 実有及び実体

第四節 変転二化

第五節 物理的動作の性質

第六節 万物一体

終結
.[62]「動作」は表現不能である
.[63]「思想の必然」を制御すること
.[64]万物一体の理解は両方向的同時進行である
.[65]理想と実体のどちらも捨ててはならないこと
.[66]事物とは精神的実体である
-----意訳終了-----

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