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2012年1月
6日 年末年始の厄除け対応
昨年死者があった家庭、年末に葬式を出した家庭の周囲が喧かまびすしい。
昨年死者があった家庭の主人の相談
「近所の人達から、正月の飾り付けをしてはだめだとか、神社へ参ってはだめだとか言われたのだが。」
「そういうことは迷信だ、相手にしないでよろしい。正月飾りもやってよい。」
「毎年、××神社に参ってお札をもらってくるのだが。」
「参ってよい。お札ももらってよい。善いことだけを祈りなさい。」
「どんと祭にも、正月飾り燃やしに行ってよろしいか。」
「全く構わん。」
年末に葬式を出した家庭の主人の相談
「契約講の人達から葬式の後、厄払いのお勤めを住職にしてもらわないと、正月が迎えられないという苦情が来ているのだが。」
「よろしい、通夜の法話で説明しよう。」
(通夜の法話)
「本来、仏教では日や方角を選ばない。また人の死は、生と同じく必ず起きる定めにあるものだから、不吉なものとはみなさない。今回の、××さんの死によって皆さんに厄が降りかかるということもない。そういうことは迷信でしかない。だから皆さんは、この葬式の後、例年通りにお正月の準備をしてよろしい。西照寺もこの葬式が終ったらすぐに正月の飾り付けを行う。
しかし、この説明を聞いても納得できない、気持ちが落ち着かないという人はいると思う。
そこで、そういう人のためにこれから儀式を行う。仏教は厄を認めないと先ほど言ったが、厄を気にする人にとっては厄はあるのである。そういう人の気がかりを払う力が仏教にはある。
先ず、証文を出す。開祖の親鸞の和讃である。
南無阿弥陀仏をとなうれば
四天大王もろともに
よるひるつねにまもりつつ
よろづの悪鬼をちかづけず
悪鬼というのは厄のことと思ってよい。この証文によって、皆さんの気がかりを払おう。
私の説明に納得して厄を気にしないという人は、これから行う儀式に加わらないでよい。厄を気にする人は私と一緒に
合掌して南無阿弥陀仏と称えよう。では合掌してください。
南無阿弥陀仏(約八割の参加者が称える)
・・・
これで皆さんに厄が近づくことはない。
心置きなく正月の準備に入ってもらってよろしい。
」