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2010年8月
26日 清沢の小論の魅力
昨年の1月からはじめた岩波版清沢満之全集の通読がようやく終わった。毎日の生活の中で暇を見つけては
とぎれとぎれに読み進んできたのだが、清沢の文章はそんな片手間な読書スタイルでは歯が立たない敷居の高さを
ある面もっている。その敷居を自分なりに乗り越えるために意訳や小文を作りつつ、読み進めるという作業になった。
そのため通読がますます遅れた。しかし、そんな自分なりの確認のプロセスを挟みつつ読み進めたおかげで、清沢の文章の
要点を掴む視点を得ることができたと思う。
そうして改めて気づかされたのは、第七巻の後半に収められた雑誌連載や講演記録等の小論の魅力である。これらは
不特定多数の読者、聴衆に語りかけたものだが、内容は宗教哲学骸骨などの基礎的な思想から決して外れることなく、しかも
それを限られた時間や文字数の範囲内で説明しようという粘り強さが見られる。これだけの文章にここまでの意味を込める
のか、という覚悟が見えハッと驚かされる。そういうことに気づいてくると、今村さんが『清沢満之語録』を書いたときは
どうだったのかが気になり、改めて解説を見てみた。そこには清沢の小論の特徴が次のように的確に記されていた。
彼が多くの仏教講話や講演をこなしていくとき、語り口はじつに平明であり、とりあげる例は身近なも のばかりである(彼によれば、ソクラテスに範をとったという。本書中の「修養語録」の ひとつ「ソクラテス」を参照)。あまりに平明で、具体的な話柄もまた平凡にみえるので、 かつての読者はおそらくは話振りの平明さと材料の平凡さにまどわされて、語りの裏側に ある清沢の理論的構えをとらえそこなってきたのではないかと思われる。清沢の講演スタ イルは、単に平明さを求めるといったものではない。彼は、西洋哲学史にも通暁した学者 であったから、古代ギリシアの文献を読み、とくにソクラテスの語り方から多くを学んだ。 したがって、清沢が書いた一般向けの文章や語り方の平明さは、よくよく考えぬかれた結 果である。それだけではない。たとえば、自由と服従とか、差異と平等などの主題のよう な抽象的用語が出てくるときには、彼の『宗教哲学骸骨』において構築された理論的構想 がそれらの用語を支えているのだ。清沢がこれらの問題群について触れるとき、彼の頭に はそれらの理論的定義がすでにあり、そこから彼は議論を組み立てている。啓蒙的あるい は教育的な文章を読むとき、われわれはこの事実を銘記しておかなくてはならない。
『清沢満之語録』pp.454
ちょっと清沢の小論のいくつかを意訳してみようと思っている。
6日 奈良大仏建設の経済効果
4日付けの共同通信(47 NEWS)に次のような記事がでていた。
東大寺の大仏建造費4657億円 現在価格で費用試算
752年に開眼供養が行われた東大寺の大仏と大仏殿の創建時の建造費が、 現在の価格で約4657億円に上るとみられることが4日分かった。
関西大の宮本勝浩教授(理論経済学)らが試算した。
建造にかかわった人の消費などによる経済波及効果は約1兆246億円に上る。
建造当時や再建時の資料などをもとに原材料費、人件費、労働者の住居費の三つに分けて費用を推定した。
原材料費・・・大仏に使った精錬銅約500トンや大仏殿の柱材用の丸太84本など約3363億5千万円。
人件費・・・・建造に携わった人は延べ260万人以上。この人件費が約1292億円。
住居費・・・・約1億7千万円。
石材や内部装飾、東大寺の他の建築物にかかった費用は含んでいない。実際にはさらに多額の費用が必要だった。
(以上抜粋)
私は「清沢満之をめぐる経済について」で、
明治20年代ころの1円の現在価値を、ほとんどこじつけ的に推定したが、異なる時代の価値換算には興味があるので
こんな記事にはすぐに目がいく。
素人はたかだか百年前の1円の価値の換算にも四苦八苦するというのに、この記事では1200年以上前の国家事業を
現代価値に換算してみるというのであるから、さすがに学問とは大したものである。
機会があればこの計算の詳しいプロセスをぜひ知りたい。
しかし、この記事の内容だけでは疑問も起きる。
大仏建造費4657億円、経済波及効果は約1兆246億円、合わせても2兆円に満たない額である。現代の日本の国家予算が
一般会計の歳出で約80兆円、一般会計と特別会計を合わせた歳出が約215兆円(こちらが実質の財政規模らしい)。それに
対して2兆円程度の経済効果だというのは、ちょっと規模が小さすぎるのではないか。
また、このような換算の問題にぶつかると、私は常に人口のことが気になる。
奈良時代当時の人口は約500万人である。(鬼頭宏『人口で見る日本史』PHP 参照)
現代の人口は約1億2千万人である。
単純に考えると、奈良時代の一人の存在価値、あるいは影響力といったものは1億2千万÷500万で現代の一人の24倍である。
つまり、当時の労働力の一人が欠けることは、現代の場合の24倍とまではいかなくとも(というのは現代では高齢者などの
就労しない人口の割合がかなりの部分を占めるから)相当なダメージがあったのではなかろうか。そしてその貴重な労働力は
律令制度の中で強制徴用され、この大仏建設のような事業に労役を提供しなければならなかった。
さらに当時の平均寿命は30歳前後である。この短い人生において、1日の労役提供は現代の1日の労働の何倍の重みがあった
のだろうか。現代の男子平均寿命を80歳として、80÷30=2.67倍。更に一人の人間の存在価値の24倍を掛けると2.67×24=64。
現代の1日の労働の64倍の価値があった・・・と言えるのか?このように連想は広がっていく。
こんなことを考えていると、価値換算の妥当性がそもそも見出せるのかますますわからなくなってくる。
しかし、それでも異なる時代の価値換算は魅力的な話題である。