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2015年3月
5日 山元町・女川町・雄勝町
11日の大震災追悼法要の際、被災地の現状を紹介する写真を撮るために、1日でこの三箇所を回った。山元町は2011年5月14日、雄勝町は2011年5月24日、女川町は2011年9月14日に訪れている。約三年半後の現場確認である。
山元町
八重垣神社
宮城県宗教法人連絡協議会の震災関連の会合などで宮司の藤波氏のお話を何度か拝聴していたので、訪ねてみた。
社務所だと思う。無人だった。
植樹してある木の多くが枯れている。やはり吹き曝しとなってしまった場所での冬の西風は強烈なのだろう。
現状は私が想像していたよりかなり厳しいように見受けられた。
八重垣神社から200メートルほど離れたところにある墓地。
ほとんどが建て直してあるが、このように津波で傷ついた石を復旧したものが大半だった。
中浜小学校。2013年閉校。
防波堤工事。
東日本の海岸がみなこのような風景になるのか・・・
防波堤から見渡す。三年半前とほとんど変わらず。風が強い。飛ばされそうである。
海岸から3キロほど入った辺りから人が住んでいる家が見え始める。
女川町
こちらは山元町とは打って変わって谷間の地形が変わってしまうような大工事が進んでいる。
前回来た時は、小山の上の方のあたりに白山神社と住宅が何軒かあったのだが、跡形もない。
三角のテントのような建物は新築なった女川駅。
前回上った熊野神社への階段もこの通り通行止め。いったいどんな形に変わるのだろうか。
町立病院。
町立運動場は立派な公営住宅に変わっていた。
隣の仮設住宅。
谷間の中央部にある墓地。前回来た時は気づかなかった。こうして見ると、変わっていないのは町立病院と墓地だけのようである。
墓地から公営住宅を臨む。
列車があるのに驚いた。開通は今月下旬とのこと。
雄勝町
こちらも瓦礫は撤去されて何も無い。山元町と似たような状況。
復旧工事は進んでいるようだが、人気がない。
分浜