真宗大谷派 西照寺

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縁起


7.2.10 識

 ここからの三支、識・行・無明は釈尊の「最初の覚りの現場」では、おそらく分割されないものとして 到達されたのだろう。そしてその分割されないものを「識」と名付け、十支縁起の系列の表現がなされた ものと思う。([仏教学序説87]の記述を参照。) それでは何故、さらに行・無明の二支を追加した十二縁起説が出てきたのか。それはこの「識」が、輪廻 の生れ換りの主体のアートマン(我)と誤認される恐れがあったことによるのではないか。そのように 誤認されてしまうと通俗的・実体的な六道輪廻思想に転落する。
 さらにこの危険をまぬがれても、識が梵我一致の主体と誤認される危険性がまだ残る。ここで誤認さ れると「バラモンの覚り」に転落する。そして現に部派仏教や大乗仏教のある種の思想、また現代の仏 教学者の記述でも、この誤認に陥っているのではないかと思われる表現を見る。
これら二つの危険性を排除するために、識を分割し行・無明を追加したものと思う。

 名色によって存在世界全てを捉えられることを知った。それは有としての流転輪廻する苦悩に満ちた 世界であり、そこに「私がある」というあり方を取・愛・受・触・六処と検討してきて、有から離脱する 道は皆無であることを知った。  そして、これを「知るもの」とは何なのだろうか。それは「識」すなわち「私の心」である。 「私の心」がこの無限に苦悩する世界の一切を把握している。

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縁起

目次
引用文献一覧・凡例・更新履歴
1 はじめに
2 典拠による表現と意味
3 考えるということの道具立て
4 縁起表現の表と裏
5 縁起を語る釈尊の姿勢
6 縁起表現の構成
7 十二縁起支の解明
7.1 推理的順序による直列的な解釈例
7.2 縁起支をたどる
7.2.1 老死愁悲苦憂悩
7.2.2 生
7.2.3 有
7.2.4 取
7.2.5 愛
7.2.6 受
7.2.7 触
7.2.8 六処
7.2.9 名色
7.2.10 識
7.2.11 行
7.2.12 無明
7.3 転回
付録1 十二縁起の変節・説一切有部「三世両重因果」
付録2 伝許・伝説─世親の不信表明
付録3 「大乗」のニュアンス─世親、親鸞に通づるもの

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