真宗大谷派 西照寺

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縁起


7.2.12 無明

 それでは、「私の心のはたらき」は何によってあるのか。それは「私」「私の」と思うことそのこと によるのである。そしてその思いから言葉が生れ、言葉によって「私の心のはたらき」である行が起り、 行によって心である識が作られ、識によって流転世界である名色が把握されてゆく。
 したがって「私」と思うことそのことが苦悩の原因であり、またアートマン(我)・ブラフマン(梵) と根を同じくするものである。
「しかし、そうすると苦悩からの脱出口を見出すことは不可能になる。なぜなら「私」と思わない かぎり私は考えることができない、そして考えないかぎり脱出口を見つけることはできないのだから」 ──「その通り。脱出口を見出すことは不可能だ。そして流転輪廻と苦悩の暗闇の中に閉じ込められ なければならない。これを無明と言う。」

 こうして苦悩からの脱出への探求は脱出不可能という絶望の結論をもって終結した。

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縁起

目次
引用文献一覧・凡例・更新履歴
1 はじめに
2 典拠による表現と意味
3 考えるということの道具立て
4 縁起表現の表と裏
5 縁起を語る釈尊の姿勢
6 縁起表現の構成
7 十二縁起支の解明
7.1 推理的順序による直列的な解釈例
7.2 縁起支をたどる
7.2.1 老死愁悲苦憂悩
7.2.2 生
7.2.3 有
7.2.4 取
7.2.5 愛
7.2.6 受
7.2.7 触
7.2.8 六処
7.2.9 名色
7.2.10 識
7.2.11 行
7.2.12 無明
7.3 転回
付録1 十二縁起の変節・説一切有部「三世両重因果」
付録2 伝許・伝説─世親の不信表明
付録3 「大乗」のニュアンス─世親、親鸞に通づるもの

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