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縁起
世親は釈軌論で大乗の呼称の解説を行っている。
仏説は伝統的に「十二分教」という分類方式によって納められてきた。 『釈軌論』にはそのような仏陀の教説を構成する十二要素に関する詳しい解釈が みられる。「十二分教」のうち「方広部」(vaipulya)は他ならぬ大乗のことを 意味すると世親は解釈する
[世親思想の研究68]
・・・
(世親の「大乗」解説)
大乗に対して"vaipulya"という呼び名が付けられる。
大乗は"vaitulya"(無比)とも呼ばれる。比べるものがないから。
他の部派の人々から大乗は或いは
と呼ばれる。その大乗は習気を伴う煩悩を無く すから。
ここで曰く、
大乗()は
広大であるから"vaipulya"であり、
比べるものがないから"vaitulya"である。
また、一切の邪見を無くすから"vaidalya"でもある
と知るべきである。
[世親思想の研究73]
この世親の記述に関して李は次の注釈を付けている。
元々"vitula ( >vaitulya)"は大乗に属する人に対する軽蔑的な呼称であったであ ろう。の注釈書である
の著者は『倶舎論』の 著者世親に対して、大乗の人々を指して称する"vaitulika"という語を使うが、 その場合"vaitulika"は
という語と結びつき 軽蔑のニュアンスを伝えている。・・・
"vitula"は「比べるものがないほと愚かなもの」という意味にもなるわけである が、世親は「比べるものがないほど勝れているもの」という意味に置き換えてい る。同様にここで世親が、声聞乗からの大乗の人々に対する軽蔑的な呼び方紹介 しているのは興味深い。は「禿頭」を、
は「愚か なもの」を意味する軽蔑的な呼び方であったであろうが、世親はそれを「習気を 伴う煩悩を無くすもの」と解釈して、意味をひっくり返している。 この個所に続いて世親がわざと摂頌を用意して再び大乗の異名に関する自己の 解釈を強調しているのも、このような事情からではないかと推測される。
つまり世親は部派仏教からの「大乗」と いう仏教集団への軽蔑を十分に認識しており、あえて彼等が軽蔑に使う 語句を用い、茶化した上で意味を逆転させているといえる。 このような「大乗」が置かれた境遇──変わった、おかしな、非常識な連中という見 方──は大乗仏教興起の始めからあったものだろう。このことは世親の時代より三百年 程前に作られた初期大乗経典である金剛般若経の次の文章から推測できる。
大乗の教法を受持し、その教えを実践する者は、必ず世間から軽蔑せられ、 うちひしがれることがあるであろう。しかし、その軽蔑とうちひしがれる 迫害とに由るが故に、その宿世の罪障は除かれて、まさに仏道を成就する ことであろう。
[仏教学序説151]
そして、インド仏教史においては部派仏教が大乗仏教より優勢であったことを 考えると、仏教というものの世俗的な力や権威は部派仏教にあり、大乗はその主流派 から軽蔑される状況がインド仏教の滅亡まで続いたと考えられる。 このような状況と、親鸞の境遇とが重なって見えてくるのである。
主上臣下、法に背き義に違し、忿イカリを成し怨ウラミを結ぶ。 これに因って、真宗興隆の大祖源空法師、ならびに門徒数輩、 罪科を考えず、猥ミダりがわしく死罪に坐ツミす。 あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて、遠流に処す。 予はその一なり。 しかればすでに僧に非ず俗に非ず。このゆえに「禿」の字をもって姓とす。 空師ならびに弟子等、諸方の辺州に坐して五年の居諸を経たりき。 ・・・ これに因って、真宗の詮を鈔し、浄土の要をヒロう。 ただ仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲アザケリを恥じず。
(教行信証後序)
[真宗聖典399]
親鸞の探求の視野には明らかに仏教全体が入っており、仏教そのものの核心を掴もう
という意図が一貫している。そして漢文経典しか無かった時代に、さらにその中の部分的な
情報しか得ることが出来なかったであろう身分境遇において探求を続け、仏教の核心=大乗の本質
を見出したのではなかろうか。
その結果、期せずして親鸞は世親と同様の立場を自覚
したのだろう。親鸞が自身を「愚禿」と名乗ったことは、上記の世親の解説姿勢と出来すぎ
のように符合しているが、それは親鸞の探求過程で必然的に至った結論だったのだろう。
上記親鸞の引用に、世親と同じような諧謔と反骨を感じられることがこの推測が的外れ
で無いという印象を与えてくれる。