真宗大谷派 西照寺

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三つの宗派の儀式を並べてみる


2014年10月18日 同朋の会

 10月に入ってからよその宗教、宗派の儀式に参加する機会がありいろいろ興味深かったのでその話をします。どこに行ったかというと
10月5日にすぐ近くの大満寺という曹洞宗の寺の大きな法要に行きました。
10月15日にはカトリックの教会で行われた宗教者研修会にこの坊主の格好で行きました。
更に昨日17日に東北別院の報恩講に行きました。西照寺の報恩講は一日だけですが別院の報恩講は三日間行う大がかりなものです。その三日目に参加しました。
そこでこの三つの宗派の儀式を順にお話します。


1 曹洞宗

6月中旬頃に次のような儀式を行うので参加して欲しいという招待状が大満寺さんから来ました。

大満寺 晋山結制・退董法要
10月5日 午前9時から
(1)退董式
(2)晋山式
(3)晋山上堂
(4)本堂落慶法要
(5)首座法戦式
     記念式典
     記念撮影
(6)檀信徒先祖供養会
     略設斎

「晋山」「結制」「退董」「首座法戦」・・・皆さんこれらの言葉が読めて意味が分かりますか? 私は最初に招待状を読んだときに分からず悩みました(笑)。先ずこの内容を理解しなければならない。本堂落慶はもちろん分かる。略設斎もお斎(とき)だということは分かる。しかしその他の曹洞宗式言葉が分からない。そこで曹洞宗のホームページを見たりして調べました。
「晋山(しんざん)」・・・新しく住職になるということです。
「結制(けっせい)」・・・お釈迦様の時代には一年間の暮らしの決まりがありました。それはインドでは一年が雨期と乾期に分れます。前に仏教の歴史でお話しましたが、雨期には水が溢れている川が乾期には干上がって歩けるようになる。乾期にはお釈迦様達は遊行して、広い範囲を歩き回り教えを広める活動をしたのですが、雨期には歩けなくなるので一箇所に留まって生活した。その留まる場所が精舎(しょうじゃ)と言われる所で、留まる期間を安居(あんご)と言います。そして精舎にお釈迦様や弟子達が集まることを「結集(けつじゅう)」という。この結集を曹洞宗では結制というようなのです。そして現代の意味としては大きな法要を行って沢山の坊さん達を呼ぶことを指しているようです。
「退董(たいとう)」・・・董という難しい字は、住職を表わします。だから退董は前の住職が退くということ。
「上堂(じょうどう)」・・・新住職として初説法をすること。その形も儀式として決まっている。
「首座(しゅそ)」・・・住職の次の位の者ですが事実上は住職の後継者です。そこで今回は前の住職が退いて新しい住職になって、その直後の首座ですから、新住職の後継者ということになります。本来はその寺で修行する坊さん達の中から有力者が選ばれるのですが、現実の多くは世襲です。大満寺さんの場合も新住職の息子さんが首座となります。
「法戦(ほっせん)」・・・首座が他の修行者達と公開で問答をすることですが、その問答の形が決められており、首座のお披露目の儀式となっているようです。
 ここまで調べてようやく一日で六つの儀式を行う大規模な法要のようだと分かりました。しかしその案内が全く付き合いのない我が寺になぜ来たのかが分からなかった(笑)。

 私は自分が関われない儀式に呼ばれてお人形さんで座っていることが嫌いなので、これは断わった方がいいなと思いました。電話で断わるのは失礼だから、筆で断り状を書いて出すことにしました。何度も書き直してようやく読めるような程度になったものを、これで出すからなと坊守に見せたときに「行き来のない他宗の寺に案内をよこすのは余程のことじゃないの」と言われました。その通りだなと自分でも思いました。そこで大満寺の新住職に直接会って聞いてみようと思い、電話して会いに行きました。話をして分かったことは、大満寺の新住職にしてみれば一世一代の法要なので、自宗派だけではなく、近隣の寺にも案内を出したということでした。私は招待頂いたのは嬉しいが儀式に参加できないのは嫌だと言ったら、そんな難しいことはありません、般若心経が読めればいいですと言われる。般若心経くらいなら二、三回練習すれば何とかなるかと思い、その場で参加することに決めました。その他にも色々話をしましたが法要の規模を聞いて驚きました。集まる坊さんが80人くらいになるというのです。当然、準備の費用も大変な額になるわけですが、呼ばれた方もお祝いの金一封を持っていきますから、最終的な出費としては額面ほどではなくなる。しかしそのお金の動きは凄いものだという想像はつきました。我が宗派の寺でこれほどの規模の儀式はまず見られない。
 さてしかし実際の儀式はこればかりではなく次のようなものでした。

実際の日程

10月4日 午後3時
(1)五キン三拝
(2)開山歴住報恩法要・寺族七回忌
(3)首座入寺式
(4)配役並本則行茶
(5)祝膳

10月5日
午前7時半 新命安下処到着
午前8時20分 行列安下処出発
午前9時
(1)退董式
(2)晋山式
(3)晋山開堂
(4)本堂落慶法要
(5)首座法戦式
     記念式典
     記念撮影
(6)檀信徒先祖供養会
     略設斎

 つまり、私に来た案内状には本番の5日当日分のスケジュールが書いてあったのですが、実際は前日から行事が始まっていたのです。この二日分のスケジュールは当日渡された差定(さじょう)帳という、行事進行内容が書いてあるものから写しました。
 4日の行事のはじめの「五キン三拝」は、キンという難しい漢字は鐘のことです。鐘を鳴らして拝礼して重要人物を迎える。次に
「開山歴住報恩法要・寺族七回忌」・・・大満寺の歴代住職と寺族の七回忌を兼ねた法事です。
「首座入寺式」・・・新住職の息子さんが首座に選ばれる儀式です。
「配役並本則行茶」・・・翌日の儀式のための準備です。配役は仕事の分担を割り当てる。本則行茶は翌日の首座法戦式の許可を住職が首座に与える儀式です。
 まあ、儀式というものに対する考え方がうちの宗派とは全然違う。例えば住職の後継者は大谷派の場合「候補衆徒(こうほしゅうと)」というのですが、これは必要な書類を揃えて本山に提出するだけです。「候補衆徒就任式」といったものは特にありません。しかし曹洞宗の場合は 首座入寺式、首座法戦式を必ず行わないと後継者になれないようです。とにかく何につけても儀式がきっちり定めてあり省略しないという宗風のようです。

 そして、この4日の段階で曹洞宗の坊さん達のかなりの人数が出席していると見ました。この人達は儀式の流れは当然みんな知っているわけです。差定帳に坊さんの参加者一覧があります。全部で何人かというと80人どころではなく112人でした。そのうちで他宗派は7人です。この他宗派の内訳は臨済宗2人、黄檗宗2人、浄土真宗3人。臨済宗と黄檗宗は曹洞宗と同じ禅宗ですので、おそらくみんな儀式の勝手は知っているはずです。さらに浄土真宗の3人のうち2人はお西の人ですがこのお二人は大満寺の親戚寺の住職、副住職で、やはりある程度内容は知っておられると思います。したがって全く無関係で儀式を何も知らない坊主は私一人ということだったのです(笑)。後からこういう事情が分かったのですが、よく無関係の私を呼んでくれたと思います。

 しかし勝手知らずで出席してちょっと大変でした。まず案内の張り紙の文字が曹洞宗用語で書いてあるのでよく分からない。だいたいは推測できるのですが。たとえば便所をなんていうか分かりますか。東司(とうず)といいます。それくらいの知識はあったので便所には行けましたが。
 さて8時半ころ先方に到着してみると、何やら行列が始まっている。これも後から差定帳を確認して分かったのですが、「新命安下処到着」「行列安下処出発」が行われていたのです。この「安下処」という文字が色々な所に貼ってあったが読み方がわからない、後から調べたら「あんげしょ」です。この意味は新命(新しく住職になる者)がその寺にはじめて入る時には、直接入るのではなく、先ず在家の家に滞在し身支度を調え、それから寺に行列を組んで入って行くという作法なのだそうです。その滞在先を安下処というのです。住職一家はいつも大満寺に住んでいるのだから初めて寺に入るわけではないのですが、そういう作法で行う。安下処にはおそらく檀家さんの一軒が選ばれたのでしょう。後から思ったのですが安下処に選ばれるお宅は非常な名誉になるのではないか。

 私はそういう光景を見ながら、受付を済ませたのですが何の案内もないのでとまどいました。こういう場合大谷派だと儀式をまとめる責任者が決まっていてその指示で動きます。大谷派のたしなみでは指示もないのに着替えや移動を行うのは不作法という感覚なのです。指示があるだろうと待っていたのですが何もないまま時間が過ぎ、周りの坊さん達はそれぞれ着替えを始め、本堂の方に流れていく。仕方がないので近くの坊さんに聞いてみました。そうしたら着替えをして本堂に行って着席していいということでした。

 さて本堂に着席すると予定通り儀式が始まりました。そして私の座った席の外側の席の方を見たら、「安下処」という札が貼ってある椅子が結構ある。この時は読み方も意味も分からなかったのでなんだろうたぶん檀家さんが座るところだろうなと思っていたら、そこに人が座りはじめました。その格好が男は紋付き袴、女は和服の正装なのです。驚きました。大谷派の儀式で門徒さんがこんな格好をするのは見たことがありません。しかし、外にいる檀家さんは普通の格好ですので、安下処に座る檀家さんはよほど特別なのだろうと思ったわけです。

 儀式が進む中で何回か般若心経を読みました。逆に言うとほとんど般若心経しか読まないのです。それ以外は見ているだけで色々興味がある場面が出てきましたので、今にして思えばカメラを持っていって撮ればよかったです。

 私は曹洞宗の須弥壇でずっと疑問に思っていたことがありました。一つは、本堂にはお金を沢山掛けているはずなのに須弥壇が地味なのです。もう一つは本尊がどこにいるのかはっきりしない。須弥壇の奥の棚のあたりにいるようなのですが目立たない。その疑問が今回晴れました。
 須弥壇が地味な理由はそれが作業台でもあるからです。つまり人が上り下りをして飾付けを変えたりする。だから脇に階段が付けてある。大谷派の場合須弥壇は本尊を荘厳する台なのできらびやかに作り人が乗るなどということは考えられない。しかし曹洞宗の場合は作業台をきらびやかにする必要はない、という考えで作られているのでしょう。そして晋山開堂の時には、新住職が須弥壇に上って聴衆の方を向いて説法する儀式をしたのです。これにはすごいことをするなとびっくりしました。
 もう一つの本尊がどこにいるのかはっきりしないという疑問は、帰ってきてから調べてみると、もともと曹洞宗の寺院では本堂が無かったのです。本堂ではなく、住職が説法をする場所としての法堂というものしか無かった。それが後から本尊が安置されて本堂を兼ねるようになった。だから本尊があまり目立たないのだな、と思いました。そして真宗の場合だと本尊は阿弥陀仏と決まっています。我々真宗の坊主は宗派には本尊はただ一つだということを当然と考えています。ところが曹洞宗の場合は釈迦如来だったり文殊菩薩だったり阿弥陀仏だったりと寺ごとに違うのです。これも驚きでした。因みに大満寺の本尊は虚空蔵菩薩です。

 首座法戦式は首座と他の坊さんとで問答を行います。問答は仏教一般で非常に大切にされていて、もちろんうちの宗派でもありますが、それは議論を行うという意味です。しかし法戦式ではそれが儀式の形に作られていて劇として演じられるのです。役割が定められていて誰が演じるかも決まっている。それを演じるのが新住職の息子さんや若い坊さんたちであり、あるいは近くの林泉寺の住職の小学生の孫さんもいました。この人達が腹から大音声を出して劇を進めて行く。この人達は小さいときからこういう所作を身に付ける伝統があるのか、と感じ入るものがありました。

 また鳴り物がすごかった。新住職が退堂するときなど、歌舞伎の役者が退場する時のような具合で太鼓や銅鑼をやかましく打ち鳴らす。派手でしたがこれもありかなと見ていました。
 首座法戦式まで済んで、その後祝辞、記念撮影と済んでやれやれと終ったのが2時近くでした。その後、檀信徒先祖供養会が続くのですがそれは住職と一部の坊さん達で引き続き行っていました。役割が済んだ我々坊主は会館に行ってお斎を頂き帰りました。お客さんで行ったのですが疲れました。

 曹洞宗の人達はこういう儀式の形を作りながら身体の形も作っているのだなと思いました。檀家さん達もその中で関わっている。その関わりの中で寺との関係を大切にする気持ちも起きるのだろうと考えます。大谷派の寺と門徒との関わりとは種類が違うと言っていい。
 勉強させてもらって、私の曹洞宗の知識がずいぶん豊かになりました。改めて招待してもらったことを有り難いと思っています。


2 キリスト教

 次の催しに参加してきました。

宮城県宗教法人研修会
 宮城県宗教法人連絡協議会主催
 会場 カトリック元寺小路教会
10月15日 午後1時半から
第一部 平和と追悼の祈り  導き・仙台キリスト教連合
第二部 講演と発題
  基調講演 災害時における宗教と自治体との連携
  発題  被災地から世界への発信

画像  主催している宮城県宗教法人連絡協議会というのは、全国でも宮城県だけといっていいような組織で、宗派を問わず宗教者は連合しようという目的で50年以上前に作られました。そしてこの会があったために、震災のときに被災者を支援する諸宗教の協力活動が実現したのです。
 震災前、私はこの会を閑人の集まりだな、くらいにしか見ていませんでした。前住職もここの会報の編集に携わったことがあるのですが「こんな会報など誰が読むんだ」と思っていた。しかし、震災ではたまたまこの協議会があったために、諸宗教が連合することができ、相互の関わりも深くなった。ここが毎年研修会を開いています。震災前は見向きもしませんでしたが、震災後は一昨年、今年と参加しました。一昨年は浄土宗の愚鈍院という寺が会場で参加者は200人くらいいたと思います。そして今年はカトリック元寺小路教会が会場で参加者は50人くらいのようでした。
 研修会の形としてはまず会場を提供する宗教宗派の形式に沿って儀式を行います。その後研修の本題に入ります。2年前に愚鈍院が会場だったときは、浄土宗と天理教が一緒になって儀式を行いました。今回はキリスト教の儀式となり、キリスト教各宗派が連合した「仙台キリスト教連合」が担当しました。それをお話します。ここにはカメラを持っていったので写真を見ながら説明します。

画像 会場です。このとおりガランとしているのでちょっとびっくりしました。カトリックだからもう少し飾りがあるのかと思ったのですが意外でした。
画像 この方はプロテスタントの牧師で川上さんという方です。今回の研修会のまとめ役です。震災支援で仏教などの他宗派と一緒になって活動し、結構マスコミにも出ていますのでご存知かもしれません。
画像 この人達が儀式を進行する係です。みんな普通の格好をしています。男性二人は牧師で伴奏と聖書朗読を担当、女性は「黙想と祈りの集い」という、キリスト教の宗派にこだわらない立場にある人で歌を担当します。
画像 儀式の中で聖書を朗読中です。左端の女性も牧師です。
画像 これは第二部に入っての場面ですが、左から
世界宗教者平和会議日本委員会の篠原祥哲氏、
浄土宗愚鈍院の中村瑞貴氏、
八重垣神社の藤波祥子氏、
大阪大学の稲葉圭信氏。

 さて、第一部の儀式は次のようなものでした。

平和と追悼の祈り
テゼの祈り
(1)うた 「シャンティ・シャンティ・シャンティ」
(2)聖書朗読 旧約聖書イザヤ書 
(3)うた 「聖なる霊よ、愛の火を」
(4)聖書朗読 旧約聖書イザヤ書
(5)スライド
(6)沈黙
(7)祈り
(8)うた 「キリストの平和が」

 「テゼの祈り」という儀式で、キリスト教の各宗派の形によらないで、どの宗派でも行える形として第二次大戦後に生み出されたものだそうです。参加者が受入れやすい簡単な構成です。先ず、歌がある。

「シャンティ シャンティ シャンティ 心を込めて 捧げよう祈り 聖なる主に」
この短い歌詞を歌の係が独唱し、その後参加者が合唱します。もちろん強制ではありません。よろしければ一緒に歌ってくださいと最初に案内がありました。そしてこれを4回繰り返しますと言われました。この繰り返しは何回でもよく、日暮れまでやってもいいと説明がありました。私はせっかくだからと一緒に歌いました。とてもよかったです。

次に聖書朗読の係の人が 旧約聖書イザヤ書の一節を朗読します。

次にまた歌を同じパターンで歌います。
「聖なる霊よ 愛の火をともすため おいでください 聖なる霊よ」

次にイザヤ書の別の一節を朗読します。

次にスライド上映です。被災者が作ったと思われる短歌を日本語と英語で書いたものを写し、女の牧師さんが朗読しました。私はお勤めしていると時々感動して涙が出る時があります。漢語の経典でも意味が分かるので、その時の自分の心境に合う語句に当ったりすると不覚にも涙が出たりする。このテゼの祈りは更に涙が出やすい。歌も短歌も現代語ですので感動しやすい。ここで朗読された短歌を紹介します。

・三月の十日の新聞手に取れば 切なきまでに震災前なり

・父母の名をかざし一人で避難所を 回る男の子は九歳という

・明るい内におにぎり食べてローソク一本 毛布にくるまり長き夜を過す

・ランドセル負いたる遺体抱きしめて 自衛隊員泥沼の中

・入学式の返事の中に低い声 遺影を抱いた母親の声

・漁止めの浜は白魚寄せる頃 漁火はるか夢に灯りぬ

・満月が瓦礫の山を上りゆく 閑かなることレクイエムのごと

・号泣して元の形にもどるなら 眼(まなこ)つぶれるまで泣きます

次に5分間の沈黙に入りました。

次に祈りということで、女の牧師さんが自分の言葉で神に対する祈りの文章を読上げられました。我が宗派の儀式では表白(ひょうびゃく)という文章を読む場面があります。この祈りは表白に相当するものだと思いました。

最後に歌です。
「キリストの平和が わたしたちのこころの すみずみにまで ゆきわたりますように」
私のカメラは動画を写せることに途中から気付き録画しました。この歌の部分を見て頂きます。



一回目の合唱で切れてしまいましたが、これが4回続きました。一緒に歌っていると最初の説明にあったとおり、何遍歌ってもいいような気持ちになってくる。そうしてつくづくキリスト教は上手いなと思いました。感情に直接訴えてくるものがあります。江戸時代までは弾圧され明治以降現代語で儀式を作らざるを得なかった歴史がそうさせたという面もあるでしょうが。これが仏教の場合は日本に入ってから1500年以上の歴史があるので、どうしても漢語や古文で儀式が作られていて感情に直接響くことが少ない。うらやましくはなかったがキリスト教のこういう形はとても効果的だと思います。
 そして私達の宗派で念仏を称えよといういうことは、実はここでの歌の繰り返しや沈黙を含んでいるということがわかりました。しかし念仏がナムアミダブツという意味不明な音の繰り返しにしかうけとれない印象を与えてしまうところが我が宗門の難しいところだなと反省させられました。
 さて、私にとってはキリスト教の儀式に自分が参加するなどということは数年前であれば考えられなかった。そんな姿勢ではダメなのだということが段々と頭で分かってきましたが、頭でわかるだけでは不十分でさらに身体でわからなければならない。その機会を設けてもらったことに感謝しています。

 ということで今の自分にとってはよその宗派の儀式を経験することは自分を振り返ることができてとても貴重です。


3 真宗大谷派

 最後に我が宗派です。東北別院の報恩講は次のように勤まりました。

東北別院 報恩講 10月15日〜17日

第1日目
(1)逮夜(たいや) 午後2時
  正信偈 草四句目下(そうしくめさげ)
  念仏讃 淘(ゆり)五
  和讃  弥陀成仏のこのかたは 次第六首
  念仏  五遍反(ごへんがえし)
  回向
  御文(おふみ) 四の十五
  法話
(2)初夜(しょや) 午後5時
  正信偈 草四句目下
  念仏讃 同朋奉讃式
  和讃  十方微塵世界の
  回向

第2日目
(1)晨朝(じんぢょう) 午前7時
  正信偈 中読(ちゅうどく)
  念仏讃 淘五
  和讃  本師龍樹菩薩は 次第六首
  念仏  五遍反
  回向
  御文 三の十一
  法話
(2)日中 午前10時
  正信偈 草四句目下
  念仏讃 淘五
  和讃  生死の苦海ほとりなし 次第七首
  念仏  五遍反
  回向
  法話
(3)結願(けちがん)逮夜 午後2時
  正信偈 真四句目下(しんしくめさげ)
  念仏讃 淘五
  和讃  五十六億七千万 次第六首
  念仏  五遍反
  回向
  御文 御俗姓(ごぞくしょう)
(4)初夜 午後4時半
  正信偈 草四句目下
  念仏讃 同朋奉讃式
  和讃  南無阿弥陀仏をとなふれば
  回向
  法話
  御伝抄(ごでんしょう)下巻

第3日目
(1)結願晨朝 午前7時
  正信偈 真読(しんどく)
  念仏讃 淘五
  和讃  南無阿弥陀仏の回向の 次第六首
  念仏  五遍反
  回向
  御文 三の九
  法話
(2)結願日中 午前10時
  登座(とうこうざ)
  文類(もんるい)偈 草四句目下
  念仏讃 淘八
  和讃  三朝浄土の大師等 次第三首
  念仏  五遍反
  回向
  法話
(3)お浚(さら)い 正午
  正信偈 草四句目下
  念仏讃 同朋奉讃式
  和讃  不了仏智のしるしには
  回向
  御文 二の一
  恩徳讃

 延々と三日間行っていた内容を差定から写しました。一日目2回、二日目4回、三日目3回の儀式があります。三日間で合計9回の儀式になります。それぞれに「逮夜」「初夜」「晨朝」「結願」などの題がついています。逮夜の意味は法事の前夜の準備行事、結願は願を立ててそれが成就した日、などそれぞれの言葉の本来の意味がありますが、ここでは各儀式の単なる名札だと考えてください。儀式の教科書には名前の付け方や日程の組み方など、一応の指針は書いてあるのですが、必ずそうしなければならないという決まりはありません。
 一般に大谷派の儀式はそれぞれの寺の実情に合わせてアレンジして行え、という緩い指針の中で行われます。良く言えば柔軟性のある運用、悪く言えば儀式に対する姿勢に締まりがない。曹洞宗の人が見たらおそらく後者の感想を持つでしょう。

 それぞれの儀式はお勤めが30分前後、そして「法話」とある部分は、講師が1時間程度話をします。この次第を皆さんご覧になると、初めて目にする語句もあるでしょうが、ちょっと説明してもらえばその内容は頭に浮かぶと思います。しかしこれを大満寺の住職に見せたとすれば中身を理解してくれるでしょうか。ふとそう思いました。私が大満寺の差定を解読したように、大満寺の住職もこの差定を解読する手間をかけないと理解できないのではないか。つまりそれぞれの宗派の儀式の表し方は特殊で難しいものなのだということです。

 さて、この次第を眺めてどうですか。同じパターンをちょっとづつ変えて何回も繰り返しているでしょう。三日目の(2)の文類偈は正信偈の別バージョンですので正信偈と同じです。だから9回の儀式で正信偈しか読んでいない。そこで思いました、大満寺でも儀式を何回も行いましたが、読んだお経は事実上般若心経だけといってよく、それを何回も繰り返している。落慶法要では大般若経を読む儀式がありましたが、これは600巻あるので経本をアコーディオンのように開いて閉じて読んだことにする、その時実際に読んでいるお経は般若心経です。我々が正信偈を繰り返し読むのと同じだ、と思いました。宗派というものはどうしてもこういうパターンにならざるをえないのかな、という感慨がありました。

 9回の儀式のうちで法話が6回入っています。うちの宗派の場合は儀式に法話が組み込まれているということが一つの特徴ではあります。しかしその法話が十分機能しているかというと、なかなかそうはならない問題を抱えています。

 今回の法話の講師は中川皓三郎という人で肩書きが前帯広大谷短期大学学長となっていますが、40年近く前私が京都の大谷専修学院という坊主の資格を取らせる学校に行っていたとき、そこで職員をしていた人でした。この人が一人で6回の法話をする。内容は1回毎に全く別の話題というわけにはいかず、どの回も似たり寄ったりのものになる。喋っている本人も段々疲れてくる。さらに聴衆と議論するわけでなし、上から聞かせるという姿勢で喋りっぱなしで終ってしまう。そして「弥陀の本願」とか「お念仏」とか話題を出してそれを説明しようとするのですが、理屈を説明しているようで理屈になっていない。話の中にはとても良い話題も盛り込まれている、しかしその話題が説明しようとする理屈にうまく繋がらないのです。これは中川さんを責めているのではなく、他の坊主が喋っても同じようなことになってしまうことが多い。結果として聴衆は分かったような分からないようなぼんやりした印象を懐く、これもうちの宗派の悪い意味での特徴です。
 私はそれが嫌いでそういう喋り方をしないので他の坊主からは変な奴だと思われています。  

2014/10/21 公開

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