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映画「happy しあわせを探すあなたへ」鑑賞会
2015年2月21日 同朋の会

画像をクリックすると配給元のサイトに飛びます。
準備
2月9日に、次の案内文と配給元から取り寄せたチラシを全門徒に発送した。また境内の3箇所にポスターを張り出した。
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この映画は先月の同朋の会で話題に出したものです。人が幸福を感じるときの内容をさまざまな面から明らかにしているドキュメンタリーです。自分にとって幸せとは何なのかを考えさせてくれます。それはまた仏教の心のあり方と深くかかわってくることでもあります。
この映画は中学生以上の人であれば、見てよかったと思うでしょう。どうぞお気軽に、ご家族・お友達・恋人とお誘い合わせておいでください。
※見ていると知らぬ間に涙が出ていることがありますのでハンカチをお忘れなく。また字幕表示なのでメガネを掛ける方はお忘れなく。
日時 2015年2月21日(土曜日)
13:30 受付開始
14:00 上映(76分)
15:20 休憩
15:30 座談
16:00 終了
料金 1人500円 (当日受付でお支払いください。)
申込 座席を準備するため19日までに参加人数を電話でお知らせください。
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映画の上映は初めてで、機材はいつも使っているプロジェクターとスクリーン、ノートPCを使用した。スピーカーが問題で室内に設置してあるスピーカーとアンプには直接繋げないことがわかった。そこで25年前からあるBOSEのAW-1というラジカセ(というか、スピーカーにおまけてラジオとカセットが付いたもの)が大音量を出せるのでこれをノートPCに繋いだ。
当日
13:30 受付開始
26名参加。
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14:00 上映(76分)
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映画の概要。経過時刻と画像による点描。
(配給元が許可した画像のみ使っているため一部画像のないコマがある。)
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インド・コルカタの貧民街 マノージ・シン 貧しくても幸せ |
イリノイ大学 心理学教授 エド・ディーナー博士 幸福度の調査 |
カリフォルニア大学 リバーサイド校 心理学教授 ソニア・リュボミアスキー博士 幸福度は4割増やせる |
![]() 7:50 | ![]() 9:47 | ![]() 9:50 |
アメリカ・ルイジアナ ロイ・ブランチャード・シニア 大自然に身を置く |
ベイラ―医科大学 脳医学教授 P・リード・モンタギュー博士 神経細胞間のドーパミンの連鎖 |
エモリー大学 精神医学教授 グレゴリー・バーンズ博士 ドーパミンが放出される状況を作る |
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![]() 14:20 |
![]() 16:00 |
ブラジル ホナウド・ファドゥー 波を捕まえる度に高揚する |
クレアモント大学院心理学教授 ミハイ・チクセントミハイ博士 フロー。行為そのものが動機 |
ジャマル 厨房の軽業 |
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![]() 17:00 |
![]() 23:20 |
ダニエル・ギルバート博士 喜びも悲しみも短期間で消える |
メリッサ・ムーディー 大怪我を経ての平安 |
ウィスコンシン大学 マディソン校 心理学精神医学教授 リチャード・デビッドソン博士 逆境は悪いとは言い切れない |
![]() 24:20 |
![]() 25:50 |
![]() 32:10 |
ノックス大学 心理学教授 ライム・キャサー博士 50年で2倍金持ちになったが幸福度は50年前と変わらない |
ブランチャード家 自然の恵み。今日の食事は一銭もかかってない |
日本 内野博子 夫の過労死。無駄を無くすとは人間のゆとりを無くす。 |
![]() 36:00 |
![]() 37:00 |
![]() 39:20 |
ブータン 情報通信省 ダショー・キンレイ・ドルジ 国内総生産ではなく国民総幸福量 |
新経済学財団 幸福センター代表 ニック・マークス 目的は人々に長く幸せな人生を送ってもらうこと |
デンマーク アン・ベックスガード コウハウジング(複数家族の共同生活) |
![]() 44:50 |
![]() 46:30 |
![]() 53:20 |
他を排斥する宗教の例 極度の原理主義者は自分達以外は地獄に行くと信じている |
沖縄 奥島ウシ 106歳 幸福度は長生きにも繋がる |
コメディアン/教育者 マイケル・プリチャード 中学の授業。他者と繋がることで喜びは生れる |
![]() 59:00 |
![]() 1:02:00 |
![]() 1:04:00 |
ナミビア・カラハリ クンダ・ボー 現代文明以前の幸せ。笑う事はとても大切 |
ダライ・ラマ 母と子の愛情。法律でもなく教義でもない。 |
元科学者でチベット僧 マチウ・リカール 愛情や優しさの瞑想。抗鬱剤を凌ぐ。 |
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インド・コルカタ 死を待つ人々の家・ボランティア アンディー・ウィマー 富や栄誉を得て家族を育ててそれで終りか?常に考えていた。 |
15:20 休憩
休憩中に次のような内容のアンケート用紙を配り、終了時に回収した。
happyをご覧になってのアンケート
1 ご感想をお書きください。
2 今後もこのような企画を望まれますか。
(1)望む
(2)望まない
あてはまるほうに○をしてください。
アンケートは26名中25名が提出。
企画に関しては、24名が望むに○を付けた。1名が印しなし。望まないは0。
アンケート感想結果
大変素晴らしい。ありがとうございました。 | 日本も外国もみな同じでよい人わるい人の差が大きい。 |
死を待つ人の家があるとは驚きました。 | 好きな事が出来ている今を幸せと感じます。経済最優先の今の日本に? |
幸せは自分だけが幸せではいけない。みなさんと共に分けあっていければと思います。 | 一番むずかしく一番かんたんなことだと思いました。世界のいろいろな幸があると感じました。 |
幸せは自分自身で作るものであること。そして自分が幸せと感じる事そのものが幸なのである。小さな小さなことでもそれなりに喜びを見つけられる事が幸せなのかもね。 | 改めて幸福とはどういうものか実感しました。幸福は物や金ではなく何かをしてあげる事により得られるものかなあと思いました。人生を考える上で大変参考になりました。 |
幸福は自分の心のあり方で感じるものだと思いました。”情けは人の為ならず”人を幸福にすれば自分も幸福になれる。とても勉強になりました。幸福になるためには努力も必要。 | 日頃漠然と生きている自分に気づきました。この機会に自分なりに幸福について周囲を見まわし考えたいと思った。 |
幸せとは金持ち、食べ物豊富、または旅行等ができることが満足感があってこれが幸せかなあと思っていたら、世界各国の人との交流、皆仲良くして暮らしていける事がHappyと感じました。 | 幸せは地位や名誉とかお金でなく日々家族、友達、周りの方とふれあい小さな助けあいをしながら苦労のあった方が幸せを強く感じるということが意外に思いました。 |
世界五大陸の幸せに生活している人々、長い生を幸せに送っている家族を見た。現在の日本国内で生活している子供や家族、親類、町内、市内で自分の生活に合せ出来るだけお互い助け合い、協力していけばかなり幸せな生活になるのではないかと思います。 | 上を見ればきりがないのに上ばかり見上げている現在の自分に少しいやけがさす。日本の親子が常に離れて暮らさなければいけない現状も、社会組織なんとかならないものか? 人の幸不幸はその人でなければわからないものだ。 |
「幸せ」→きずな 私達のまわりにあまりにも少なくなったような気がします。昭和の時代にあった良い所を残したいです。後もどりではなく、ふみ石?にして前に進みたい。自分に与えられたものを幸として受入れられたら。ありがとうございました。お茶のおいしさ忘れません。 | 今日ちょうど私の主人の月命日でした。私が元気で居ることが主人が安心して休んでいられると自分に言い聞かせて生活しています。今日すばらしい幸せとはなにかとの勉強をさせてもらいました。ありがとうございます。 |
個人個人それぞれのいろいろな幸せがあり、身近な所にあるものなのだと改めて感じました。気持ちの持ち方で幸せを感じられる。大変勉強になりました。人とつながって生きていく事が大切なのだと思いました。 | 幸せの価値観について改めて気付かせて頂きました。反面、物資に恵まれている日本では本当の幸せを感じることが難しいようにも思えます。小さなことに感謝し感動できるよう感性を磨きたいです。 |
幸福とはむずかしい。しかし自分の好きなことをしている時は時間を気にせずいつまでもでき、食事を一回ぐらい抜いても気にしない。同じ事をする仲間と事をなしとげた時などは達成感があり幸福と感じる。 | 幸福とは各自違うと思うのですが、いかに自分が満足するか、何が自分にとって満足できるかを反省させられ、家族、友人地域社会等の人達との交流がどうあるべきか、今の自分が幸福かを考えさせられました。 |
正直、涙々の映画と聞いていたので、出席するかどうか迷ったのですが、この度、鑑賞させていただきよかったです。ありがとうございます。常々思っていたこと、感じていたことを、やはり、という思いで確認させられた気持ちです。自分の考えていることに少し自信を持ちながら前に進みたいと思います。 (むずかしいことはないと思います。自分の出来ることでよいのだと思います。) | それぞれ人によって「幸せ」の尺度が違うという事に気づかせられた。(今まで以上に) 他人から見れば幸せな人だと思っても本人は気づいていない人もいっぱいいる。どこまでが「幸せ」であるという決まりがないからであろう。私は普通に暮らしていけるのであれば「幸せ」と思わなければならないし、日本に生まれて本当によかった思っている。そして気持ちを明るく生活していければと願っている。 |
15:30 座談
住職 30分ほど座談の時間とします。今日上映したのは日本語吹き替え版でした。これは映画の配給元に申し込むと送られてくるものです。そして上映が終ったら返さなければいけない。ここではDVDも売っているのですが、売り物の方は吹き替え版ではなく字幕版です。ですから皆さんが買おうと思ったときはそこを注意してください。
さて私はこの映画を最初にインターネットのデモクラTVで観て、それからDVDを買いました。しかしDVDは観ておらず、その後今回の鑑賞会を計画しました。そして今日、皆さんと一緒にもう一度観たので、2回観たことになります。今日2回目を観ながら結構忘れていると思いました。最初に観たのが1月始めでしたので、一月半くらいで随分忘れている。一回観たかぎりで終ってしまうと取りこぼしがかなりある。つまり相当内容の濃い映画だと思います。だから一遍観ただけでは十分でない、何遍か観ないともったいない。
その忘れていたことの一つが、宗教の悪い部分の問題が出ていました。ユダヤ教徒がイスラム教徒を排斥するとか、あるいはイスラム教徒がキリスト教徒を殺せと言うとか、ヒンズー教徒がイスラム教徒を殺したとか、そういう場面(44分のあたり)が少しだけ出ていましたがそれをすっかり忘れていました。解説する科学者が言っていましたね、この人達は普通の人より不幸だと。
そして私がこの映画を最初に観たのは1月の始めで、イスラム国による日本人首斬り事件はまだ起きていなかった。ところが2月の始めに事件が起きて、その後の今日もう一度この映画を観ることになりました。そしてこの映画が予期せずに彼等の振舞いを言い当てている。
私達はこの映画で言っているように幸福感を持ちます。しかし今回の事件のように凄まじい事をやらかされてしまうと、幸福の土台といったようなものが根っこから崩されるような気持ちになってしまう。日本にテロリストが入ってくるのでないかとか、日本政府はなんてぶざまな対応をしてくれたんだとか、そういう不安や不満に乗ってしまう。そうすると自分が幸せだと思っていたことが、根拠があるのか、といった疑いが芽ばえる。
でもそれはやっぱり違うなと、今回この映画をもう一度観て思いました。やはり、あのような事件を起す連中はどこか根本的に間違っている。それが国家規模での紛争になってしまってアメリカや日本がやっつけようなどという。そうすること自体が無理な話で、武力のぶつかり合いでは益々事態が悪化していくだけでしょう。そういう世の中の雰囲気にあると、自分のささやかな幸せの基盤が無力になるような感じがある。そういう弱気になりがちですがこの映画を観ると、やはり違うな、ともう一度自分が基本とすべきところに帰りますね。
つまり個人の幸福感がしっかりしないかぎり世界はしっかりしない。すなわち、あのような気狂いじみた行為よりも自分が充実して幸せになるということが重要だともう一度思い返す。
映画の構成は仏教の話題も出て来ますが特に仏教に関係あるというものでもない。しかし、映画で言っていることはお経で言っていることと同じと思います。浄土真宗とか曹洞宗とかの宗派の違いにこだわると対立が起きる。同じ事をキリスト教徒やイスラム教徒の間で起す。これらはいわば幸福感の無い宗教者です。それをもう一度それぞれの宗教の本来の立場に戻さなければいけないと思う。真宗の言い方では阿弥陀仏は世界中のどんなところにでも現れる、現れないところはない、と言うのですが、ではどこに現れるかというと人の心の中に現れる。それがここで言う幸福感です。伝統仏教はそれを覚りとか信心という言葉で表わしてきましたが、この映画は現代語で表わし科学的な見せ方もして見事だと思います。2回目に観た私の感想でした。皆さんの感想やご意見をお願いします。
小島二郎 色々な宗教があって日本の場合だと仏教ですが、神道も昔からあった。根本的には人間の幸せを問題にしているのではないかなと思います。神道にしても仏教にしても。心の軸は自分の幸せを感じるところにある。それを外れる宗教は人の道に外れる。幸せは人によって違うと思うのですが、自分一人ではなく家族や地域の人や友人と仲良くすることが幸せに通じるのではないかと感じました。自分だけとか家族だけとか言う人が多いですがもう一度そのへんを考えてみたいと思います。
住職 ありがとうございます。小島さんに的確に言って頂きましたが、みなさんも同じような感想と思います。
吉田忠子 今のお話と重複するかもしれませんが、幸福感を持って毎日を過すことが大事ですね。その幸せは自分から進んで作っていくものである。自分が幸せと感じることそのものが幸せなんだと。自分が感じなければ、はたから幸せそうに見えても幸せではない。小さなことでもそこに喜びを見つけることができれば幸せでないのかな。そういうものは自分で見つけなければならない。
住職 そこで質問なのですが、そういうものを見つけようとして見つけられずに人は悩むと思うのですが・・・
吉田 例えば植木鉢を100円で買いますね。蕾になり花が咲いたとき、ああ咲いたのかと素通りするような気持ちでは見つけられないですね。わぁ咲いたと喜ぶ気持ちがないと。
住職 映画の中で科学者が「例えばジョギングのコースを変えてみる」と言っていましたがそういうところを指していると思う。言葉だけ聞くと何言ってんだ、といった印象になりますが。映画では色々な面から指摘していますが、我々の毎日の生活では当たり前すぎてそこに気づくのが難しい。
橋一 私が感じたのは財があってもなくてもこれは幸不幸ではない。また映画の中の事故のように不幸の中にあっても、その都度進んでいけば満足感が出てくる。地位があってもなくても幸不幸に関係がない。幸福というのは自分で作っていくものだと感じたわけです。その他に言うことがない。(一同笑)
水戸武 それぞれの国によって生活の違いがあるが、家族の和とか思いやりを持つことが幸せになるのではないか。
住職 今のマスコミやニュースなどを見ると、この映画のような見せ方とか言葉の使い方をしませんね。国と国がぶつかった、自国民を助けるにしても、助けに動く人のことではなく助ける制度を話題にする。あるいは国のメンツを問題にしたり。命が大切だとか言うが、言っている本人が命を大切にしているようには見えない。本人の気持ちが伝わってこない。そういうところが我々の社会の問題のような気がします。この映画のような見方がマスコミにもう少し広がれば、同じ言葉を喋っていても受け取り方が違ってくると思うのですが。
橋 映画の中でイスラム国のような問題が出てきたが、それも幸せに入るというようなことを言っていたように見えるが・・・
住職 異教徒を排斥するとか、殺せとか言っている部分ですか。それは幸せには入らないと映画では説明している・・・
橋 そうだとしても、本人達にとってはそれが満足になる。そういう考えが理解できない。
住職 つまりそういう考えに凝り固まっている人達ですね。その考えにしがみついて自分は幸せだと思い込んでいるということでしょう。その代わり人を殺すわけだ。殺さない人も出てきたが。
仏教には十善戒という言葉があります。皆さんの中には曹洞宗の檀家さんもいらっしゃるかもしれませんが、曹洞宗では戒はなじみのある言葉だと思います。逆に真宗は戒という言葉をほとんど使わない。ただし戒は仏教共通の言葉です。戒とはやってはいけないこと、という意味です。曹洞宗の葬式に出ると、亡くなった人に戒を授けるという儀式がある。また仏教の教えのことを戒法と言う。つまりやってはいけないことを守りなさいよというのが佛の教えだというわけです。我々の宗派はそういう言い方をしないのだが根本は同じです。さてこの戒が十個あります。その一つに不殺生戒というものがある。生きものを殺してはいけない、という戒です。
この解釈には難しい問題がありまして、どんな生きものをも殺してはいけないととらえると、自分は食物がなければ生きていけないのだが、植物も動物も殺してはいけないということになると、そもそもそんなことは守れないという考えになります。しかし不殺生戒の本来の意味は、自分が生きるためには他の生きものを殺さざるをえないということを認めたうえで、不要な殺生はするな、人を殺すなということです。そして要点は人を殺すなということです。人を殺したら地獄に落ちます。これは仏教のどの宗派でも当たり前のことです。いくら立派なことを言っても人を殺したら全然ダメです。イスラム国の首切り人はそれをやっている。
小島 人を殺す動機は時代によって違うと思う。例えば戦国時代に黒澤明の映画の「七人の侍」のような状況で、人を殺さなければ自分達が生きられないとなったら、殺さざるをえない。現代のイスラム国をめぐる状況でも、自分はやりたくないのに殺さざるをえない、あるいは強制されて殺さなければならない人がいると思う。そういう人達は人を殺すことによって自分は天国に行けるとかいった宗教的な考えを刷り込まれている。だから地域とか時代によって感じ方が違うと思う。
住職 今仰ったことで注意しなければならないことがある。自爆テロなどで自爆して人を殺して自分が死ぬことと引き替えに天国に行ける、とまあ言い含められて実行すると思うのですが、その考えは間違いです。おそらく本来のイスラム教はそんな考え方はしないと思います。つまり今の現実に生きている我が身を殺して、別のもっといい世界に行くという考えは、宗教のふりをした嘘つきです。仏教の場合、覚りを得るということは生れ変わって覚りを得るということではありません。今、覚りを得なければならない。そして覚りを得たら生まれ変わった後まで責任を持ってしまう。そこが難しいのですが、たぶんキリスト教でも同じような考え方だと思う。神との関係は死んでからできるのでなく、今、神との関係がどういうものかがはっきりと解るというのが核心だろうと思う。そして、今覚りを得るとか、神との関係が解るとかいうことは、この映画で言っている幸せを得るということと通じていると思う。
水戸 イスラム国に行くような若者は、自分の国で生活が苦しい立場に追い込まれいる人が多い。だからそれぞれの国がそういう若者の境遇を良くしてあげないといけない。
住職 そのとおりですね。そして、あの地域はそういう状況になるまであと何十年、何百年とかかるような泥沼に入ってしまったと思います。
村本忠子 私は今日友達を4人お連れしたのですが、そのうち3人は町内のボランティアで毎月一回お年寄り達のお茶飲み会のお世話をしている。そのために事前に何回か集まって準備をしなければならない。めんどくさいな、七十になったから自分も世話してもらうほうに入ろうかななどと考えていたりもしたのだけれど、お婆ちゃん達の中に入って話していると「私ねぇ、ここに来るのを指折り数えて待っているの」と言ってくれる。「本当に楽しいの。家では嫁もいるけど働いていて、日中はひとりぼっちだから」
その人はもっと元気なときはお裁縫が好きで色々なものを縫って作っていたが今はできなくなってしまった。友達もみんな歩けなくなって来れなくなった。そしてお茶飲み会を指折り数えているという言葉を聞いたとき、ああ本当に喜んでくれている人がいるんだなと思った。だからお世話する私達も頑張ろうか、と。みんなそれぞれ忙しいのだけれど。この間井伊さんの泉ヶ丘のサロン会にもお邪魔しました。そういうことも幸福なのかなと思います。
吉田 幸福ということからちょっと外れるかもしれませんが、インドのコルカタの場面がありました。あの貧しさの中でも幸福があるということを表わしているのは解ります。でも私はこれを見て今の日本の良さを再発見しました。日本は戦後から色々ありましたが、あのような生活は全国どこからも消えてしまった。生活のレベルが全国で上がった。そういう日本のすばらしさを感じました。
住職 今のお話に付け加えると、販売用DVDには特典映像というものが付いています。制作者は監督がアメリカ人ですが、もう一人日本人がいます。実際はこの二人で作っているようです。特典映像にその人が喋っているところがあります。その中でこの映画を観た日本人の感想が「ちょっと日本に厳しすぎるのではないか」と言われた、と語っています。つまり日本のいい面もあるのにそれを出さないで――沖縄は出しましたが――過労死の問題を出した。という意見があったそうです。
吉田 インドの貧困の中での幸福の例が悪いということではないですよ。でも日本はああいった生活環境がない社会を築くことができた。
住職 そういう恵まれた状況に我々はいるということを感謝すべきなのですね。
吉田 感謝して生活する。その辺にも幸せを感じていく。そうするとなお良い。