ホーム > 雑文・文献・資料 > 立川談志の生死観
立川談志の生死観
2015年1月17日 同朋の会
今年最初の話をさせて頂きます。皆さん年末年始はいかがだったでしょうか。修正会ではあまり年末年始という気がしないという話をしたのですが、あっという間に一月半ばになってしまいました。色々複雑な思いがありまして、今日はとりとめないかもしれませんがその辺を話します。
父が昨年11月に亡くなってからとにかく忙しかった。報恩講も行わなければいけない、葬式も行わなければいけないということで、次から次へとやるべきことをこなして、一息ついたらもう12月の半ばになっていました。そうするともう修正会の準備をしなければならない。そして修正会が終りました。そうしたら、身体の疲れはとれたのですが、気持ちの疲れといったようなものが残っている。積極的に何かをしたいという気にもならず、しかし何もしないで寝てようかという気にもならない。寝不足というか、深い眠りに入れない。といってうなされるということでもない。母が亡くなったときも似たようなことがあったのですが。母の時は泣いたのですが今回の父の時は泣かなかった。だからといって思いが母に対して重く父に対して軽いというわけでもない。いなくなったことについての影響の度合いはたぶん父の方が大きい。気持ちの中に重いものが乗っかってきたようで、そういうことがまとめきれていない。たぶん家族も同じような気持ちだと思います、改まって喋ったことはありませんが顔つきをみるとそう思います。そういうことで家族みんなで疲れたという感じで年末年始が過ぎてしまった。たぶんみなさんもご家族を亡くされてそういう気持ちを経験されていると思います。
そういうことで、私が仕事としてこうして皆さんの前で喋る口調と、毎日の生活の気持ちというものがかけ離れているところがある。皆さんの前では喋らなければならない、と気持ちを奮い立たせている面がある。仏教は生きるための根本的な教えだといったようなことを偉そうに言う、そう言いながら自分の家族が亡くなった状況になると、なかなかそんな立派な気持ちにはならない。そういう気持ちのありかたは何かおかしいのではないか、と最近常に思っています。自分の気持ちにないようなことは言わないようにしているのですが、最近それがますますはっきりしてきた。
しかし、そういう今の落ち込んだ状態とは別にやはり坊主の仕事をしてよかった、ここまでのことが解ったのだという経験があります。それは我が宗派の言い方では「信心を得る、阿弥陀仏の本願を信ずる」という経験、これは仏教一般の言い方では「覚りを得る」ということです。そういう経験が私にはあります。それはいつ頃だったかというと40歳頃です。そのときお釈迦様の覚りはそういうことなのか、と解った経験がありました。その経験があるから今もこうして坊主をやっていられるという自信があります。その経験は言葉にはできないものですが、求め続けてそこに到達した。それが支えになっているし、皆さんに何とかお伝えしようと今までやってきました。その立場は今でももちろんあります。しかし、現在の落ち込んだ状況では「信心を得た」時の感動を呼び起こすことがなかなかできない。よその「修行」を行うような宗派はこういうとき感動を呼び起こすことができるのでしょうかね、私共の宗派には修行という考え方がほとんど無いのでよくわからないのですが。例えば坐禅を組むと心の解放感を常に味わうことが出来るのでしょうか、よくわかりません。しかし、坐禅とか瞑想といったものはよその宗派によく見られます。そしでそこに属する人達が言う覚りと私の経験が大体同じだなということは分かります。
さて覚りの経験があるのに、なぜ自分の落ち込んだ気持ちを何とかできないのか、と考えてみました。我々人間というものは一人では生きていません。覚りを得るということは一人の人間の経験ですがそれは他の人々と共に生きている中で起こることです。そういう経験は宗教が違ってもキリスト教だろうとイスラム教だろうと同じような仕組になると思います。難しくて面倒な話をしてすいません。後で少し面白くなるからガマンして聞いて下さい。
そうすると何が問題になってくるかというと、私が40歳頃に得た覚りの経験はどうしてそこに到ったかというと、先ず寺に生れたということがあります。そしてお釈迦様の覚りはどういうものかと考えるようになる。またみんなとの関わりを考えるようになる。それは人間の歴史を考えるということでもあります。覚りを求めるということと、その自分が人間の歴史の中にあるということは切り離しては考えられない。そんな私にとって問題になった歴史の象徴的なものをまとめると次のようになります。
アウシュヴィッツ・ユダヤ人大虐殺。知ったことを後悔するほどの衝撃を与える出来事ですが、知ってしまった以上なぜこんなことをしたのかという疑問から離れることができなくなります。殺された600万人の怨み・憎しみ・悲しみをどうするのか、お釈迦様の覚りはこの悲劇と関係がないということはできないのです。こんな面倒くさいことを考えないで自分の覚りだけを得たいということはできない。だから40歳くらいのときに自分の覚りを得たと思いましたが、ではアウシュヴィッツの悲劇をどう受け取るのかという疑問が解決できないままにずっと残ったのです。
同じ問題として広島・長崎の原爆による殺戮がありました。
その後、アメリカの9.11、それが引き金となってのイラク戦争が大ごとになって今も尾を引いている。正月早々なんでこんな話をするのかと思っている方もおられると思いますが、先ほど言った憂鬱な気分とどうしても切り離せないので勘弁してください。
阪神大震災がありました。
そしてついに3.11大震災と原発事故が来ました。
お釈迦様の覚りはこういった悲劇をどうしてくれるのか、という思いが常に私の頭にありました。しかし個人的に得た覚りの経験は間違いがないという思いもあります。それをどう折り合いをつけるべきか。親鸞の言い方をすれば、自分が信心を得たら回りの人々にそれを勧めて信心を取らせなさい、そうして信心を得た人々が増えるだけ世界は平和になりますよ、ということになるのでしょうが、現代は逆の方向に向かっているように見えます。そういう気分が年末年始の無気力に影響しているのだな、ということが今回皆さんに話す内容を考えていてわかりました。以上は社会的な惨事ですがその中で7年ほと前に母が死に2ヶ月ほど前に父が死んだわけです。私の父母の死と社会的な惨事とは常識的には別のこと、関係があまりないように見えます。しかし私は関係があると思います。つまり父母もその世代として社会的な惨事を見聞きしてきたわけですから、私と同じような問題を抱えていたと思います。そしてそれは皆さんも同じでしょう。
母はリンパ腫という癌になって長くて七年の命と言われました。癌の治療を始めたのですが治療の強烈な副作用で体力が急速に衰え肺炎になって、治療開始後一年で死にました。だから治療しなければ多分七年は持ったということです。その母を見て思ったことは、現代では癌は誰でもなる可能性のある当たり前の病気になった、しかし癌になることへの強い恐れをみんな持っている、そして癌になったら絶対治さなければいけないと思っている。そういうことを反省するとこの癌に対する脅迫観念は現代人の精神病でないのか、と思ってしまうのです。極端な意見ですが。そうして母が癌になった原因には上に述べた社会的な惨事が含まれていると思うのです。
次に父についてですが、5,6年前にアルツハイマー病になって身体機能が段々と衰えてきて、最終的に肺炎で亡くなりました。私は葬式の会葬御礼に次のような文を書きました。「祐盛(父)の認知症発症後の経過を省みると、世を儚(はかな)んだ結果ではなかっただろうか、と感ずるところがあります」
つまり自分が生きている世の中に対して喜びを見出せなくなったと思うのです。そうして私の推測ですがアルツハイマー病になる人の多くがそういう状況で症状が悪化していくと思います。なぜそうなるのか。父は満88歳で亡くなりましたが、世間には90歳を過ぎても溌剌としている方もいらっしゃる。だれでも長生きしたらそのようにありたいと思うわけですがなかなかそうはならない。父の場合はやはり経験した歴史を背負っていてそうなってしまったのかなと思います。会葬御礼には父が経験した海軍生活の話も載せましたが、父の背負った歴史を知って欲しいという意図でした。
まあ、年末年始、いろいろ反省して落ち込んだ状況はこんなところでした。次にこういった問題をどうとらえ、取り組んでいったらいいのだろうかということを話します。
(休憩)
さて我が家では朝日新聞と日経新聞の二紙を取っています。しかしここ二年くらいはまともに新聞を読もうという気力が起きませんでした。なぜかというと父の世話――負担の多くは坊守と娘にかかりましたが――で毎日の生活が組立てられ過していると、新聞を落ち着いて読もうという気持ちのゆとりがなくなってしまいました。新聞は開かないまま積まれ資源回収に出していました。ところが不思議なことに、父がいなくなり、年も明けてのここ一週間くらい、読む気力が戻ってきて毎朝二紙に丁寧に眼を通すようになりました。そういうことからも自分達に大変な負荷がかかっていたのだなと気づきました。
私はテレビは新聞と違ってほとんど見ません。しかしテレビから得るような情報はインターネットから得ています。
その中の一つにデモクラTVというものがあります。ここでは放送したものが全て録画で残されているので自分の都合の良いときに見ることができます。ここは有料で月五百円かかります。内容は政治的な立場でいうと左寄りと言えますが、NHKや民放大手が流さないような話題を掘り下げて流しているのでとてもためになります。ですから私は政治的立場は別にして、普通のテレビではまず流さない情報を得るものとして重宝しています。しかし父の症状が悪化してくるとこれも見る気力がなくなりました。それが新聞を読む気力がまた出てきたのと同時にデモクラTVをまた見るようになりました。そして修正会が終ってから溜まった番組を毎日見ていました。老眼で一日中見ているものですから、眼が充血して見えなくなって大変でした。(笑)
その中で次のドキュメンタリー映画が紹介されました。
「ハッピー」
2012年/76分/アメリカ
監督 / 撮影監督 / プロデューサー ロコ・ベリッチ
デモクラTVではこれを一月二日から五日まで期間限定で公開しました。内容は人間の幸福感や幸福度はどこからくるのだろうかということを世界中に取材して明らかにしていくものです。
例えばインドのコルカタ(昔はカルカッタと言ったところ)の貧民地区で暮らす家族が出てきます。家長は人力車引きをしています。我々の生活から見るとこんな最低の生活で喜びなどはないだろうと思ってしまうのですが、この家族は幸福なのです。近所ともとても仲良く暮らしていて自分は生きていることが幸せだと言います。
反対に先進国で高額の所得があり地位も名誉もある人の幸福度が低いといったこともあからさまにしていきます。先進国ではそういう人間になることを当たり前とし、子供達を教育します。しかしそういう人々の幸福度は驚くほど低い。
日本も取材しています。良い例と残念な例の二つが出てきます。残念な例は夫婦子一人のサラリーマン家庭に起こります。旦那さんはたぶん自動車会社で設計に携わっていた人のようです。この人が過労死してしまうのです。そして残された奥さんに対するインタビューが紹介されます。良い例は沖縄です。沖縄の老人や子供達の幸福度は非常に高い。
そういうことを科学的に分析して紹介する。幸福だと感じるとき脳の中に麻薬と同じような物質が分泌されるのだそうです。西洋人の科学者が自分のそれまでの境遇や地位を捨ててチベット仏教の僧侶になった例も紹介されていましたが、この人が瞑想状態に入るとその幸福度を増す物質が脳内に広がる。それをCTのようなもので撮っている。だから物質的な面からすると覚りを得るためには麻薬使えば良いのかといった身も蓋もない言い方にもなりかねないのですが、そういう話ではなく人間は物質として身体を持っていますから、精神の変化が物質的にはこういった変化として現れるととらえるべきだと思います。つまりこういった測定によって精神の変化が良く分かるということです。
その測定をしていたアメリカの学者が「幸福感のない人はアルツハイマー病になっていく」と言っていました。それは父の場合で私が感じた印象と同じだったので、やっぱりと思いました。人間は自分の心によって脳の老化やアルツハイマー病を呼び寄せたり、反対に遠ざけることもできるのだなと思います。父の場合は戦争の経験も含めて心にマイナスの要因が溜まっていったのだと思います。そういった私の経験から得た結論を別の視点から分かりやすく説明してくれた映画でした。
さらにデモクラTVの別の番組に移ります。「新春デモクラ演芸会」。この中に松元ヒロという漫才師が出ていました。私は漫才や落語に全く興味がなかったので当然ながらこの人は知りませんでした。しかし息抜きでこの番組を見ました。そうしたら松元さんの漫才がとても面白かった。そのさわりをちょっと観て頂きます。
私をテレビで見たことないでしょ。私も出たためしがありません。言っときますが私の方からは一回も断わったことはありません。私がやるネタはテレビにふさわしくないようで。私は紀伊國屋ホールというところで春と秋ライブをさせてもらっているのですが、ここにテレビで見れないネタが見れるということでテレビ局の人が来るようになりました。この前は四つのテレビ局の人が観に来ました。NHKも来ました。俺もやったと思いました。終ったらNHKの人が楽屋に飛び込んできて「いやー松元さん、とっても面白かった。絶対テレビに出せない」(一同笑)といって帰って行きました。・・・・
そういうネタを今日やるのですが、やっていいですか。(一同拍手)
・・・・
お正月ということで日本はおめでたい。おめでたいですよ、昨年同様おめでたい阿部政権です。(一同沈黙)
・・・笑いましょうよ(一同笑)
第三次安倍内閣です。私はこれを聞いたとき大惨事?と思いました。(一同笑)
この調子でどんどん炸裂していきます。見終わってちょっと元気が出ました。この通り政治や戦争などの話題を遠慮無く喋るのです。大した人だと思います。これで私は漫才に対する見方を改めました。そこでさらにYouTubeという別の画像の投稿サイトで松元さんの映像を探して観ました。そうしたら松元さんは立川談志の弟子的な立場になっていたということがわかった。立川談志なんて「笑点」の印象くらいしかなくもちろん興味を持ったことなどなかった。しかし松元ヒロがこんなに面白いのであれば彼が尊敬する立川談志はどんな人なのだろうという興味が湧いて、次に立川談志を調べはじめました。
そうしたら凄かった。落語の天才と言われた人のようで、しかも世間の毀誉褒貶が激しい。本人は非常に深い人生観を持っている。1936(昭和11)年に生れて2011(平成23)年11月に喉の癌で亡くなっている。晩年癌のために声帯を摘出しなければならないと言われたそうですが、それには決して同意せず、声の出る限り落語を続けたようです。YouTubeには立川談志の映像もたくさん上がっています。その中で東京MXテレビというローカル局で「談志陳平の言いたい放題」という番組があったのですが、その映像が何本も上がっていた。内容は馬鹿話やら政治の話題やら幅広く歯に衣着せずかなり過激です。その中で立川談志はとても鋭い考えを述べている。びっくりしました。この人は昭和11年生れで東京大空襲に遭遇しているのです。その経験が根底にあって落語家の談志が出来上がっている。それが人を引きつける魅力になっているのでないか。その空襲体験を話した映像がありますのでご覧下さい。
立川談志の戦争体験−東京大空襲−(抜粋)
多摩川べりにいた。いつもB29が来て、どちらかにそれていっていたが、今日はこっちにくる。防空壕から飛び出して逃げはじめた。母と弟と三人で。山の方に行こうとしたら山は危ないからよせと言われた。川べりを逃げる途中、足がぐしゃぐしゃに潰れた人などを見たが、極限状態なので、かわいそうだという感慨もない。川の中からは「助けてくれよー、助けてくれよー」という声が聞こえへりの方からは「助けたくとも行けねぇんだよなぁー」という声がする。マネキン人形の首をすぽんと取ったような死体も見た。土手に大きな穴が空いている。焼夷弾が落ちた跡だ。母親は「同じ所にはまず落ちないだろう。ここに隠れよう」「僕恐いからいやだ。」それではと麦畑の畝の窪んだところがありますが、そこに母子三人伏せて、B29の爆撃の轟音が過ぎ去るまで待っていた。終って三々五々土手の上に行ってみると、逃げるときに私は漫画本を持ってきていたのだが、それが対岸の火事で読めた。町内会の軍人上がりの会長さんがいたが、その人の前で私は「ちきしょう、ちきしょう、こんちきしょう」と言っていた。母親がこの子おかしくなったんでしょうかと会長さんに聞くと「そういう気になるでしょう。なりますよ、子供でも」と答えた。「アメリカのちきしょう」と。エイプリルフールということがありますが、最大の嘘をこっちは経験させられた。日本は負けないという嘘を。その時の子供心に普通の感情の延長では考えられないような状況を生み出していた。
・・・・
(アメリカが上陸してきたら)男は金玉抜かれて女はみんな強姦されると聞かせられた。それは逆にてめぇら(日本)が勝ったらやることだからそんな噂が流れたんだ。インディオみたいに素直に受入れてしまう民族だったらそんな噂は立たない。友人からものすごい話を聞いた。自分の母親が燃えているのだそうだ。焼け焦げになるのではなくボーボーと燃えているんだと。
談志陳平の言いたい放だい 2008年3月15日放送(抜粋の元映像)
この通り、口は悪いが言い方が鋭い。米軍が来たら男は金玉抜かれて女は強姦されるという噂に対してそれは自分達が勝ったらやることだから言ったのだというところにはどきりとしました。インディオみたいにというのは十六世紀にスペイン人が南アメリカのインカ帝国を征服したことを指していると思います。インディオはスペイン人を友好的に受入れたのですがスペイン人はインディオを奴隷にした。そういう対比を一言の中に込めている。言葉の一つ一つに裏付けがある。国会議員だった時期もあるのですが、無所属で当選してその後自民党に入っている。だからといって右寄りかというとそうでもない。この番組では自民党も共産党も歯に衣着せず批判している。この人のお別れの会では色々な有名人が弔辞を述べたそうですが、石原慎太郎の弔辞に始まって松元ヒロの漫才で終ったそうです。右で始まって左で終った。付き合いの幅がとても広い面白い人です。
さてこの人の考え方を作っているものに私が得たお釈迦様の覚りが太刀打ちできるのか、と考えました(笑)。ちょっと難しいのではないか。この人は無宗教でしかし戒名は自分で付けている。立川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)。(一同笑)
坊主などに葬式を頼むのはとんでもないという。坊主なんか高い銭を取るばかりで、悩める者来たれと言って門戸を開いている寺があるか、と言っている。それに対しては「あんた付き合った坊主が外れだったんだね」と言いたい気持ちはあるのですが(笑)。
さらにこの人は自分の人生観を述べています。普通人生の目的を問われると世の中の役に立つ者になりたいとか、自分の目的を達成することだとか、答えると思いますが、この人の場合は「人生は時間つぶしである」という結論に達している。見方によっては虚無的な結論です。意味のあるものなど一つもない。
私は他の人がこの発言をしたら、批判するかもしれませんがこの人の場合には反論できない。なぜかというと大空襲の経験をこの人はしていて、人生を無意味なものとして終らせざるを得ない人々を目の当たりに見ている。そしてこの結論とほぼ同じことを実は仏教も言っているのです。名利(名誉と利養(富))を得て人生を全うするという考えを仏教は否定します。そもそもそういうものは虚しいものだと言います。大谷派の明治の偉人である清沢満之(きよざわまんし)も「パンの問題に奔走するなど馬鹿げたことだ」と言っている。パンとは名利のことです。だから私は立川談志のこの言葉に共感します。彼は癌が進行してからは自殺願望があったようです。しかしそう言いながら声の出せる限り落語を演じようとする。その落語はとても感動的です。そうすると、この人は現代の宗教の外面には拒否反応を示しているが心の深い所ではお釈迦様の覚りに近いものを持っていると私は判断しました。しかし、そこまで話を通じさせるのは難しいことだろうな、とも思います。そしてこの人自身は宗教の素養が無いので宗教の言葉を使えない。使うのは落語の言葉です。そして私のような立場の者はこのような現代人とどう通じ合えばよいのだろうか、と考えさせられました。そういうことに我々坊主は対応できないとやはり坊主なんていらないということになってしまうでしょう。
さて仏教は立川談志と同じように人生は時間つぶしだと言うのですが、しかしそれを越える立場もあると言ってくる。そうしてその立場を得なければならないと言う。談志はそこまでは言いません。多分談志の言葉ではそこまで組立てることはできないでしょう。
以上、私にとってはとても重要な問題を話したつもりなのですが、どこまで皆さんにお伝えできたかわかりません。
2015/01/19 公開