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2016年3月20日 春彼岸会法話「老いの功徳」
私は3月16日が誕生日で今回60歳になりました。国民年金を支払うのが誕生日の月までということで今月が最後になりました。年金を支払わなくてもよくなるのかとほっとする面があるのですが、また私の若い時の記憶を思い出しました。私は高校では山岳部だったのですが、先輩後輩や顧問の先生との関係が結構強いところでした。その顧問だった先生が還暦を迎えるということでみんなでお祝いをしました。先生は赤いちゃんちゃんこを着ていた。ずいぶんな爺様だとその時は思っていましたが、自分もその年になってしまった。なってみると、気持ちは年を取らないものですね。赤いちゃんちゃんこを着るなんて嫌だと思っている。70になっても80になっても嫌だと思うのでしょうか。
年を取った時の感じ方が昔とは違うのか。今の世の中は老人とはなかなか言わないですね。老いというものをはっきり口にしない世の中になっているのではないか。今日は年を取るということについての話です。
私はこの年になって習い事をしています。恥ずかしながらそれをお話ししようと思います。
習い事の一つはピアノです。別棟の一階にアップライトピアノがあり先生に月2,3回程度来てもらっています。習い始めのきっかけは娘が習うついでにというものでした。もう15年位習っています。レッスン日以外の毎日の中で練習しているかというと、そんなことはほとんどなく練習が嫌でしょうがない。だからピアノに触るのは習う日だけです。これでよく続いたなと自分でも思いますが、ちっとも音「楽」になっておらず音「苦」です。
恥をさらしますが私はもともと音痴です。小学校以来、音楽の成績が良かったことはありません。音符が読めません。大人になってもそのトラウマは引きずっていました。歌は好きなのです。しかし音痴ですから自分では上手く歌っているつもりで周りにはがなり立てている声にしか聞えないような歌い方だったと思います。今にして音痴は自分が下手だということが分からないのだなと思います。そんな劣等感があったので「よし、この機会に習ってやろう」という野心を懐いたのですね。そして上手くなるだろうと思って習い始めたのですが、ダメでした。楽譜のしくみは分かっても音符を瞬間的には読めないのです。だから自分で解読していって音符の脇にこれはド、これはミとカナを振らなければならない。次にそれに対して指が対応しなければならないのですがこれも一苦労します。練習しなければならないといえばそれまでですが、40の手習いで始めたのは遅すぎたかと後悔しました。
簡単なクラシックの曲を半年から一年くらいで仕上げます。何遍も教えられているとそれなりに弾けるようにはなるのです。でも楽しくない。そして一つの曲が終って次の曲にレッスンが移ります。そうするとマスターした曲はいつでも弾けるかというとそんなことはなく、次の曲に移ったとたんにどんどん忘れていきます。ひと月後くらいにこの前の曲を弾いてみなさいと言われても全然弾けなくなっている。
始めてから2,3年くらいはそういう状況でしたのでやっぱり自分にはピアノは向かないのかなと思うようになった。ところがこの先生はたまたま声楽も教えられる方だったのです。私が歌は好きだということ知って、また坊さんとしての声の訓練にもなるからという理由もあったのでしょう、声楽も始めませんかと言われたのです。
そしてレッスンの時間をピアノ半分、声楽半分に配分して声楽も習うようになりました。そうしたら声楽はピアノよりよほど楽でした。声楽を習い始めてから何年か後ですが、先生から「今だから言うけれども、ものすごい音痴でこの人何とかなるのかしらと思った」と言われました。少しは上手くなったんですよ(笑)。自分の身体を楽器にするわけですから、身体の外にある器械を叩くよりも簡単です。調子に乗って自分は上手いのだと思うようになってきた。これを仏教では増上慢と言います。お調子者です。そういうわけでピアノはつらいのだけれど声楽でなんとか持ってこの15年間続いてきたのです。
ところが声楽も続けていると限界が出てきました。私の感じですが普通の人は2オクターブくらい出せると思います。稀に3オクターブ出せる人もいるみたいです。私も2オクターブくらい出せるのですが、高い方のてっぺんの音を出すと制御ができなくなって、裏声になってかすれたりする。これは訓練しないと出せないのですが限界あたりでぷっつんと切れたり雑音になったりする状況がずっと続いていた。これ以上ダメなのかなと思ってしまう。ところが隣の先生の声は全然違う制御された声で聞いたとたんに自分との落差が分かる。
ちょっと脇道にそれますが、先生の声でも全然自分と違うということが分かるのですが、プロの声楽家の声は衝撃的に違う。釜石の寶樹寺――昨年住職にうちの報恩講に来て頂きましたが――で昨年の8月に指揮者の大野和士と若手の声楽家女性二人、男性二人のチャリティーコンサートがあり、娘・息子・私の3人で聞きに行きました。そうしたらプロの声は先生の声の更に10倍くらいすごかった。ソプラノの声は100人力でした。うわぁこんなに違うのかと、同じ人間とは思えなかった。プロというのはそういうものだと、いい意味で打ちのめされました。自分は趣味でやっているレベルで有頂天になるようなことでは全然ないのだなと(笑)。一度皆さんもプロの演奏を聞いてみられるといいです――聞いていらっしゃる方もおられると思いますが。うちでもこんなイベントをやりたいなと思うのですが、どうでしょうかね。今年は落語を2回に増やしましたが将来的には演奏会もやりたいですね。
話を戻しますと、一番てっぺんの声の制御がきかないことに限界を感じてしまったのです。これが音楽関係の習い事です。
次が書道です。皆さんご存知の通り支部先生の教室がここで開かれています。支部先生はここにいらっしゃる小島さんが連れてきて下さって、教室を開いて5年目です。小島さんがなぜ支部先生を連れてきて下さったかというと――小島さんは口に出して言われませんが――私のあまりの字の下手さを見て「習いなさい」という意図で連れてきてくださったと私は確信しています(笑)。そうして私は習い始めて命拾いをしました(笑)。
支部先生は宿題を出さない、また各自のやりたい事に合せて教えてくださるので非常に気が楽です。私の場合、書けるようになってくると、仕事柄色々書くようになりました。動物合葬墓の碑文や永代供養墓の十字名号の碑文を書いた。最初自分で書いて先生に添削してもらって、さらにそれから自分が納得するまで大体200枚くらい書きます。
同じ文字をそれくらい書くと、取りあえず見られるかなという程度にはなります。しかしいま外に立てている彼岸会法要の案内の字とか本堂に張ってある式次第とか、一回二回しか書かない字はあんなものです。何十回も書けばましになるのでしょうが。だから実用書のレベルではないのです。さらさらと書いてそれがきれいな形になっているなんてほど遠い。しかし、たまたまなんとか見られる程度までになった字を見た人がいて、その人から四文字熟語の漢字を書いて欲しいと頼まれてしまった。また100枚200枚書くのかよ、と心の中で思ったのですが、増上慢でうぬぼれていたので引き受けてしまった。頼まれたのが去年の暮れでそれから書き始めました。100枚くらいは書きました。しかし全然納得できない。どう直していいのか分からない。先生にも聞いて、修正を加えて書くのですが、納得できない。つまり先生の手本通りに書いてもだめなのです。手本をヒントにして自分が納得できる形を探さなければならない。それが見えてこない。スランプになってまだ出来上がっていません。
最近の習い事はこんな状況でした。ところが60の声を聞いたあたりからちょっと心境が変化してきました。これらの習い事で無理やり練習しようとすればできるのですが、そうやって何遍練習しても絶対進展しません。よく努力すれば良くなると言われますが、無理に反復するような努力は何遍やってもダメで時間と労力の無駄なのです。しかし、最近「下手は下手でいいのだ」と思うようになった。習い事をする前にも開き直りで「下手は下手でいいのだ」と言っていたことがありましたが、それに比べれば今は上手くなっている。とりあえず自分の今の状況を味わって楽しんだらいいじゃないか、と、そういう気持ちが出てきた。そうしてさっきピアノのレッスンが終れば二度と弾かないと言いましたが、弾いてみた。二度と弾かないとはどういうことかというと、先生が評価して合格をもらえばそれでおしまいということです。そのとき自分は自分の演奏を聞いていないのです。しかしそれをもう一度弾くということは、自分の演奏を聞くということです。聞いてじっくり反省する。そうすると下手な自分の演奏でも楽しいと思える。それで気持ちがずいぶん楽になりました。皆さんからするとささいなことを喋っているように見えるかもしれませんが、私にとってはかなり大きな新しい経験です。
こんな気持ちが出てきたら、声楽の方も、オクターブのてっぺんの声の出し方を、力任せではなく、無理をしないで身体に合わせてスムーズに出せるようにする、いい意味でごまかす、自分のやれる範囲でうまくできないかな、と気を使うようになりました。そうすると声の出し方も少しはコントロールできるようになり気持ちが楽になってきました。
書道は、この前の教室の時に、頼まれている文字をまた書いてみて、先生のアドバイスをもらって、自分なりに書いていたら、今まで見たことがないような形がでてきました。これには驚きました。これは自分でしか分からない。ほかの人が見ても何が驚きなのか分からないと思います。しかし自分にとっては天から降ってきたように「ああ、こんな形があるんだ」と驚いている。そして「よし、これで書けそうだ」という希望が見えてきた。
このように三つの習い事で最近立て続けに新しい経験をしました。ちょっと不思議な感じがしています。なぜ今まで経験しなかったことが現れてきたのかを考えました。そしてこれは年を取ったからではないかと思いました。「そこに行くのかよ」と思う人もおられるかもしれませんが(笑)。
年を取ると体力が落ち、集中力も注意力もなくなる。習い事にとっては悪い面ばかりです。習い事は上達するのが目標ですから。だからややもすると自分が年を取ってきているということを認めたくない。まだ頑張れると思ってしまう。しかしさっき言ったことはそうやって頑張ってもダメなんだという話です。まだ若いと思い込んで頑張るところではダメだと分かったのです。ではなぜさっき言ったような良い方向になったのか。それはダメだということを頭で知ったのではなく身体が知らせてくれたからだと思います。年を取ると強がりを言ってもダメだということを身体が知らせてくれますよね。それを認めることですね。自分は無理のない枠内で動かなければならないのだと。そうなると、これまで自分がやってきた無駄ではない積み重ねがあるのだから、自分なりに楽しめばよい。そうどこかで思ったのです。そうしたら習い事との関係が変わってきたのだろう、と自分の今の精神状態を分析しております。私はこれは「老いの功徳」だと思います。
仏教の書物の話に繋げます。これは昨日書きましたが5枚目くらいです(笑)。
「あさなあさな佛とともにおき、ゆうなゆうな佛をいだきてふす」
これは安心決定鈔(あんじんけつじょうしょう)という書物で私共の宗派の真宗聖典の中に編纂されています。誰が書いたのか分からない作者不詳の書物ですが私は真宗聖典の中で一番好きです。その中にこういう素晴らしい言葉が載っている。毎朝毎朝佛とともに起きて、毎晩毎晩佛を抱いて寝る。こんなふうに佛と常にいることができたらどんなにいいだろうかと、これを読まれた人は思われるでしょう。さてしかし佛と一緒にいるということはどういうことなのだろうと考えるとどうですか。そんなことがあるのだろうか。私はこんなふうになりたいと思い、若い時からそういう境地をどうしたら得られるかをいろいろ考えもしました。しかし仏さんが常に身近にいるといった心境になったことはありません。しかし反面そういう望みを懐いてもいる。そして年を取るにつれて考えるようになりました。そんなふうに自分に都合の良い佛さんなんていないだろう。ここで言っている佛は自分の友達のように隣にいてくれる佛ではない、これはどんな佛なのかと考えました。
そしてこじつけになるかもしれませんが、私の習い事の経験の中で自分の思ってもいないところから、楽しみとか解決が見つかった。それは自分が「努力しなければならない」と思うところからは絶対見つからなかったものです。一番印象に残ったのは書道で、思ってもいなかった形が現れた時です。書いているのは自分ですが自分の力で書いたとは思っていない。ああ、佛さんが現れたのだな、と思いました。
佛さんの現れ方はそういうことなのだなと思います。自分を助けてくれる佛さんを一所懸命になって求める限りそこに佛は現れない、しかし一所懸命にしがみつくのが限界だ、そこから少し離れようと思ったとき佛さんはいろいろな形で現れるのではないか。そういう面もあると思います。そこに気づくようになったのはやはり年を取ったからだと思います。その佛は一つ、あるいは一人ではありません。親鸞さんも書いていますが佛は無数にあるという。そして自分の意識の外からひょいと現れる。そういう機会を一度経験すると佛さんと会うコツが分かる。佛は求めたら逃げていく、追いかけないようにしようという気持ちの構えができてくる。その気持ちの構えとは普通に言うところの「ゆとり」だと思います。そこに佛は意識の外側からふっと現れる。そうやって佛を捕まえる回数が増えるほど、自分の心が安まり喜びが増える。その喜びというのもふとした違いでほのかなものです。
震災以降、彼岸の法話は結構深刻な話題ばかり出してきました。そういう深刻な問題を助けてくれる佛などいないということは分かった上で、しかし何とかしなければならないという気持ちで喋っていました。しかし、みなさんがお彼岸にここに来られるのはそういう話ばかり聞きたいのではないということにも気がついてきた。深刻な話題から少し離れて安らぎを見つけるような話を坊さんはしてくれないのかなと、たぶん思っておられるのだろうと考え、今回はこんな話になりました。
2016/03/22