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2013年3月20日 春彼岸会法話「放射能の時間、仏の時間」
本日はこのようなタイトルの話をします。昨年の春彼岸の法話はやはり同じような話題で、内部被曝と肥田舜太カ氏の話をしましたが、原発や放射能の問題はあまりに大きすぎて、考え続けることに疲れてしまうところがあります。私は昨年春に内部被曝を自分なりにまとめたあと、そういう気持ちになり、冬頃までは原発・放射能問題からなんとなく遠ざかっておりました。寺のさまざまな仕事で忙しかったということもあります。しかし、今年の1月頃になってようやくひと息つける状況になると原発の現状が気になりだし、調べはじめました。そうして、福島第一原発の深刻な現状を再確認したのですが、今日はまずその中で考えたことをお話しし、次にその問題に仏教がどんな答えを出せるのか、そのヒントになるようなことをお話しできればと思います。
放射能の時間
3月11日の震災追悼法要のときには京都大学原子炉実験所の小出裕章氏のビデオを見て頂きましたが、小出氏のお話や本などから得た知識から話を進めます。

これは最近の朝日新聞に載った福島第一原発です。事故直後の混乱は落ち着いたような感じを受けます。最近は特に問題がおきないかぎり報道もされません。事故を起して無残な姿をさらしていた建屋はカバーで被われたり、ある程度の撤去が進んでいて作業が順調に運んでいるようにも見えます。
しかし、実際は全く違います。冷却システムが動いてはいますが、壊れた建屋からは水が漏れ出しています。また地下水も流入しています。漏れ出した放射能で汚染された水を回収して化け物のように大きなドラム缶に保管してしのいでいるのですが、ドラム缶を置く場所がなくなりつつあります。

この読売新聞の写真はその様子がよくわかります。そしてこのままドラム缶が増え続け置き場所がなくなれば海に捨てざるをえないという、無責任なことを東京電力は考えているようですが、それ以外に手立てがないというのも実情のようです。
1号機から3号機はメルトダウンし、炉心付近に近づいて作業することはまったくできません。4号機は運転していなかったのでメルトダウンはしませんでしたが、建屋が爆発によって損傷し、使用済み燃料プールが宙ぶらりんの不安定な状態で崩壊を免れました。プールには強い放射能を持つ使用済み燃料が約1300体保管されています。これらが持つ放射能の大きさは広島原爆の約5000発分だそうです。現在はプールに水が充されており、使用済み燃料を冷やすことができ、放射能が出てくることを防いでいます。しかし、今後大きな余震が来て、プールが破壊され水が漏れてしまうことが起きれば、使用済み燃料は空気中に露出し、温度が上がって溶け出し、放射性物質を大気中にばらまくことになります。そうなると人間はプールに近づいただけで死んでしまい、また原発敷地全体に放射能が充満して、作業員は全員撤退せざるをえなくなります(毎日約3000人の作業員が働いているそうです)。すると、それまでなんとか動いていた1号機から3号機の冷却作業も放棄され、四基の原子炉全てから放射能が漏れるままになってしまいます。そうなると少なくとも東京も含めた東日本全体が人が住める場所ではなくなってしまい、日本は事実上壊滅することになります。これが政府も事故直後に予想した最悪シナリオのようで、その危険は現在も去ったわけではありません。
ここ、仙台市泉区に住んでいると、このシナリオは極端な悲観論に見え、考えることを避ける気持ちになります。しかし、原発の現状を調べれば調べるほど、4号機のプールが破壊されたときのこのシナリオは避けられないことがはっきりしてきます。その破局の大きさは私の想像力を窒息させんばかりです。
プールに補強工事をしたということですが、それがどれだけの効果があるのか・・・。4号機の使用済み燃料の取り出しは今年の暮れからはじまるということですが、すべての使用済み燃料が取り出し終るまで、強い余震はこないでくれと願うばかりです。これが福島第一原発の現状の危険です。
次に事故によって汚染されてしまった土地と放射能の話に移ります。
事故によって広島原爆の少なくとも160発分、実際はその何倍もの放射性物質がまき散らされ、広大な土地を汚染してしまったといわれています。
私はこの160発分という数字をはじめて知ったときは、とても信じられないという拒絶反応が強く現れました。

この図は小出氏の本(『この国は原発事故から何を学んだのか』幻冬舎ルネッサンス新書)から引いたもので、主な汚染物質、セシウムの分布を示しています。
法律は1平方メートルあたり4万ベクレル以上の放射能汚染があるところは、そこを「放射線管理区域」というものに指定し、一般人の立入りを禁止するそうです。あえてそこに人が立入る場合は、飲食をしてはいけない、寝てはいけないという厳しい制限が付けられるそうです。この図で見ると「3万〜6万」という濃度以上の地域が放射線管理区域になってしまいます。飯館村のあたりに至っては実に300万ベクレルを超える汚染です。実に福島の半分と栃木、群馬、茨城、埼玉、東京の一部が放射線管理区域にしなければならない場所になってしまいました。そして突然、そこに暮らさざるをえないという事態が何百万人という人々の上に降ってきたのです。
半減期という言葉があります。放射能の強さ、すなわち毒性が半分になるまでの期間ですが、セシウム137の場合これは約30年です。「これから30年」という期間は私達人間にあまりにも長い期間です。そのため30年経てば問題がなくなるような錯覚、あるいはそう思い込みたい心境になります。しかし事実は30年経って毒がようやく半分になるというだけなのです。事故後1年間ほど食品の基準値が1キログラムあたり500ベクレルにされていました。これは驚くべき高い値だそうですが、試しに飯館村の300万ベクレルの汚染が500ベクレル以下になるまでに何年かかるかを計算してみました。390年かかって約365ベクレルになります。しかもこれでも元に戻ったとは言えないのです。

そして、現在も事故の時よりは減ったとはいえ汚染は垂れ流しされ続けています。数ヶ月前、福島第一原発の面する湾内で獲れた魚に含まれる放射性物質が50万ベクレルを超えていると報道されました。そして数日前の報道では70万ベクレルのアイナメが獲れたそうです。おそらく今後この数値はますます上がっていくと考えざるをえません。そして汚染範囲も全国に及んでいることがはっきりしてくるでしょう。もう日本には汚染されていない食物は無いと考えざるをえません。
この「・・・せざるをえない」という、認めたくないのに認めなければならないという考え方――これは不自然でとても疲れます――しかし、この考え方を進めていかなければ真実が現れてこないということが原発問題の特徴だと思います。
小出氏は年齢に応じて汚染された食物を食べていくしかないと言われます。つまり大人は汚染度の高い食品を引受け、幼児や子供にはできるだけ汚染度の低い食品を与える。そういうルールが常識である社会になってしまったのです。
そして、放射能を出す使用済み核燃料という毒物にはセシウムばかりではなく沢山の種類がふくまれており、半減期もさまざまです。日本全国54基の原発には膨大な量の使用済み燃料が行き場のないまま保管されており、それらが本当に無毒化するまでには100万年かかるというのです。こういう、私達の時間感覚をはるかに超えた、途方もない時間の長さと、子々孫々に背負わせなければならない重荷を作り出してしまった私達の時代の責任ということが、調べれば調べるほどはっきりしてきて、私は打ちひしがれてしまいます。
仏の時間
さて、途方もない時間ということであれば、仏教は現実をはるかに凌駕します。劫こうという時間があります。劫の長さは色々な喩えで表わされるのですが、ここではその一つを出します。

喩えそのものが、常軌を逸した内容で、さらに説明の最後が「まだ劫は終らない」というのです。「劫は終る」というならまだしもです。
とりあえず、ここでは芥子を取り出していって、巨大な箱が空になる時間に注目します。私は今回の説明のために、これがどれくらいの時間の長さなのか計算してみることにしました。とはいっても、電卓を使ってはすぐ桁あふれすることは目に見えています。どれだけ長い桁数でも計算できるソフトをインターネットで探し出し、それで計算しました。芥子の大きさは一ミリと仮定しました。すると次の結果が出ました。

よくもこんな馬鹿げた長さを思いついたものです。しかしまだまだ序の口です。大乗経典には劫が頻繁に出てきて奇想天外な物語が展開されます。我が真宗がよって立つ無量寿経には法蔵菩薩が阿弥陀仏となるまでの物語があります。そこではご丁寧にも法蔵菩薩が仏となろうとする誓願を起すまでに熟慮した時間が5劫だったとか、誓願を全て成就して阿弥陀仏となってから10劫経ったといったことが述べられています。いったいこんなおとぎ話にどんな意味があるのでしょうか。無量寿経は、大乗運動が勃興しつつあった紀元100年頃に作られたと言われます。この経典の作成者達はふざけて人を驚かすためにこんなおとぎ話を作り上げたのでしょうか。
現実の苦悩の放射能の30年、100万年と、その100万年が芥子の一握りでしかないおとぎ話の劫という時間を、私はしばらく対比しながら考えました。
そうして、経典の作成者達はふざけてなどいない、という思いを新たにしました。これまでも何度もこの物語の真実であることを納得する機会があったのですが、今回は放射能の時間という非常に深刻な現実と対決させて、法蔵菩薩の物語は放射能の時間を超える真実を指していると改めて思いました。(しかし、いっとき放射能の時間に負けそうな心境になったことも告白しておきます。)
その理由は、現実の苦悩と、それが続いていく時間として30年、100万年というものを私達は考えます。自分はその100万年という時間を決して経験できず、そのはるか前に死んでしまうものであるにもかかわらず、その時間の長さに囚われ悲歎します。しかしその私はまた劫という途方もない時間の長さを考えてもしまえるのです。つまり30年、あるいは100万年、さらには劫も自分の考えの中にあるのです。そして私達はその考えに囚われてしまうのです。
しかし「箱から芥子をすべて取り出してもまだ劫は終らない」という言い方をもう一度注意してください。これは100万年だろうと劫だろうと、そのような考えに囚われてしまうことこそが問題なのだ、ということを暗示しているのです。経典の制作者達は一見馬鹿げたおとぎ話を、実は練りに練って作り上げているのです。
そして、このような「考え」に囚われていることが問題なのだと気付いたとき同時に、自分は現に生きているではないか、ということにも気付きます。生きているということに気付くとは、自分の立場が時間の囚われの外にある、ということをはっきりと知ることです。
そのとき自分は放射能の時間から一歩踏み出し、起こりうる苦悩に立ち向かうような何ものかを得る、と思います。
彼岸会法話の題材をもとに何度も文章を練り直してようやくここまできました。ここに至って反省します。「凡夫の自分がこんな偉そうな結論を出せるのか」と。原発の深刻な影響に直面している人々を思うと、卑小な生活を送っている自分を省み、身の置き所がない恥ずかしさを覚えます。しかしやはり書かなければならないという思いに動かされて書きました。
2013/03/25