真宗大谷派 西照寺

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2010年9月23日 秋彼岸会法話「葬式と金」


 今回の秋の彼岸会法話は表題の通り、ぐっと身近な話題を取り上げます。資料として朝日新聞のインターネット版 9月18日付け記事「 明瞭会計の葬儀事業に僧侶異議 「言い値」放置に苦情も 」のコピーをお渡ししました。
大手スーパー、イオンが行っているサービス業 「イオンのお葬式」 についての記事です。インターネットのホームページを開設し、フリーダイアルの電話対応で全国どこからでも、 葬式依頼を受け付けるという最近流行の業態です。
 前から気づいていたのですが、こういった大きな商業新聞の記者は、話題の中の対立する二者(今回は葬式サービス業者 と寺)のどちらにも与くみせず、一段高い位置に立って、両者を見下ろし公正な評価をしているというポーズを 取ります。その結果として記事の印象はどっちつかずの間が抜けたものになっています。この記事もその例で、タイトルも 内容も間が抜けていますが、それでもおもしろさは残っています。ここでは内容を読むことはしませんので、お帰りになって からゆっくりとお読みください。

 このような葬式サービス業は、おそらくこの一、二年で急速に広まってきた形態だろうとおもいます。簡単に言えば一般的 な商品の通信販売と同じ仕組みを葬式にあてはめたものと言えます。
 私自身、寺のホームページを公開しておりますが、葬式に対するこのようなインターネットを使った営業形態には強い 違和感があり、ゲテモノのごとく見ておりました。
「こんなやり方で葬式を頼む人など居るんかいな?」と。
 また、坊主としては喪主に直接会う前に、葬式の段取りが進んでしまったり、内容が決められてしまうことなど、儀式を 主宰する立場としてはとてもまともなレベルの話ではありません。

 ところが今夏、そんなふうに斜に構えていられない事態が降ってきました。七月に 「小さなお葬式」 という、この類の業者の一社から葬式執行の依頼が電話で来たのです。実際に電話をよこしたのは、この業者が提携している と見られる宗教法人です。業者が直接、寺に連絡をよこすことには、はばかりがあるのかもしれません。話の内容は次のよう なものでした。
「インターネットで検索して貴ホームページを見つけた。仙台には大谷派で知っている寺が無いので電話した。今日・明日 の日程で既に段取りを組んである葬式を受けてもらえまいか。お布施の額は××である。」と。

 我が西照寺は仏事は原則として門徒(=世間で言う檀家)にならなければ受け付けません。なぜなら仏事というものは、 寺と継続的に関わりを持ち、その宗派の作法を身に付け、それを通して仏教を理解していくという生者の営みだからです。 例えば仏壇の荘厳しょうごん(飾り付け)などは、そのような継続的な営みの中ではじめて意味を持ってくる ものです。そういうことに対して「寺と関わるのは面倒だ」とか「金が掛かる」といった理由で、仏壇を買ってきて形だけ 揃え、自分の都合の良いときだけ依頼できる坊主に来て拝んでもらいたい、寺の門徒にはならない、というのではいささか 身勝手というものです。
 こういう人を見ると私は「それならばわざわざ大谷派の仏壇など揃えなくてもよかろうに」と思います。このような人は 一体何を求めているのでしょうか。これでは仏壇もママゴトの道具と大差ありません。とはいえそれなりの事情があって 門徒になることが難しい人には、その時限りの対応もすることはあります。しかし、基本的には坊主としては以上のような 見方であり、我が寺はこのような方針です。
 しかし、葬式だけは例外を設けており、西照寺の門徒であろうとなかろうと無条件に受けます。なぜなら、家族の死という 緊急事態に直面した生者が、葬式という儀式を通して、その人自身の生死を自覚していく、つまりはじめて仏教に目を開く 重要なきっかけを作ることになるからです。これは、坊主として為さなければならない布施の行の一つです。儀式執行の 当事者としては、その過程で生者の精神的成長を目の当たりにできたとき、この仕事をやっていて良かったという充実感を 味わうことができます。
 また、布施の行は双方向の行為です。私が行った儀式に対する喪主からの布施の行として、お金としての「お布施」が出 されます。ときどき「お布施はいくら包めばいいですか?」と聞かれることがありますが、「それは私が決めることではな くて、あなたが決めるべきことです。あなたが良いと思われた額で結構です。」としか答えません。
 当然ながら、法名(他宗派の戒名に同じ)に値段を付けるなどありません。しかしこんな偉そうなことを言っても、 葬式の後、頂いたお布施の袋を開いてみて、額によっては「これでは今月の給料は出ないな、また貯金の取崩しだな。」 と、泣き言を言いたくなることが、実はあります。
 しかし、だからといって「お布施の額が足りない。あと××万円上げてくれ。」と施主に対して言ったとします。 そのとたん、それはお布施ではなく「商品に付けた値段」となり、言った当人は仏弟子の位から滑り落ち、地獄行きと なります。お布施というお金に対しては、それくらいの覚悟は持っております。
 だからイオンなどの業者が「戒名料」などで料金案内することは、仏教の布施行を理解しないあさはかな行為としか 言いようがありません。これは金額の多寡に関わりません。しかし、そういうレベルで成り立ってしまっている葬式 サービス業者と寺院の関係の現状というものが、そもそも現代社会の大問題なのですが、そこには今は立ち入りません。

 話がわき道にそれてしまいました。「小さなお葬式」業者からの依頼の話に戻ります。先方で決めた予定は、その日と 翌日といった具合で差し迫っています。即答しなければなりません。私の予定は空いています。(情けないことに暇な寺 なので、だいたい空いているわけです。)
 喪主と会いもしないところで、段取りが決まり、お布施の額まで決まっているということに強い違和感を覚えましたが、 葬式無条件受け入れの原則に則り、受けることにしました。

 さて、この葬式を受けたことにより「小さなお葬式」業者にとっては提携寺院が一ヶ寺増えたということにでもなったの でしょうか、一ヶ月後にまた依頼がきました。今回の内容は、前回より更に極端なものでした。二日後の儀式です。 あまりに極端すぎて断りたくなるような内容だったのですが、運悪くその日も暇でした。しぶしぶですが受けることに しました。ただし苦情を言いました。
「坊主が喪主に会わないところで、あなた方業者のルールで、お布施の額が決まってしまうのは非常に問題だ。金額の 多寡はもとより問題ではない。少ない額でも受け入れる覚悟はこちらにはある。しかし、そもそもあなた方は布施の行を どう考えておられるのか、今後ご依頼をよこされる場合はこの点をよく弁えて頂きたい。」
結構きつく原則論を言ったので、もう依頼は来ないかもしれません。布施の行をきちんと考えれば、彼等のビジネスモデル の変更を行わざるを得ず、営業形態を崩壊させる危険があるからです。営利追求の企業にとってはとても認められないこと でしょう。
 実はこの二回目のお宅とは「小さなお葬式」が逆縁ともいうべきものとなって、私も坊主をやっていて良かったという ドラマがあったのです。そういう結果から言うと、何が良くて何が悪いか全く予測がつかないわけで、業者のピントの 外れたあさはかなサービスも無意味とは言い切れないのですが、それは偶然の産物とも言えるわけで、合理的な根拠には なりません。こちらとしてはあくまで筋は通さなければなりません。

 さて、そういうことで今回はみなさんもご興味がおありと思われる身近な話題を取り上げました。私はこれらの業者の ホームページを見るなど時間の無駄でしかない、と全く見る気が起きなかったのですが、今回の話をすると決めてから、 どういうものか知らなければならないので、嫌々ながら 「イオンのお葬式」「小さなお葬式」の二つのサイトを見に行ってその中をすこしうろついて みました。「小さなお葬式」のサイトでは、私が受けた二件の葬式の最初の方はこのメニューで、後の方は別のこっちの メニューのパターンから選んだのだな、とか、二社のサイトの内容から、従来の葬儀社業界の合従連衡の動きとか、 利益を上げる仕組みなどが結構細かく推測できたりとかで、それなりに興味深いものではありました。

 今日の話は数日中に西照寺サイトに上げておきます、二社へのリンクも張っておきますので、インターネットに繋がる 人は、ご自分でこれらのサイトにアクセスしてみられるのも一興でしょう。
 これらの業者は、それなりに時代の状況を読んで真面目に対応しようとしているのかもしれませんが、如何せんピント 外れの空回りは根が深いものがあり、それは貨幣経済の中で利潤追求する葬式サービス業の根幹に食い込んでいるようにも 思います。しかし、そこに鈍感である限り、人間の死を商品化してしまうという足かせはどこまでもつきまとうでしょう。

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