真宗大谷派 西照寺

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東北大学シンポジウム「寺院と現代社会」



 先日、無限洞でお付き合い頂いている東北大学の鈴木岩弓先生(大学院文学研究科宗教学研究室)から二つの集まりへのお誘いがあって参加してきたので感想を記す。


一つ目の集まり。

第57回印度学宗教学会学術大会公開シンポジウム 2015年5月30日
「寺院と現代社会」

シンポジスト
桜井宗信(東北大学) 「インド・チベット密教における葬儀のあり方」
スダン・シャキャ(種智院大学) 「ネパール仏教における現代の葬送儀礼」
朴澤直秀(日本大学) 「寺檀制度の成立と展開」
薄井秀夫(寺院デザイン) 「現代日本の仏教寺院」
坂田安儀(禊(みそぎ)教教主) 「神道から見た仏教寺院」
山形孝夫(宮城学院女子大学) 「キリスト教からみた仏教寺院」
ディスカッション
司会: 山形孝夫
画像

 まずシンポジストの背景を書いておく。これは後で宗教学研究室の方から聞いたものである。シンポジスト6人のうち朴澤氏を除く5人が東北大学の同窓で薄井・坂田・山形各氏は宗教学、シャキャ氏は印度学の出身である。この5人のうち薄井氏を除く4人が各宗教宗派の専門職位(僧職・神職・教職等)を持っている。全体の司会進行はキリスト教徒の山形氏が務められた。
 門外漢の私は仏教寺院をテーマとするのにこのメンバーと役割の配置を最初奇異に感じたのだが、発表や議論は山形氏の歯切れの良い司会進行でテンポ良く進んだ。これにも少々意外の感を懐き、いったいこの人達はどういう立場なのだろうという興味が湧いた。そして後で聞いたら上記のような背景があったのである。それぞれが自分の所属する宗教宗派を客観的にとらえ、議論できる素地があったのである。
 以下、録音を聞きながら私が興味を覚えた箇所を断片的に抽出したものを記す。最初はA4二枚くらいにまとめるつもりで聴きだしたが、発言の内容をある程度具体的にしないと面白くないことに気付き、結果として7割方を起してしまった。ただし私の理解とやり方で文章を作っているので文責は全て私にある。またそれぞれの発言にコメントしたいことはたくさんあるが、ここでは記録のみに止める。また司会の山形氏の発言で仏教界の現状を誤認しておられるような部分が若干見られるが、これもそのまま出している。
 いずれこれまでにない新しい試みのシンポジウムではないかと推測する。まとまった結論を出すという性格のものではなかったが、試みの第一歩だとすればとても充実して面白い内容だったと思う。


(最初に鈴木教授の趣旨説明があったが録音を忘れたため、山形氏の進行に入ってからとなる)

山形:東日本大震災以降に起こっている社会の変化を意識してこのテーマを論じたい。檀家制度が今後どうなっていくのか。最初に印度学・仏教学の桜井教授にインドの原初の姿に戻って話して頂く。

桜井:仏教が釈尊の時代から葬儀に関わっていたというとそれはないと考えられる。それに対して日本仏教は葬式をやっている、本来のインドのあり方とは違うと批難する考えがある。しかしインドにおいても仏教者が葬儀に関わるという場面が作られていたということも分かっている。密教で弟子を引導する灌頂という儀式があるが、それがインドでも葬儀の形式として取り入れられていた。それは現在日本の真言宗で行われている葬儀と同じだ。これはインド・チベットと日本でそれぞれ独立に同じ形式に至ったと思われる。また違う面もある。インド・チベットでは護摩法を火葬に応用するが、日本では火葬には深く関わらない。チベットでは高僧のプトゥン・リンチェン・トゥプが1300年代に詳細な葬儀マニュアルを作っている。このようなものがあるということは、葬式を実行する要請があったからである。

山形:原始仏教が葬式に関わった痕跡は無いのですか。(桜井頷く)。灌頂というのはどういう儀式ですか。

桜井:師に認められて密教の世界に入ろうとする弟子の入門式です。

山形:キリスト教の修道院で観察したことだが、修道士になる者に対して葬式のようなことをする。つまりこの世を捨てる。入信式というが灌頂はこれと似ているような気がする。

桜井:密教では出家者と在家者の立場があり後代になるほど在家のままで教義に参入していく傾向が出る。そうするとこの世と離れるという意識は曖昧になる。しかし出家者の場合は仰るような面が強い。

山形:そうすると出家=世を捨てるということで灌頂が葬式の原型になるような気がする。死者を対象とするか生者を対象とするかの違いはあるが、死者と生者を分けるということがそもそも難しい。出家しようと決意したとき死をくぐり抜けるという感覚はないか。

桜井:そういう意味では灌頂よりも出家・受戒が大きな意味を持つと思う。しかし出家・受戒が葬儀に組み込まれている例は自分は知らない。
既にインドで死者の亡骸の前で陀羅尼や経文を唱えるということがあった。これは玄奘が持って来た文献にも見られるので既に7世紀頃にあったということができる。それは日本にも招来され読まれたと思う。


山形:次にスダン・シャキャさんに現代のネパールの葬式の説明をお願いします。

シャキャ:ネパールには葬儀屋という職業は無く、寺院も葬式に関わらない。ではどうやって葬式をするかというとグティ(町内会・講)が行う。火葬は河原で行う。葬式が済んで遺体が火葬され灰になると、側に灰と砂を混ぜて仏塔を作る。僧侶の指導のもとに儀礼を行い灰を川に流す。したがって墓はない。

山形:現代の日本では無くなったと思うが、葬式は遺族親族が力を合せて行い、足りないところを講が助けた。その講がグティですね。その中で僧侶は関わらないのですね。

シャキャ:遺骨が処理される時だけ関わります。そこで読経をして遺骨が川に流されます。ただし人によって遺骨を残したいという場合があります。その場合それなりの財力がなければならないが、特別な儀式をしてストゥーパ(仏塔・墓)を作ります。

山形:僧侶の読経は何語ですか。

シャキャ:サンスクリット語です。

山形:ネパールの人はサンスクリット語は分かりますか。

シャキャ:一部の人を除いて分かりません。

山形:するとお経は呪文のようなものになりますか。

シャキャ:そのようになります。韻律を守って十数分称えます。

山形:坊さん達はお経を分からせる工夫はするのですか。

シャキャ:葬式の後、喪に服した遺族が僧侶を呼んで儀式を行うがその時は仏教に基づいた物語を話します。つまり説法をします。日本の四十九日に当る期間がネパールでは一ヶ月半(四十五日)ですがその期間にそういうことを何度かします。遺族の癒しが最大の目的です。
 仏塔を建立する者は、喪中の期間、僧侶の指導のもとに厳格な戒律を守り、その期間が終ると仏塔を建て遺骨を納める。仏塔は遺族だけでなく誰でもそこで供養することができる。また追善供養のために本を出版し無料で配布する。また聖地巡礼を行う。

山形:日本のお盆とかお彼岸のような死者を弔う期間はありますか。

シャキャ:年に1回5月に恐山のような聖地があってそこに参る習慣があります。そこに行くと死者に会えるという。ここには仏教徒・ヒンズー教徒を問わず誰でも行けます。

山形:死者を供養するために坊さんを家に招くということは。

シャキャ:7日目、45日目、6ヶ月目、1年目に招きます。その後は毎年命日に招きます。この場合の儀礼はサンスクリット語です。


山形:続いて朴澤さんお願いします。

朴澤:寺檀制度・檀家制度についてお話します。広い意味では葬祭を行うことでの寺院と檀那の関係・慣習ですが、狭い意味では江戸時代の寺請制度を中核としたものを指します。寺請制度は江戸幕府が禁制とするキリスト教や日蓮宗不受不施派ではないということを保証するためにその寺の檀那であるという証明を行いました。これが行政の一端を担ったという評価がされることがありますが、実際の宗門人別改帳を作るのは村や都市の長ですから、そこまで言うのは過大評価ではないか。実際のところは寺院は16世紀頃から葬祭を行うことによって原初的な寺檀関係を作りながら広まっていった。そこに寺請制度が加わってきたと考えられる。檀家制度と言われるが、代々寺と関係を結ばなければならかったかというと、宗門人別改帳を作らなければならないから、そこで、どの寺の檀那になるかというと近親者の寺の檀那になる。それがあたかも家を強調して檀家ととらえられることがあるが、実際はもっと表面的なものではなかったか。
 離檀が禁止されたということも言われるが、実際はある判決の中で離檀を認めないという個別例が、曹洞宗教団や真宗教団の中でどんどん流布していった。離檀禁止令なるものがあるかのように広まった。実際は幕府が全国的に離檀を禁止したことはない。一家一寺制を幕府が強制したこともない。ただし局所的に幕府領を治める代官などがそういう法令を出したことはあった。それが虚実こもごも広まり通念化したのではないか。
 18世紀以降に流布した偽文書があるがそういうものは寺院側が利用するために作られたものが多い。それらが近代以降の葬式仏教観に繋がっていくところがあるのでないか。

山形:日本仏教は檀家制度で成り立っているというのが社会通念になっていると思うが、その根拠は怪しいということになりますか。

朴澤:強制されたということはないが、どこかの寺の檀那でなければならないという状況に下支えされた面はあると思う。もう一つは寺との関係だけでなく先ほどのお話の講のように地縁的な共同体も考えに入れなければならない。

山形:それは幕府の法令としてはなかったとしても、仏教からすれば異端排除、幕府からすれば治安の安定を図るはたらきがあった。それは仏教勢力の拡大のために大きな支えになったのではないか。

朴澤:各宗派における異端が幕藩体制の異端には必ずしも一致しない。教義についてはカッコ付の自立が認められていた。だからそのようなとらえ方は大枠としてあると思うが各宗派にすべて一致するということでもなかったと思う。

山形:東日本大震災で寺が一番打撃を受けたのが檀家制度の崩壊だと思う。寺も檀家も流さればらばらになりその後の連絡が取れない。その中で坊さんは檀家を探し出し救済の手を差し伸べるということができない。しかし火葬の場所でボランティアの読経を行った。そういう面は檀家組織の中での坊さんの活動とは違う。それがカフェ・デ・モンクなどの宗派を超えた活動となった。檀家制度がなくなった状況ではそういう活動しかない。今後、檀家制度を再生しないと仏教の活動は難しいのだろうか。また都会における檀家システムにも同様の問題があるのではないか。

朴澤:直截の答えにならないが、近世では浄土真宗を除いては寺院は世襲されない。建前は肉食妻帯しないことになっているから。そういうところから見て行くと宗教者としての僧侶と宗教施設としての寺院とのずれといったものが見えてくる。檀家組織に支えられるのか地域に支えられるのかは個別の事情がある。宗教施設を支えるということと教団や個別の僧侶を支えるということはずれている。震災の影響はもちろん分かるが現代は過疎化で維持できない問題がある。江戸時代も維持できない宗教施設は非常に多かった。その辺から見直していくことが現代の問題を解決するヒントがあるのでないか。

山形:東北大学の寄付講座として臨床宗教師の制度があるがなぜ超宗教宗派になるかというと檀家組織の崩壊の現実があるからではないか。飛び入りですが鈴木教授、なぜですか。

鈴木:被災地は曹洞宗の多い地域ですがそこに日蓮宗の坊さんが入って被災者と対峙したとき、「南無妙法蓮華経」と称えることができない。それまでは自分の檀家に対して自宗の語りをしていればよかった。しかし被災者に対してはどう寄り添うかが重要になり、そこを学ぶのが臨床宗教師の寄付講座を作ったきっかけだ。

山形:檀家制度の崩壊した被災地では超宗教宗派を前面に出していかないと被災者と接触することはできないということですね。次にキリシタン改めについて――僕はキリシタンだからそういうことを強く感じるのだが――徹底した改めが行われてキリシタンが根絶やしになった。宗門人別帳で調べると全部分かってしまう。これはキリスト教にとっては大変な恐怖だった。しかし坊さん達はこれを忠実に行った。その結果としてキリスト教は根絶され、島原の乱で玉砕した。キリスト教が入ってきた初期、僅か30年程の間に九州の人口の30パーセントがキリスト教になった。幕府はこれに怖れを懐き禁制を出した。その巧妙な仕組が宗門改めで仏教が担っていた。それが後に仏教自身の首を絞めることになっていったのではないか。

朴澤:今のお話には事実誤認があると思う。キリスト教徒は隠れキリシタンとしてあって滅んでいない。同様の禁制下にあった日蓮宗不受不施派も残っている。だから宗門改めがそこまで厳密に個人レベルまで機能していたかというと疑問がある。全体としての強硬さと実態での柔軟さがあったと思っている。

山形:江戸時代に入ってきたキリスト教と明治以降に入ってきたキリスト教とでは全く異質だ。明治以降のものはヨーロッパ的、江戸時代のものは神道や仏教と混じって隠れるのにも都合の良い柔軟性があった。明治以降のものはきちんとした一神教で仏教や神道を多神教と決めつけていく。目線が高くなったものが入ってきてしまった。その結果民衆に浸透しない。そこに隠れキリシタンとして痛めつけられたキリスト教の布教方法に対してヨーロッパ側からの反動が感じられる。どうしてこんなに目線の高いキリスト教を持ち込もうとしたのか、それは結局失敗ではなかったのか。むしろ隠れキリシタンとして広まったキリスト教の方が本物ではないかと私は思っている。

次に薄井さんお願いします。


薄井:私は寺院デザインという、お寺のコンサルティング会社を経営しています。お寺のコンサルティングの中身は主にお坊さんの悩みを聞くという仕事でその悩みに対応してコンサルティング・研修などを行います。お坊さんの悩みは私が日本で一番聞いていると思います。普通お坊さんは悩みを聞く立場ですが、その本人の悩みを聞く。現代の坊さんは社会の現状に怯えている、不安を感じている。葬儀をしなかったり散骨が増えていたり、メディアを通してそのような情報が入ってきて寺はどうなってしまうのかと思っている坊さんが多い。
 お寺の役割は何かというと、(1)教えを説く、(2)地域のコミュニティーセンター、(3)供養・祈祷、の3つだと思う。ここで(1)はほとんど機能していない。寺で法話会を催しても人があまり来ない。坊さんに意欲があってもニーズが無い。檀家さんは何を望んでいるかというと(3)である。(2)も被災地では機能したが、平常時にはほとんど機能していない。これは地域のコミュニティーそのものが崩壊しつつあるから。
 葬式仏教という言葉には仏教を揶揄するニュアンスがあり、葬式仏教は本来の仏教ではないとよく言われる。これは一般も坊さん自身も思っている。それはなぜかというと宗門大学では葬式をほとんど教えず宗学を教える。宗学は近代仏教学の影響を強く受けているので純粋な教えに力を入れる。多くの坊さんは宗門大学を出て本山で修行して自分の寺に戻ると、教わったことと違う現実にぶつかる。その中で迷ってしまう坊さんが多い。そういう現実を宗門大学はなぜ教えないのだろうか。
 飛鳥時代の仏教伝来の状況を考えると、明らかに祈祷をするためである。病気平癒や国家安定のために祈祷をするのが仏教の大きな役割だった。さらに仏教が爆発的に広まった時代は鎌倉時代ではなく、現代のお寺の8割以上が室町時代の後半に生まれている。なぜかというとその時代に葬祭仏教が充実してきたからだと言われている。そうすると仏教が広まった理由は葬儀にあるということになる。葬式仏教・祈祷仏教はお釈迦様はそんなことはしなかった言われるが、葬式をして欲しいというニーズがあったからそれに対応したといえる。葬式仏教と批判されるが、葬式をしているから批判されるのではなくその中身に問題があるからだ。儀式がわかりづらい。参列者・親族家族は葬式が終るのをただただ待っているケースが多い。少なくとも儀式の進行状況を説明してくれればいいのだが。  もう一つは霊魂のリアリティの問題。浄土真宗を除く宗派は霊を認めている。しかし現代人はどれだけ霊を感じているか、そして一般人よりも坊さんがさらに霊を感じていない、それは彼等が習う仏教学には霊は出て来ないからだ。
 もう一つ仏教の使い勝手の悪いところはお布施の問題。お布施の本来の意義は分かるが、一般社会と仏教者の間に共通理解がない。そこから誤解が生れやすい。これが葬式仏教批判の最大の原因でないかと思う。

山形:本日のテーマには葬式仏教が決して悪いものではなくその良い点を探ろうという意図がある。死者の葬儀という一番大切な需要の多い儀式がお粗末ではないか。儀式が長いだけでそこに霊的・スピリチュアルなものがない。そこから苦情がでてくる。仏教の本来の使命として死者をスピリチュアルなものと受け取る立場があるのか。

薄井:個人的にはあると思います。しかし教義的には難しいと思う。例えば浄土真宗は霊魂の存在を一切認めません。そうすると葬式は何のためにやるかということになるが、家族が死んだことを縁としてお釈迦様の法を聞く場であるという考え方を取る。そうするとそこに霊は無く、死者すら不在の状況になりかねない。ただしこれはお坊さんが属するメーカー側の論理です。門徒さん達は坊さんはそういうけれど霊魂をあの世に送ってくれていると思っていると想像しています。

山形:事前打ち合わせでは仏教にとって霊魂はどう扱われているかが重大問題となった。それに対し神道の立場からは神道は霊魂だけて成り立っているという話があった。死者の声を聞き、それを生者に返すという役割が仏教に望まれていると思うがどうか。死者は霊魂がなければ存在しない、死体だけになる。もし霊魂を認めるならば死者の不平不満・悲しみを受け止め遺族に届けなければならない。

薄井:死者の思いを受け止めるという事が儀式の中で行われていかどうか知らないが、霊魂無しに葬式の儀礼は成り立たないと思う。葬式は昔は追善供養の意味合いが強かったが今はお別れ・告別の意味合いが強くなっている。宗教儀礼よりもお別れの比重が高くなっている。これが進んで行くとお坊さんはいらないということになりかねない。

山形:前に流行った「千の風」という歌があるが、これは死者が歌っている内容だ。「私はお墓にいません、そこで眠ってなんかいません」という。これを聞いたある坊さんが随筆でこの歌は不愉快だと書いた。なぜかというとこの歌で法事の依頼が減ったからだという。僕はこの歌が好きなのだがなるほどそういう見方もあるのかと思った。高野山の松永さんという管長に電話して聞いたらやはり嫌いだと言っていた。すると坊さんは死者の魂が墓に居ないなどと言われると、一方で腹を立てながら、もう一方では魂を否定する、しかし墓にちゃんと居てもらわないと困る、という悩みがあるのではないか。

薄井:この歌は大多数のお坊さんは嫌だと思います。しかし一般の人はそこまで深く考えてこの歌を好きだとか嫌いだとか言っているわけではない。この歌が好きで墓参りにも行く人が大部分だと思う。お墓に「千の風」と彫っている例も多い(一同笑)。そんなに敏感になる問題でもないと思うのですが。冷静に考えるとお墓にいるのか、仏壇にいるのか、浄土にいるのか、曖昧だ。曖昧なところがいいと思う。


山形:次は神道でスピリットの問題である。坂田さんお願いします。

坂田:1970年から日本宗教連盟という宗教界の場面に引き出され、世界宗教者平和会議(WCRP)の設立に関与した。宗教がありながらこの世の危機が消えないのは何故かという問題意識から出発している。そして教団に信仰が無いから信者の教団に対する献身がない。献身があったとしてもそれは教団止りである。これが教団そのものの存在の悪である。それを教団自身が解消していかなければならない。信者が教団に向うその同じ姿勢で教団が世界と向かい合わなければならない。
 WCRPの活動の場を背負わされて未だにトラウマとして引きずっている体験をした。ベトナム戦争当時、ベトナムのカンボジア侵攻に際しベトナム兵士がカンボジア女性に血を注ぎベトナム化してしまおうという、思いもつかない侵略があった。カンボジア救済ということでジャングルの飢餓地域に米を持って行った。そこで何千人という女性に米を配った。その一人にあなたはどこから来たかと問うと、三日がかりでここまで来た。村を6人で出た。途中ベトナム兵に3人襲われ殺されました。ここに着いたのは3人です。私はその時絶句していったい支援とは何なのだろうという疑問が今でも私の中に引きつってあります。
 そこから縮むのではなくもう一度背筋を伸ばして、それを超える救済平和の信仰をどう作り上げたらよいのか。その立場から日本の神道を振り返ると、仏教と無縁ではなくむしろ仏教にがんじがらめになっていた。仏教が伝来しその新しい宗教に出会って神道と自らを呼ぶことがはじまった。そして仏教とともに神道が宗教としての自覚を持って今日に至る。むしろ仏教に培われてきた。人のゆりかごから墓場までという一生を神道と仏教が分けあってきた。神道はゆりかごから結婚式ぐらいまで、仏教はそれ以降から葬式まで。経済的にも人生の前半は軽く、後半は重い。仏教の抜群の経済力もそこに根ざしている。結婚式の値段と葬式の値段は桁違いだ。そういう仏教に抱えられた神道だった。
 そのような神道の人間として WCRPの課題に向ったとき、この課題を超えられるはずがないと思った。超えるためにはどうしたらよいか。ゆりかごから墓場までに対応できる神道でなければならないと自らの改革に努めた。そして自立しうる神道として目に見えるものにしていく。そこに人生の前半を費やし後半はパーフェクトな神道の確立をめざした。日本初のパーフェクトな信仰としての神道を今日作り上げた。そこから宗教としての神道の活動をこれから展開していこうとしています。

山形:事前の話し合いの中で神道とは何かと聞いたところ、仏教にはスピリットがあるのかないのかが問題になったが、神道はそもそもスピリットだけということを仰った。それがわかりやすかった。死で終るのか――終らない、スピリットが生きているということを強調された。

坂田:私はスピリットとは言わず「みたま」と言った。霊ということばとみたまという大和言葉はまた少し違う。みたまは外国語に正確に翻訳することはできない。みたまを国際語にしたい。

山形:この世とあの世の区別がないということも言われた。

坂田:その区別は仏教の影響がある。みたまは今生きてある。身体という機関を得てこの世のみたまの生き方がある、それはみたまが顕なる活動をするために必要だ。その使用期限が来るとみたまはそこから離れる。そして今もここで共に生きている。私の父は50年前に亡くなったが今もここで私の話を聞いてくれている。これがみたま観点です。

山形:被災地で祭りをすると各地に散らばった沢山の人々が集まってくる。祭りを中心にして共同体ができる。御神輿の中にあるのがみたまである。そういうことが被災地の各地で起きる。これは不思議な現象なのでお尋ねしたい。

坂田:みたまは見えないがもっとも確実に存在している。それを人々が実感し、仕え、知らせていく営みが祭りである。それを楽しんでもらう。それが祭りの心と姿である。

山形:神輿の中心に乗っているものを作らない、空間になっている、そこにこそみたまがあると仰ってくださった。ここで一端休憩です。


〈休憩〉


山形:再開します。私は司会をやっていますがキリスト教からの発言も科せられています。それを申上げます。
 キリスト教を一言で言うとスピリットの宗教です。その点から先ほどの坂田さんの発言は中身が非常に近い。ギリシャ語で言うとプネウマ。これをスピリットと訳すと少しずれる。日本では聖霊、霊魂と訳すがそれもだいぶずれる。プネウマは千の風のようなもので目に見えないが、自分に吹き寄せてくる感覚のようなものだ。誰も見た人はいない。しかしイエスの奇跡は全てプネウマによるとイエス自身が言っている。教義の中に復活というものがあるが、これは私達の身体の中に滅びる部分と滅びない部分がある。滅びない部分はソナ滅びる部分はサルツという。ソナは見えずサルツは見える。ソナは見えないのだがある。そしてイエスの復活の身体はソナである。我々が死んで天に昇ってよみがえるのもソナである。そして日常生活の身体はサルツでこれは滅ぶ。このように二元論的に考えるがこれを行ったのがパウロでギリシャ哲学の形相と質料の考えを用い、形相的なものをソナ、質料的なものをサルツと言った。これを英語に訳すと全部ボディになってしまうから分からなくなる。
 一神教の宗教は終末論を持っている。終末のとき我々の肉体は滅んでいるのだがソナは生きていて存在を主張する。神道のみたまとそっくりだなと思った。みたまは神道が使っていたので日本のキリスト教はそれを聖霊と言った。それで何のことか分からなくなったところがある。お化けでもないし、お化けの反対というとますます分からない。
 アメリカに住んでいた時に、朝How are you.という。I'm fineと答えないと病院に連れて行かれてしまう。日本人だったら今日は気分はどう?と聞いたら、まあまあと答える。まあまあが英語にはない。僕はI'm fineということに疲れてしまってI'm not fineと言ってみた。そしたら級友が何人か寄ってきて病院へ行けという。病院へ行く気は無いと答えると、ではnot fineではないのだな、と念押ししてくる。はじめからfineと言えばいいではないかと叱られた。そのfineという感覚がスピリットに近い。今日は天気がいいね、というときはfineである。そのfineにはスピリット・聖霊が働いているという感覚である。
 檀家制度をキリスト教から見る。イエスの神の国運動が十字架で潰されてキリスト教がバラバラになる。逃げた弟子達は四九日過ぎて五〇日目に集まる。これは仏教と同じ。これをペンテコステという。この日にイエスは天に昇ってあとは出て来ない。次にイエスがやってくるときは終末の時である。そのイエスが不在の間、自分の代わりとしてお前達に聖霊を遣わす、という。そうするとイエスの代わりとして地上には聖霊がある。だから父なる神と子なる神と聖霊は一体である、という三位一体だとローマ帝国が言った。これが説明できなくてその議論を一世紀行った。そしてアウグスティヌスになってようやく理論が確立した。
 三位一体を信ずるかということがキリスト教徒になるときのポイントで、洗礼を受けるときには必ず誓わされ、内心なんだか分からないのだが、はい信じますと答える。そして後で悩む。僕は高校2年の時に洗礼を受けてから後は悩みっぱなしだった。みんな悩んでいるのになんでこんなことになったかというと、ローマ帝国がこれが正しいキリスト教でその他は間違いと決めつけてしまったから。つまりメーカーが決めてしまって信者であるユーザーは不満があっても持って行くところがない。ディーラーの牧師さんのところに持って行っても牧師さんも分からないのでいいかんげんにというと悪いが神学校で教わったように答える。その結果みんな分からなくなってしまった。
 やがてキリスト教徒がローマ帝国の支配を離れるようになると、あっという間にぺしゃんこになった。なぜかというと大檀那が離れたから。それでもカトリック教会は小さな国々が檀那になってくれて存続したが、プロテスタントは全く収入がない。しょうがないので自分の国の税金の3割を宗教税としてもらった。しかし今から30年位前から、これはおかしいではないか、自分はクリスチャンではないのに何で税金を取られるのだという不満が出てくるようになった。そしてドイツでは教会に行っていない人は出す必要がないということになった。そうすると出す人がどんどん少なくなった。そして教会がやっていけなくなった。これは重大問題でしょう。
だから仏教が檀家制度という梯子を取られたら、一挙に潰れるのではないか。 結局言いたい事はなにかというと、キリスト教は追い詰められて仏教より早く個人の宗教になった。 それを政教分離というわけだが宗教が貧困になってしまう。それが力の差になるから大きな問題と言える。
 朴澤先生の檀家制度は幕府ではなく仏教側が作り上げてきたのではないかという話があったが、キリスト教も檀家制度を拡大していくときにコンスタンティヌス帝がローマ法皇に与えた手紙という偽書を沢山作った。そういうことで朴澤さんの話は興味深かった。キリスト教は今後どうなっていくかというと個人の宗教としてやっていく他はないと思う。国家が関わるとアメリカみたいになり、イスラエルみたいな国ができてしまう。スッカラカンのところからもう一度立ち上がらなければならない。それがイエスの神の国運動で12人くらいの弟子達と漂泊しながら病気治しをして歩いている。これこそここでやっている臨床宗教師の姿ではないでしょうか。お寺を作らない漂泊の人というのが私の勝手な見方です。
これがキリスト教の側からの仏教への批判というか、同情・憐れみというかそういうコメントでした。
 それで皆さんの手元に東京の有名な牧師が亡くなった時の葬儀次第をお渡ししました。これにはサンスクリット的な難しいものはなく簡単明瞭。バッハのオルガン、讃美歌、短い祈祷、聖書を読む。マタイによる福音書六章25―34節。これを元はギリシャ語とラテン語で読んでいて何のことかさっぱり分からなかった。ここに挙げているのは明治期に訳された格調高い名文です。今はこれを読んでいる。だから仏教のわけの分からないお経を分かるようにどう訳して聞かせるかということが問題だと思う。ネパールでは物語が入っているというのはとてもよい。
私の話は以上です。


では皆さんから頂いた質問に答えて頂きます。桜井さんから。

桜井:一つ目の質問は「チベットの葬法として火葬が挙げられているが、普通は鳥葬ではないのか。火葬は薪が必要なので富裕な人に限られるのではないか」
チベットの葬儀の話をすれば鳥葬の質問があるだろうと予想していました。プトゥンの葬式マニュアルには鳥葬は一切出てきませんしその前の段階にも鳥葬はありません。鳥葬が何時から行われるようになったのか私は知りませんので、そのような研究をご存知であれば教えて頂きたいと思います。たしかにチベットは薪が少なく高価で火葬ができる人は限られているということは聞いています。
 鳥葬を考えてみると自分の肉体を鳥に与えて供養して無駄なく処理するということで、自分の肉体を仏に供養する考えと軌を一にしていると思う。プトゥンの葬式マニュアルはどんな人を対象にしたのかが問題になりますが、葬式をしてもらった人の立場からの記録が全く無いので、これ以上申上げることはありません。ただしおそらく鳥葬はそれほど古い葬法ではないと思います。
二つ目の質問「チベットのポタラ宮に歴代ダライラマのミイラを収めた仏塔がある。ダライ・ラマは観音の化身で活仏だから観音が次のダライ・ラマに乗り移る形になる。その抜け殻のミイラに何の意味があるのか」
これもプトゥンの葬式マニュアルによると高僧の場合遺体を仏塔のようなものに収めて寺院内に安置するというやり方が書いてある。その古くからのやり方をダライ・ラマにもあてはめたものではないか。なぜ抜け殻の肉体をそのように扱うのかとなるとその理由までは見当たらない。


山形:次にシャキャさんどうぞ。

シャキャ:一つ目は寺に死者の食器を奉納することについて、なぜそうするのかという質問です。学生時代、文字に書かれていない宗教が地域によって存在するということを鈴木先生から聞きましたがそれに当るものと思います。ネパールの仏教は少数派で10パーセント程度で90パーセントはヒンズー教です。ヒンズー教の影響は非常に強いと思われます。死者に対して食器を捧げるということはあの世でも死者がそれを使えるようにということです。似た形で戦争から帰った人の場合その武器を奉納するということもあります。
 二つ目の質問は今回のネパール地震についてです。グティ(講)は葬式ばかりでなくあらゆるところにあります。今回の困難を乗越えることについて グティが互いに助けあっているようです。寺院は古い建物が多く、人を助ける立場よりも被害を受けている方が多いようです。寺院の役割についてはネパールに何度も電話して実感したことがあります。何かできる事があるかと聞いたのですが、あなたの専門は役に立たないとはっきり言われた。今欲しいのは医者・技術者だということでした。その後で、しかしあなたたちの出番は必ず来るよとも言われた。これは今日のテーマでもあるが被災者をどうやってサポートしていくかを指していると思う。


山形:次に朴澤さんどうぞ。

朴澤:一つ目が「檀家制度は寺請制度で確立したがその前の段階でできあがっていたのではないか」檀家制度が成り立つためには家が長く続かなければならないので、家の形成もこの時期に重なってきてそれに寺請制度が被ってきたと思います。
二つ目が「寺墓と檀家の関係が制度の核心ではないのか」墓地と寺はク墓や屋敷墓もあり地域性もあって一概に結びつくとは言えない。
 もうひとつ山形先生と私への質問で江戸時代と明治時代のキリスト教の入り方の違いは技術の発展段階の差ではないか、キリシタン禁制を柔軟性があると言ったがそれも技術の段階差があったからでないか。という質問です。これはどこからキリシタンと認定するかというところで高度な行政判断もあったのではないかと思っています。ヨーロッパでは二十六聖人の殉難劇が上演されたりしていますので、そんな状況で日本に対する布教方法が変わったのか。

山形:では答えます。カトリックが世界的に大きく変化している。1962年に制度を根本的に変えてしまった。プロテスタント以上に自由なものになってしまった。それまで男女差別があったカトリックの教職制も変化した。それ以前のカトリックと全く違ったものになった。逆にプロテスタントの方が遅れを取ってしまってルター、カルヴァンの宗教改革の精神を貫いているのだが改革の相手がいなくなってしまった。カトリックは1960年代に南米で解放の神学として貧困救済や政治・経済変革まで含んだ運動を展開した。今のローマ法皇はその出身ですので本人も革新的です。日本のカトリック教会が原発反対・集団的自衛権反対を言うとローマ法皇も賛成のコメントを出す。むしろカトリックの方がプロテスタント的になっている。その武器となっているのがプネウマ信仰です。我々にプネウマが働くということは貧困の解消とかシングルマザーの救済とかそういう具体的・政治的・経済的運動として展開する。宗教が政治と分離してバランスを保というのでなく、宗教は権力からお金を貰わないが宗教自身の力によって政治を批判していく。そういう方向にそってアメリカの神学者達も研究していますから、ユダが裏切り者から最高の弟子に、マグダラのマリアは罪ある女ではなく最高の女であると変わってきている。そういう大きな価値観の変化の中にある。ちょっと答えがずれましたかね(一同笑)。


次に薄井さんどうぞ。

薄井:一つ目の質問は魂についてです。僧侶の宗派ごとの意識調査を見た覚えがあるのですが、魂を信ずるか信じないかという調査で、僧侶の50パーセントは信じ、30パーセントは信じていない。
20パーセントは無いと思っているが現場ではそうは言わない。なぜこういうことになるかというと、お坊さんになっていく段階で魂を教えるということがほとんどない。儀式・教義・行の教育になる。行は本来魂なしには考えられないはずだが、それを口にしないのが僧侶養成の仕組だ。さらにこれが浄土真宗になるとおそらく90パーセントが信じていない、ということになろうと想像します。しかし浄土真宗であっても僧侶と門徒ではずれがある。その辺は行き過ぎた宗門教育という感じが私はある。
 次に戒名について。受戒をしておかないと仏教徒として葬式を挙げられないから戒名を与える。お布施と同じで批判が多い。2002年頃、全日本仏教会が戒名料と言う言葉を使うなという見解を出した。それでも何も変わらなかった。結局戒名の問題はやはりお金の問題で、たとえば戒名は無料だと言ったとすると、戒名をいらないという人はほとんどいなくなると思う。戒名そのものに責任はない。つまり葬式仏教・戒名の問題は突き詰めるとお金の不明瞭に行き着く。お金を頂くことに問題はないが相互の共通理解がないところに問題がある。
 次に檀家制度について。惣村制が確立し家制度と同時期に檀家制度ができたと思われるが同時期に葬送制も出来上がっていると思う。現代は惣村に当る地域コミュニティーが脆弱になり檀家制度の基盤をゆるがしている。同時に家制度も崩れてきている。先祖代々の家は崩壊した。核家族はまだなんとかあり、お爺ちゃんぐらいまでの先祖はあるので家墓が持ちこたえている。しかしその核家族ももう怪しくなってきており家の意識が希薄になっている。なおかつ少子化社会である。近い将来家の墓は成り立たなくなるだろう。そこでお寺側も取り組みを始めるところが出つつある。東北大学でも日本で初めて永代供養墓を作られた妙光寺の小川さんを呼んで授業をするようですが、永代供養墓――跡継ぎのない墓が平成のはじめ頃生まれて、これが今の仏教界の取り組みになっている。これを導入するお寺はほぼ100パーセント檀家制度ではなく会員制度を導入する。家制度の崩壊をお坊さん自身が感じている。檀家制度とは違った緩い関係を構築しようとしている。


山形:次に坂田さんどうぞ。

坂田:戒名について、死んでから名を与えるということは仏教ではいつ頃からあるのかという疑問があるのですが、本来の日本の神道の死者の送り方の中に諡(おくりな)というものがある。死者の功績に応じて名を送る。これは神道の死者の送り方の礼法だと思う。
それで質問は 「神社にはなぜお墓がないのか」とある。これは諡とお墓とどちらも神主に意気地が無いので仏教に奪われてしまった(一同笑)。
 しかし神道の本質は天皇のありようの中に100パーセント伝承されている。天皇陵というものに神社の墓のあり方が示されていて、私は完全な神道の復活を志しているので、私の最後の仕事として天皇陵を模した墓を作りたいと思っている。

山形:私が高野山に行ったときにびっくりしたことがある。弘法大師が祀られているが、そのみたまが生きている。おはようございますと起しに行って朝昼晩お膳を供えてお風呂に案内してお休みなさいで一日が終る。それと全く同じことが天理教でも行われている。天理教は神道なのでわかるが、なぜ仏教が同じ事をするのか、坂田さんの言われたように神道の大事なところが仏教に盗まれたのではないかと感じた。今日の参加者に天理大学の前学長がいらっしゃるので話してもらえませんか。

天理大学前学長:私共は教祖のことを親様と呼びますが、親様は今も存命時と同様にお住まいになっていると考える。みたま、霊魂、スピリットが話題になっていたが天理教の信仰をつきつめるとお墓はいらなくなると思う。現実には天理教の教会でみたまを祭る施設を持っているところもあるが、お墓はお寺にある人が多いと思う。教団としての墓地は所有しているが教義から言うとこの世に出直してくる。それまでは天地抱き合わせの親神さまのふところに懐かれている。それは千の風になっていることかもしれない。葬式はもちろんやります。先ず遷霊祭というみたまを移す儀式をする。そして祖霊殿に移す。これも突き詰めると祖霊殿もいらないとも思う。やがてこの世に来るのだから。仏教で年忌法要がありますが天理教では五十年祭までは1年、5年、10年、それ以降10年ごとに祭りを勤める。それ以降は生まれ変わってきているということかもしれない。

山形:坂田さん、同じですね。

坂田:全く同じです。


山形:はい、後藤さんどうぞ。

後藤(東北大の印度学仏教学に勤めた方らしい):今回の仏教は私の理解する仏教とだいぶ違うのではっきりさせておきたいが、今日の仏教はブッダが始めた仏教では無い。ブッダが葬式を始めたと言いたい学者が出ていることは確かで私も唖然とした講演を聴いたことがある。それはパーリ語のマハーパリニッバスートラ(大般涅槃経)の訳を誤解しただけの話でパーリ語の理解が不十分なのに加えてその訳である日本語文章の読解力の低さから来ている。
 ブッダの覚った内容は私達は完全には分かりませんが、彼は「・・・はアートマンではない」という形で表わしている。そのアートマンはリグ・ヴェーダ以来の祖霊祭・葬式の主要部分であり、そのアートマンを火葬にして天界に送り届けることが葬式である。そしてブッダはアートマンであるとは言えないということを貫いた。そのブッダがアートマンを認めるということはありえない。実際、ヴィナヤ(律)の中で禁止している。そのことはお伝えしえおかなければならない。

山形:(桜井氏に確認して)その通りだそうです。ありがとうございました。(一同笑)
 私の頭の中では仏教を遡って後藤先生が仰ったようなリグ・ヴェーダの世界に突き抜けていくものとキリスト教でもユダヤ教を突き抜けてアーリア人の宗教まで行く。そうするとプネウマのようなものが中心となって「・・・してはいけない」というような掟は雲散霧消する。先ほど出したイエスの「明日のことは思い煩うな」というようなことは後藤さんから頂いたリグ・ヴェーダを読んでみると同じですよね。うん、と頷いているのですが(笑)。仏教も神道もキリスト教も突き詰めていくと一つのポイントにまとまっていくような感じを強くする。
 薄井さん、お坊さんの悩みを聞いて葬式を変えなければいけないとか考えるところがあると思いますが、変えていくものは昔の檀家組織の方なのか、あるいはもう少し突き抜けないと答えが出ないということがありますか。

薄井:昔の檀家がどうかとか教義がどうかとかよりもっと大切な視点として、今目の前にいる悩んで苦しんでいる人をどうフォローしていくかだと思います。臨床宗教師はそういう視点から出発していると思う。その視点から始めるということが葬儀においても祈祷においても必要だと思う。

山形:そのためにこのシンポジウムを行ったわけですね。(ご老体が発言要求)あと五分しかありませんがあなた五分で喋れますか(一同笑)。

ご老体:今後藤さんからアートマンが無いということで説明があったが、それはその通りです。それに対して仏教は何と答えたか。私の身体を構成している限・耳・鼻・舌・身そういうところにはアートマンはない。また身体は色という概念でとらえるが色は感ずることができるがそれはアートマンではない。私のものでもない。然し受戒をして私は死ぬまで約束を守りますというとき、人と約束をして約束を守る自己というものを否定すると教団も社会も成り立たない。
 また死んだらどうなるか。阿羅漢になると死んだら未来はないからアートマンもない霊魂もない、と言っても上座部仏教では困らない。過去だけはあるから過去物語は作るが未来物語はなし。しかし覚りを開かない者は天に行くか地獄に行くか畜生に行くか阿修羅になるかということになる。
 日本に来た仏教であれば死んだ後戒名をもらって極楽に送ってもらって成仏して生きている我々に働きかけをする。そういうことで霊魂が無いという言い方は仏教的にはおかしい。日本の仏教は霊魂があることを前提にしている。霊魂と言わずみたまでもよい。それを前提としている。なぜか。極楽に行く何かがなければならない。その先に覚りもある。

山形:ありがとうございました。皆さん熱心に聞いてくださってありがとうございました。  

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