真宗大谷派 西照寺

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前住職の三ヶ月海軍記


                    83歳になる前住職の回想。

星 祐盛
2010年7月17日

みなさん今日は。大変暑うございます。

 今日の話は、私が徴兵検査を受けたところからはじまります。
 昭和20年6月、隣の実沢小学校で、陸軍の徴兵検査を受けました。結果は乙種合格でした。 そのとき戦争に行かなければならないのか、という思いをちょっと懐きまして、検査官に聞いたところ、 申込を変更することができると言います。私は陸軍の行軍が嫌だったので、変えられるのであれば海軍に行きたいと、 ダメでもともとで申し出てみました。そうしたら、変更できると言われました。そこで、検査は陸軍だったのですが、 海軍に行くことになりました。

 海軍の新兵は先ず海兵団に行きます。横須賀の武山海兵団というところに配属になり訓練がはじまりました。他の新兵と 一緒に配属された初日の夕方、風呂に入る時間になりました。
 風呂に行ってみると、皆裸ですので、そこには自分と同じような新兵だけがいるものだ、と先入観で私は思いました。 ところがそこに班長クラスが四、五人居たのです。服を着ていれば襟章で判りますが裸なので判りません。私は上官などは いないと思って、陸湯おかゆをかぶりました。家にいた時と同じように三杯四杯とかぶりました。 その近くに班長がいたのです。その班長が「ちょっと風呂から上がれ」と私に言いました。そして木の椅子に座れと 命じられました。座ると注意がはじまりました。「海軍で一番大事なことは何か解っているか。」と言います。 私はさっぱり解らないものですから黙っていました。そうしたら「水だ。」と言います。「なぜ水が大事か今から話を するから、よく聞け」と言います。私は返事ばかりも元気にしようと思って、相手が「よく聞け」と言ったときに、 「はい」と元気よく答えました。
 そこからはじまりました。相手は拳骨で私の頬を殴るのです。殴り方はかなり強く感じました。相手はその時に 仕込もうと思ったのでしょう。説教しながら区切り区切りで「解ったか」と言います。その時、拳骨が頬に飛んできます。 それが限りなく続きました。私は頬が痛くて口の中が切れているのではないかと思いました。結果としては切れません でしたが。ところが一晩寝たら腫れてきておたふくのようになりました。周りの人達から、何をしたのか聞かれましたが 訳は言わなかった。そういうことが始めにありました。私が想像していた軍隊とは全然違いました。世間の常識とは全く違う。

 海軍では泳げないとだめです。入隊二日目から水泳の訓練がはじまりました。1キロメートルの距離を泳ぐ訓練です。 そのやりかたは、先ず海の中に放り込まれます。そしてどれだけ泳げるか見るのです。私は泳ぎはできないわけではなかった。 7,800メートルは泳げましたから1000メートルも大丈夫だと思った。訓練の時には、溺れる者がいるときのために、 脇に船が付く。溺れかかったときに助けるわけです。私は、同じように泳いでいる人よりもちょっと先へ進んだ。 平泳ぎで向こう岸まで着いた。今の小中学校はプールで泳ぎを覚えますが、私が小学校五、六年の頃は近くの七北田川でした。 そこは水量が豊富で、毎年夏休みになると必ず近くの子供達と泳ぎに行きます。毎日午前、午後と。そうしていると 自然に誰に教えられたということもなく、泳ぎができるようになりました。五、六人で一緒に川に泳ぎに行くというのは 子供として心強いわけです。その中で自然に覚えたことが、海軍で役に立ったわけです。そういうことを今思うと、 ありがたいことだと思います。

 それから二、三日たって別の訓練がはじまりました。アメリカとの戦争の末期ですので、米軍の日本上陸作戦のとき、 敵戦車が来る、その戦車をやっつけるという訓練がはじまりました。蛸壷を使って相手を殲滅するというのです。 人が入るくらいの穴を掘って、1台の戦車に対して七人で攻撃します。蛸壷に隠れて戦車が来るのを待ちます。 やっつける順序がありまして、最初にガラス瓶の爆弾を、戦車の運転席あたりに投げてやって目くらましを与えます。 次に戦車のキャタピラが通るところに爆弾を転がしてやって、その上をキャタピラが通ると爆発します。すると 戦車は動けなくなる。
最後のとどめを刺すのは、背負い爆弾と言って、ランドセルのような爆弾を背負います。そして戦車の下を潜っていって、 戦車の腹の下に置いてくる。そして自分は逃げてくる。爆発までの時間は短いので、もたもたしていると戦車と一緒に 自分も吹き飛ばされます。それが一番最後ので二人組です。
 そういう順番で一台の戦車を破壊するというものでした。訓練の時は戦車の模型が板で作ってありました。午前中は 学科の勉強で、午後からはこの戦車殲滅作戦の練習を続けました。

 その訓練が十日くらいで終わり、次に何をやるかというと、やることがない。そのとき何をしたかというと、 横須賀の岸壁に防空壕のような穴を掘ります。その仕事でした。毎日シャベルで土を掘って、曲がりくねったトンネルを 作っていく。そのトンネルの目的は、人ももちろん入れますが、物資の保管用倉庫でした。その仕事に二十日くらい かかりました。横須賀の小高い丘の下は蟻の巣のようにトンネルが掘りめぐらされた。そこにどんどん物資が運び込まれ、 敵に爆撃されても守られるようにした。
 そういう仕事をやっているうちに、噂が流れはじめました。穴蔵倉庫から誰かが物を運び出しているようだ、 誰かが物資を盗んでいる、と。また、運び出している者は将校だという噂も流れた。戦争末期で規律がそろそろ乱れ はじまった頃です。
 すると、上官がそういうことをするのなら、自分もやろうという者が出てくる。穴の中に何があるのかは穴掘り しながらわかっていましたから。そしてどんどん運び出す者が出てきた。アルマイト製の新品の弁当箱など。 そんなことをやったら普通は重営倉に入れられてしまう。しかし、そういう重しが効かなくなってしまった。 私の配属先は東北の人が集まっていました。その中で「どうだい、今晩行かないか」と誘いがくる。私はそう言われて、 行きたい気持ちがあったが、やってはいかんという気持ちの方が強く、行かなかった。盗みの方は甚だしくなると、 トラックを持って来て運び出したという噂も入ってきた。だから、戦争の末期状態で規律が乱れていたということです。

 そうして、終戦、日本の敗戦を迎えたわけです。そのとき、天皇陛下のお言葉があるということで、宿舎の前の広場に 集められ玉音放送を聞かされた。中身はなんのことだかさっぱり解らない。私も聞き分けることができなかった。そして、 なんとか聞き分けた人に聞いたら「負けた」という。
 その時の私の受けた衝撃は大きかった。今までの日本に負けたということは無かった。そして負けたということを 聞いたとき、私は頓狂な声を上げて「日本が負けたのは科学の為だ」、科学がアメリカよりも劣っていたために科学戦で 負けたのだ、というようなことを独り言のように言った。私はこれ以上声が出ないくらい大きな声で言った。 そして涙が出て来た。そして近くにいた人達に泣いて日本が負けたことを教えた。その時は、何も解らない状態だが、 時間が経って心が段々平静になってくると自分の心がどういう状態だったかということが解ってくる。

 敗戦後、復員になるわけですが、復員とは自宅に帰ることです。鉄道で帰ってくるのですが、もう満員です。 私も海軍のハンモックを二つ預けられてそれを背中に背負って帰ってきました。その復員が一週間遅れました。 その一週間の間何をしていたかというと、私が海軍に入るときに希望したところは通信隊だったのですが、 その仕事は暗号を訳するというものでした。暗号文の入った黒い表紙の字引のような暗号書があるのですが、 それでアメリカの暗号を読み取るわけです。逆にアメリカは日本の暗号を読み取る。その技術の優れた方が有利になります。 暗号書は必ず身に付けていなければなりません。日本の暗号はとっくにアメリカに解読されていたのですが。そして、 復員が遅れた一週間は暗号書を焼いていた。浜に行って暗号書を積み上げて火を付けそれを長い棒でひっくりかえす。 ひどいもので、今日のような暑い日に燃やしていた。ところがそんなことをする前に、アメリカには暗号はすべて 筒抜けになっていた。科学で負けたのでなくて、このようなやり方がおかしかったのかもしれません。

 そして家に帰ってきました。そして、親類や近所に挨拶に行かなくてはならない。その時、私は負けたということに ショックを受けていました。ですから、挨拶に行っても、話も満足にできず、笑いも無く、すぐに退散したという 記憶があります。今考えてみれば、敗戦というものが私の心に大きな穴を空けたという気がします。

 そうしているうちに、戦争が終わったのだから、お寺のことを考えなければならないと思い、僧職の資格を取るために 本山に一年間行ってきました。帰ってくると総代長が来まして、「あんたは、この寺の長男だから、何になってもいいが、 衣を着ることだけは忘れないようにしろよ。」と言われた。それに対して私は素直に返事はした。
 そして、お寺だけでは生活できないので、教師として木町通小学校に奉職しました。人数に空きがあったところに、 私の父が跳ね回ってくれて入ることができました。それが昭和24年です。
 この職場は珍しく二十代の若者が二十人くらい居た所でした。私と同世代が二十人くらいいる。そこで、お互いに 話しているうちに、私が先ほどから申し上げているような経験を男も女もみんな持っているということが判った。 その経験をそれぞれが話しはじまった。その中に私より十歳年長の先生がいて、その人は戦争に反対で、少年航空兵などの 募集が来た時に、軍に協力しなかった。目立ったことをすると憲兵に目を付けられる危険がありましたが。 この先生が中心となって、私が勤めはじめた一月後あたりから、戦争のことを話し合う集まりができた。冬になると ストーブを囲んで。
 そこで、皆それぞれの戦争体験を話す、他の人はそれを聞く。それが何日も続いた。だから、本当の戦争の悪いところは、 さっきも言いましたように、やっている間はわからない。しかし、それを過ぎて木町通小学校に勤め体験談を話し聞くように なって、自分達がいかに悪い恐ろしい戦争をしたのかということがわかってきた。
 戦争の本当の姿は、自分も体験するし、人の体験も聞く、ということをしながら解ってくるのだと思いました。 そう簡単に解るものではないということです。今になってあの戦争はとんでもない計画の戦争だったということが 解ってくる。やってる当時はそんなことは全然判らず、なんで負けるはずのないものが負けたのか、がっかりした、 といった気持ちでしかなかった。
 そんなことを思い出したので、話をしてみました。

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