真宗大谷派 西照寺

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二〇〇九年九月彼岸会  アンケート結果


質問内容

「菩薩はいるのでしょうか、いないのでしょうか。いるとすればどこに、どのようにいるのでしょう。 いないとすれば、なぜいないのでしょう。」

回答 6名(内、記名2名、匿名4名)

以下、回答を頂いた順番に表示します。



匿名

 先日の、ご法話で『菩薩』とは「覚りを求める衆生」との意味であるとお聞きしました。
そして、私自身の約六十年の人生経験からのみの考えですが、菩薩は、個々の人間(及び生きるもの全て)の内にあるものと思います。
 自分自身の自覚と自分以外の者との 平和共存の知恵と実践を考えて行く事こそが菩薩(への道)と思います。
 結論として、菩薩は「いる」。個々の心の内に「ある」。 ・・・ です。



2009年12月12日
村本 忠子

まえがき
 今年も残すところ、二週間余り。六月に義母を亡くしているので、喪中の挨拶状も出し終わってしまった。
 だが、何かノドに小骨がささっているような、落ち着かない気分、子供の頃の夏休みが終りそうなのに読書感想文が終って いないあの気分なのだ。
 今の私に宿題など無いはずだが・・・ところがあったんですね・・・住職から出されていたものが。来年の春までとは言われて いたようだが、妙に落ち着かないので取りかかる事にする。

第一章 そうさせたものは?
 我が家には九十八歳を間もなく迎える私の母(入院中)が同居している。その母が守っている小さな仏壇には瀬戸物製の 観音様と鋳物の日蓮上人の像が、私が物心ついた時から入っている。
 私の両親は私が産れた頃は満州国大連市に住んでいた。父は終戦間際に四十五歳で召集され、国境を越えて攻め込んできた ソ連軍の捕虜となってしまい、シベリアのアルタイ州で病死した。それからの母は、姑(私の父方の祖母)と二人の女の子を かかえて戦後の苦労が始まる。
 さて、話は戦前に戻って、一家が平和に暮らしていた時代に、父母は長野県伊那市から父の母親を、面倒を見るために大連に 呼び寄せた。その時、祖母は瀬戸物の観音様と鋳物の日蓮様を持ってきたという。
 父の一番上の姉(年齢は相当離れていた)は、現在の伊那市にある深妙寺(開山七百年)という日蓮宗のお寺に嫁いでいたため、 父方の宗派は日蓮宗となっていた。そしてまた、母が産れたのは千葉県の房総半島、日蓮上人の誕生された安房の国ということで、 日蓮様は大切な方らしい。
 母は、昭和二十年敗戦の後、自宅がソ連軍に接収されたので、ロシア街にあった母の妹夫婦の満鉄の社宅に居候させてもらっていた。 その時期に祖母は高齢で亡くなったという。
 その後、満鉄の妹夫婦の方が先に引き揚げになったので、母は私達姉妹を連れて知人の経営していた「日本橋ホテル」の一室を借り、 引き揚げまで過すことになる。引き揚げ船に乗る際は、五歳の姉の手を引いて一歳半の私を負ぶいリュックサック一個だけの姿だった という。
 以前までの私は、観音様と日蓮様の二体の像は、単に祖母の形見なのだとだけ思い、手を合わせていたのだが、今はとても不思議に 感じるのである。
 高さ12.5センチメートル重さ100グラムの観音様、 高さ10センチメートル重さ236グラムの日蓮様、合せて336グラム。結構重い。 リュックひとつしか持てない身で、この二体の像を持って故国に帰らねばと、母に思わせたものは何なのだろうと。壊れもしないで 今も同じ姿でおられる。
 母と私達子供二人は引き揚げてきてから、一時伊那のお寺に身を寄せていたのだが、父の戦病死が判明してから、母は自分の両親を 頼って伊那を出ることになる。

第二章 思ってもいなかった事
 平成十年、夫五十七歳、私五十四歳、母八十七歳。私達の子供二人は結婚して、それぞれの家族を持っていた。
 夫は、間もなく定年を迎えようとする落ち着いた毎日の中で、趣味の玄人はだしのアメリカンカントリー家具作りに夢中だった。 私はハーブの花を育てたり、それらを使った料理を楽しむ毎日だった。幸せな日々だと自分で思っていた。
 そんな日常を百八十度ひっくり返す出来事が起る。夫は健康診断で行ったエコーの検査で肝臓にガンが発見されてしまった。
 それ以後の闘病の苦労は省くとして、夫も私も、亡き父・祖父母・あらゆる神仏に、助けて下さい、命を持って行かないでと、 どんなに祈ったことか。どんなに祈っても願っても死は確実に訪れた。
 すべてが終って一ヶ月後に家に納められた仏壇に、仏壇なんてただの箱じゃない、ここにアナタが入っているっていうの? と、 今になって思えばとんだ勘違いを日記に書いていた。
 私達のような転勤族は、家族が亡くなることを機会として、お寺とのご縁ができることが多い。夫は札幌出身(先祖は石川県)なので、 浄土真宗だった。私にとっては、初めて真剣に向き合うことになった宗派だ。それまでは、二階にある母の仏壇に手を合わせ、 転勤で大宮に住んでいた頃は、伊那の寺に父の墓参りに行き、南無妙法蓮華経と唱えていた。
 夫との最後となった車でのドライブ旅行も長野一周。病気が発見される直前だったが、深妙寺を出発し、諏訪、安曇野、長野市、 私の父が中学時代を過したという松本等を廻る旅だった。
 深妙寺は私が子供の頃を過した想い出と、住職は伯母の息子という気安さ、大きな太鼓橋を渡って庫裡から本堂に続く佇まいが 私達のお気に入りだった。現在は伊那のあじさい寺、石臼の寺としても有名らしい。

第三章 仏の教えを聞く
 平成十三年三月、西照寺の同朋の会に初めて参加した。この時より、仏教という教えを紐解く私の闘いが始まった。
 闘いと言えば大袈裟だが、当時は夫が亡くなったことの不安・不満を何にぶつけてよいかわからない、悲しみにくれていた状態 だったので、半ば必死の思いで、言葉一つ一つを聞き逃すまいとした。それが今の自分を少しでも解放する手段ではないかと感じ 始めていたのは確かだった。
 あの頃は仙台の街へ出て、昼休みにビルから昼食に出てくるサラリーマンのスーツ姿を見ては我が眼をそむけ、夕方のスーパー マーケットで夫婦仲良く買い物をしている姿を見ては腹立たしく思う自分がいた。
 当時の日記に「俺が作るから待ってろ、と言ったじゃない、ブラックベリーのアーチ。フラリフラリと風になびいて私のようだね。」 と書いている。その後、私は支えのないその木を見るのが嫌になり、引き抜いてしまった。
 そんな折、お寺から配布された組報「親鸞の風 第11号」に宮川美子さんが「ツルニンジン」という題でエッセイを書いていたのを 目にした。宮川さんは私より三年早くご主人を亡くしており、別の宗派の檀家だったが、真宗の勉強会に参加していた方だった。なんと、 彼女はやはりフラリフラリと己のすがる支柱のないツルニンジンの姿に仏性を見出している。
 未だ何も教えを聞いていなかった私との差は、歴然としているではないか。その文には現実を見つめ、素直にありのままを受け止めて ゆく事が大事と、真宗の教えで学んだと書いてあった。
 現在、九年間、できる限り休まずに教えを聞いてきた私も、悲しい時は悲しみ、苦悩を受け止め、思うようにならないのが生きている 証し、現実に満足しよう。仏の教えは願うことではなく今の自分のありさまによく気付きなさい・・・そういうことなのかなと気付いて いる。

第四章 そろそろ宿題を
 「菩薩はいるのでしょうか、いないのでしょうか。いるとすればどこに、どのようにいるのでしょう。いないとすれば、なぜいないの でしょう。」
 この質問への答えは私自身、明確に答えられないので、このような長い文章になってしまったのだと思う。九年間教えを聞いて感じ 取った結果を、私の身辺の出来事を通して書き連ねてしまった。
 菩薩、観世音菩薩。観世音を字面から考えると、広く世の中を観る、広く世の中の音(言葉)を聞き取る。すべて見通しているから、 私にまかせなさい。苦しんではいけません・・・という教えの象徴を形に現わした存在と受け止めた。
 第一章で母が大連から持ち帰った二体の像のことに触れたのも、どんなことがあっても私はこの子達を連れて故国へ帰るという、 強い意志を二体の像に託したのだと、今になって思う。また当時買ってもらったつづれ織りの帯一本だけを夫の形見として持ってきた、 とも聞いた。その帯に観音様を壊れないようにぐるぐる巻きにしてきたのだろうか。今はもう、余り言葉を発しなくなった母に当時の 様子を聞く術はない。
 今、私は沢山の友人に助けられ、また私も出来る限りの手伝いを人様にし、九十八歳を迎える母の事も愛しく思えるようになった。 もっともっと教えを学び、自分の本当の姿を知りたい。そんな己の中に菩薩はいるのかもしれないと思うのである。

あとがき
 十二月二十四日朝、久しぶりに晴天。
リビングから庭に目を移すとすっかり葉を落したアロニアに赤い実が残っている。そこへ雀ほどの大きさで背は黒く白い斑点、 お腹は茶色のジョウビタキがやってきた。一粒ついばんでは注意深く辺りを見回す。ノラネコが時々ねらっているのを知っているように。 今年の冬も我が庭に来てくれてありがとう・・・
 八年前喪が明けた年の年賀状に、まだとてもおめでとうと書ける心境ではなかったので「林檎ひとつ、冬鳥と私半分コ、良いお年を」 と書いて出した。ところが離れて暮らす娘から「お母さん、あんなみじめなこと書かないでよ。リンゴくらい沢山あるでしょう。」 と叱られた。
 そう、リンゴは青森からいただくので、食べきれない程ある。私は心の中で、そうじゃないんだってば、アンタってもう、 と少し怒っていた。しかし、娘はリンゴの事を言いたいのではなくて、本当は私が淋しそうで、それが嫌だったのだろうと反省した。 私は夫を亡くしたが、子供達もまた最愛の父を亡くしたのだ、悲しみは同じだったのだと。母にはせめて元気で明るく暮らしていて 欲しかったのだろう。
 今、冬枯れの庭に寒くて咲ききらなかったバラのつぼみが、先の方にピンクの色を見せて残っている。凍ってしまわないうちにと 鋏を入れて、夫の写真の前に飾った。今年の庭も終りですよと、つぶやきながら。暖かな陽差しが部屋一杯にさしこんできた。 その光を浴びて、ああ荘厳の宮殿は我が内にあると、しみじみ感じている。



匿名

 菩薩は、仏教が広まるにつれて仏像として視覚化したものと認識していたが、菩薩の定義を調べると
・菩薩は仏陀の次の位で、仏を補佐し、修行してやがて仏になる人。
・悟りを開いて衆生を救おうとする修行者。
・仏に近い学徳を身につけている人
であることを知った。
 仏教による悟りを目指し、四苦の中で生きる衆生を救おうとして、手を差し伸べる「行」を行う人、即ち仏教者が菩薩と云うこと になる。が、それならば日本に伝来した六世紀以降、釈迦の教えをうけついで来た長い歴史の中で菩薩と云われる人が、いつの時代、 どこに存在したのだろうかと云う疑問がわいてくる。
 仏教が伝来した後に仏像が作られ、時を経るにつれて朝廷、貴族の庇護を受けた時代もあり、素材、型、色彩も異なり、それぞれに 慈悲であったり、智慧の菩薩であったり、全国各地に多種、多様な菩薩が作られて来た。
 仏教は「心のあり方」が教えの中心であるので、時代を経るにつれ、新たな教義や宗派も生まれ、それぞれに釈迦の教えとして発展 してきた。
 ある人が「中宮寺の仏像の微笑に慈悲を見た」と書いている一文を読んだが、そのような境地に達することは、誰にでもかなうもの ではないと思う。
 心を落ちつけて、仏像と対し、仏に救いを求めて祈ることもなく、さりとて苦を抱えることの多い日々の生活の中で、仏道にある人 との距離も、関係も、希薄になっているのが大多数だと思う。
 仏像を日本の文化的遺産、美術品として鑑賞する傾向が強いように思えてなりません。
 仏に対する信仰心がないところに菩薩は居ないように思えるのです。



匿名

菩薩様はおります。
 天上界と地上界の間におり、時々空から降りてきて知人・友人の中に降臨し、話を聞いてくれたり、何かに気付くというきっかけを 作ってくれる。
 自分の中にも時々降りて来て下さるが、それを気付くかどうかは、自分の心次第なのだと思う。



吉田 忠子

問 菩薩はいるのでしょうか

 森羅万象、生きとし生けるもの、人間をはじめとして、毎日毎日生きている、又、生かされていることに、とうてい科学や理屈では 及ばない、壮大な不思議さを感じます。

 その中で、私自身、今ここに生かされている事は、まさに連続した綱渡りのような、奇跡にも近いお陰があるということです。そして、 今ここに居るという事に何の疑問も持たず、日々たんたんと当然の如く過しているのです。

 しかし、形としては目に見えないものの、それらを常に見守って下さる何らかの力が存在しており、それが「菩薩様」ではないかと 思うのです。そして、過去・現在・未来さらに運命に至るまで、全てお見通し可能なところにおられるのではないかとも思うのです。

 ごく身近かなところとしては、いつも一緒に自分自身の心の中におられ、日常の生活の中において、心穏やかに手を合わせることに より、何か広い御心に受け止めていただけるような気がし、安らぎ、心のよりどころとなっているのです。又、どんなに美辞麗句を 連ね取り繕っても、自分の心だけはごまかせないし、嘘はつけない。たとえそのような行為をやむなく行ったとしても、空しさとか、 後悔の念にさいなまれるのです。

 このようなことから、どんな人でも、いつでもどこでも、良心に従って行動し、生きる事が非常に大切なのです。自分自身の行動に 責任を持ち、自分の心に忠実で、納得がいくことそのものが「菩薩様」ではないかと思うのです。

 よく私達は困ってしまうと、神様・仏様と拝願します。それはそれで自分自身の心の中にいる「菩薩様」に素直に向き合い、 納得している姿なのではないでしょうか。



匿名
2/28

 物の本によると「自ら悟りを求めると誓い、如来の慈悲行を実践して衆生をも救おうとする者」という解説があった。それで考えて みると、母親を亡くしたという事をきっかけにして、仏教に触れ多少なりとも勉強を始めた私のそばには、菩薩の行があるのではない でしょうか。
 
 ただ、日本の身代わり地蔵の信仰にみられるような、病をなおす、というような現世利益的な面を考えたり、観音札所巡りにみられる 巡礼を思えば、又、わからなくなります。

 考えるだけ分からなくなるように思いますので、私の気持ちは初めに掲げたものとしたいと思います。というよりもそういう気持ちを 持つ者に、菩薩はいるのかな、と思います。

 大変おそくなりました。短いですが以上です。

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