真宗大谷派 西照寺

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2018年11月25日 報恩講法話「僧侶になって」



                             玉蓮寺 住職 白木澤 真一

画像  私は今ご紹介にあった通り、仙台の北にある美里町の玉蓮寺から来ました。西照寺さんから車で一時間もかからないところにあります。門徒戸数まで紹介されるとは思いませんでしたが(笑)、玉蓮寺の住職をさせて頂いています。昨年の12月7日に前住職が悪性黒色腫という病気で亡くなりました。四年間闘病していましたが最期はお寺で迎えたいという本人の願いがあり、皆で看取りました。私は昨年の三月から今年の四月まで京都の大谷専修学院という本山の専門学校に行っておりまして、住職の病状を気に懸けながら仙台と京都を行き来していました。そして今年の六月二八日に本山で住職に任命されました。今11月ですから生後五ヶ月の住職(一同笑)ということで、父親・母親の目で見て頂けたらと思います。来週日曜には玉蓮寺の報恩講があり、一緒に私の住職就任式も行います。
 法話の題が「僧侶になって」ということですが、私は平成27年に僧侶の資格を得ました。そのきっかけは、私の妻が前住職の娘で結婚をきっかけに僧侶になったということです。僧侶を志してなったということではありません。どういったらいいか・・・(一同笑)
 当時は嫁ではなくて彼女でしたが、彼女の父親である玉蓮寺住職の病気が悪化して5年生存率10パーセントでいつ亡くなってもおかしくない。
 皆さんご覧になっている経歴の通り、私は証券会社に勤めた後、警察にお世話になりました。お世話になったといっても捕まったということではなくて(一同笑)、警察に勤めておりました。このときちょうど昇任試験が通っていました。私は刑事になりたくて、捜査二課というのですが、オレオレ詐欺とか今騒がれている日産の不正とか、そういうことを担当する部署を希望していました。そちらの刑事さんから頼まれてちょこちょこ応援したりしていました。ヤクザの事務所に捜査に行ったり・・・あまり詳しくは言えないのですが(一同笑)。
 僧侶になってからは、変わったことといえば、愚痴が多くなった(一同笑)、妻に悪口を言うようになった、僧侶になると磨かれた人生を歩んでいけるようになると、お思いになるかもしれませんが、私は逆で、僧侶になってからのことを語ると愚痴っぽくなるかもしれませんが我慢して聞いてください。

 私は京都出身、京都育ちです。保育園は歩いて10分ぐらいのところ、小学校は歩いて5分、中学校は歩いて15分、高校は歩いて1分、大学は宗派の大谷大学で電車で40分のところでした。それがなぜ今宮城県にいるのかというと、妻との出会いが大学だったわけです。皆様ご想像の通りで。
 大学卒業後、京都の小さな証券会社に就職しました。それが2008年です。この年はリーマンショックがあって株価が暴落した年です。入社してすぐの5月頃にアメリカの銀行が潰れて、9月頃にリーマンショックがありました。リーマンショックを起したリーマンブラザーズという会社の講演会を7月に聞きに行きました。講題が「これからの展望」というのです。世界経済はこうなりますという話で大きな会場に500人くらい入っていました。そうして世界経済を展望したその会社が二ヶ月後に潰れてしまったという(一同笑)、そういう時代でした。
 会社に入った時は新米ですからプレッシャーもなく過していました。証券会社は世界の株価情報を知らなければならないので、朝の出勤時間は早いです。私も6時前には出勤していました。ある朝出勤したらニューヨーク市場が777ドル安という表示が出ていました。先輩達は愕然としてウワーと騒いでいる。私も含め新入社員は3名いましたが、トリプルセブンでいい数字じゃないかと携帯で写真を撮っていた(一同笑)。先輩方が12000円で売っていた投資信託は3000円になってしまいました。上司は帰るときの注意をしていました。どういう注意かというと、電車通勤の時、ホームの間際には絶対に立たないようにと。(一同笑)お客さんから怨まれているから押されることがあると。

 証券会社には1年半勤めました。私は大学時代から警察官の試験を受けていて最初は京都の試験を受けましたが落ちました。1年後にもう一度、京都の隣の大都市(笑)で受けたところ通りました。この夏は日本中の皆様をお騒がせした大阪です。ニュースでの捜索映像には私の知っている人がたくさん出てきました。あんな風に逃げてしまうことが本当にあるのですね。その大阪府警に入りました。  警察に入ると最初に学校に入れられます。大阪の警察学校は大変なところで、朝6時半起床で、グラウンドを2キロ走り、庭掃除をします。入学の一ヶ月後には山の中を一日中走るということをさせられました。これは訓練なのか修行なのか、走り続けて真っ暗になってから学校に帰る。一方、その後に行った大谷専修学院はこういった修行はないので、警察の方が修行らしかったという感じです。  警察には5年半勤めましたが主にパトカーに乗っていました。今でもその癖が出てしまいます。今日、玉蓮寺から西照寺さんに来るまでに2台ほど職務質問をしたくなる車と行き会いました。(一同笑)スピードを出している車があると後ろから付いていって止めたくなります。職業というのは大変なもので生き方になってしまいます。
 私の信念みたいなものがありまして、こちらでは自転車に乗っている人を職務質問するということはあまりないと思うのですが、大阪はかなりあります。私は信念として相手の目を見る、ということをしていました。目の動きで相手の思いを推測する。今日も皆さんの目を見ていると「退屈だなあ」と思っているんだろうなとか(一同笑)。
 私の勤めていた場所は大阪の東淀川区というところでした。西成区が貧困・日雇い労働者で有名ですが、東淀川区は生活保護の方が多い地区でした。独り暮らし、年配の方も多かった。そうなると孤独死が多い。多いときは一日で五体のご遺体が警察に運ばれてきます。毎日ご遺体に接するような状況でした。先輩の話では「ご遺体は語るのだ」というのです。遺体が腐るとすごい臭いがします。その臭いは「私はここにいる」という声なき声が臭いとなって出ているのだ、と先輩から教えられたことがありました。
 浄土真宗は清めの塩を使いませんが、警察ではご遺体を扱って交番に戻ると、塩を撒く先輩もいました。その解釈は死の穢れを清めるという世間の感覚とちょっと違います。その解釈とは、一人で亡くなった人は警察官が見つける。その警察官に感謝を言いにくる。それに応えるために塩を撒くというのです。こういう考えはその先輩だけかもしれませんが。だから穢れを清めるために塩を撒くという感覚は私にはなかったですね。
そういう経歴で僧侶になって3年くらいですが、警察という職場を振り返ると、警察の方が楽しかった(一同笑)。

そういう世界から僧侶になったわけですが、そこからの話が進まない(一同笑)。
 色々勉強させてもらっていますが、僧侶にならずに真宗の教えを聞いていたほうが楽しいのではないかと思うことがあります。警察官として、証券会社の営業マンとして真宗の教えを聞いている方が、すっと入ってくるものがたくさんあるんじゃないか、そう思うときがあります。逆に衣をまとって真宗の教えを聞くのが腑に落ちない、それは私がまだまだ勉強不足だからということがあるのかもしれませんが。

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「僧侶になって」というよりも「お寺に入って」ということでお話させて頂きます。
 うちの前住職は先ほどの紹介にもありましたように、少し変わっていて(笑)、朝のお勤めの時に10分間念仏ということをしていました。座って10分間念仏をし続けるのです。本人曰わく「歌手は発声練習するだろう、10分間念仏は発声練習だ。」その本人が10分間念仏の間に、突然思い出し笑いしたりしたことがあります。

 それまで私は南無阿弥陀仏という念仏は呪文だと思っていました。南無阿弥陀仏と言ったら何か救ってくれるのではないかと。しかし10分間念仏をやっても全く救われない。お寺に入らなければ、今頃は大阪で活躍しているのに、なんでこんなこと10分もしなければならないんだと、思っていたりする。
 お寺に入って苦痛ばかりで、精神的苦痛、そして正座する機会が全く無かったので、正座の肉体的苦痛(一同笑)がありました。周りに友人はいない、嫁は友達と遊びに行く、何で俺だけ留守番していなければならないんだと。今でも悩みはありますが当時は本当に何でこんな所に来たのだろうと思いました。救われない、お寺にそもそもやりがいなんてあるのかと悩んでいました。
 初めて僧侶になる儀式を得度と言いますが、前住職は強引な人で得度してから一ヶ月足らずで一人で法事に行ってこいというのです。法事のお勤めの中に伽陀(かだ)――先請弥陀(ゼンショーミダー)というものがありますが、読んだことがない。「読めませんけど」というと「適当に、ゼンショーミダーと言っておけば門徒さんがついてきてくれるから」、そこまでフォローしてくれる門徒さんがいるわけがない(一同笑)。「法話できませんけど」と言うと「御文読んでおけば何とかなる」とか。
 そういう次第でポンと出されまして、お勤めで40分位座って足が痛くて痛くて、門徒さんは後ろですごく心配して見ていたようです。
 足が痛いのを逃げる方法はないかと考えました。警察で柔道をやっていて右膝を痛めていました。そこで診断書を取って正座できない理由にしようと思いました。
 そこでここの近くの松田病院まで行って診てもらいました。「今はお寺に入っているが、膝が痛くて正座が大変です。以前の職業でやっていた柔道で膝を痛めたからではないでしょうか」と。レントゲンを撮ってもらって、お医者さんが写真を見ながら「うーん、これは修行が足りませんね」(一同笑)嘘のような本当の笑い話です。診断書は貰えずに帰りました。二年前の話です。

 歎異抄という本があります。こう見えても玉蓮寺で月一回歎異抄の学習会を担当しています。今日帰ったら歎異抄の学習会が待っています。この中に悪人正機という言葉があります。警察時代の考えからすると、これは犯罪を犯した人が、立ち直っていく、更生していく過程が、悪人正機であると考えていました。
 実際、私が捕まえた少年が更生して「今度、プロボクサーになるから、お巡りさん見に来て」とチケットを持ってきてくれたことがありました。これは悪人正機の鑑だなと思っていました。しかし歎異抄を勉強してみるとそういう意味で使われているのではないことが分ってきた。「悪人とはあなたですよ」と言っているのです。当時の私からすると「何だ、俺が悪人とは」(笑)、この寺に来て苦しめられているのに、寺のことは棚上げにして、何で俺が悪人と言われなければならないのだと正直思いました。逆にこの寺を俺に守ってもらいたいのだろ、と思っていました。当時はそういう奢りの気持ちでした。もしかしたら今も少しあるかも知れません。そういう思いでお寺に入りました。
 私の疑問はここから始まりました。では救いとは何かと。浄土真宗の救いとは何なのだろう。その救いについて私の感じたことを話します。当時はポンと出されて法事を勤めなければなりませんでしたが、若い坊さんですから門徒さんから色々試されるのです。ある法事で――当時は住職が存命で私は副住職でしたが――副住職にもお酒を飲んで欲しいので、お斎の場はホテルを用意しました、一泊二日で法事をしますと招かれました。これは逃げられないなと観念しました。(一同笑)

 その酒席でやはり厳しい質問をする人がいます。「おい」と声をかけられ「ところで阿弥陀さんは何をしてくれるのだ」と質問されました。二年前の得度して数ヶ月の時です。考えましたがもう正直に答えよう「分りません、そんなもん知りません」(一同笑)。そうしたらそこに救世主がいたのです。八十後半の方が助け船を出してくれました。
 「阿弥陀さんというのはな、海岸があるだろう、そこに私と阿弥陀さんがいらっしゃる、そこを共に進む。その海岸は人生だ。一番苦しい時を振り返った時、足跡は一つしかなかった。それは阿弥陀さんが私をおんぶしてくださっていたのだ。それが阿弥陀さんの救いだよ」そういうことを教えてもらいました。この話はキリスト教に出てくる「あしあと」というものとほぼ同じだそうです。この八十過ぎの方はこの話を知っていて、私に阿弥陀を教えてくれたのだと思っています。「あしあと」という題の詩でマーガレット・F・パワーズという方が書いています。ご興味のある方は調べてみてください。
 去年行っていた大谷専修学院にキリスト教の方が来られたときに、ちょうどこの話をされたので分ったのです。しかし背負ってもらうと言っても実感がありません。実感があれば救いと言えるのでしょうが。

 大谷専修学院に行っていたとき、一人の方に出会い、その方の人生を聞いてこれが真宗の救いではないかと教えられたことがありました。その方は田口弘という方です。目が見えない方でした。東京で坊主バーという坊さんがバーテンダーをやっている店を作られた方です。この方には昨年の7月に出会ったのですが、8月に心臓の病気で53歳で亡くなられました。私、この方に興味がありまして、亡くなられてからも本山が発行する同朋新聞に載る記事にも目を通していました。この方は生まれつき左目が見えませんでした。右目は少し見えていたそうです。中学生の頃にいじめに遭ったそうです。そのいじめっ子を見返してやろうという思いで、一所懸命勉強したそうです。そして有数の高校に入りました。しかし目が見えないために学校の勉強について行けなくなった。「俺はいい高校に入って、いい会社に入っていじめっ子達を見返してやろうと思っていたのに、勉強についていけなくなった。自分の人生はもうどうでもいい」と思ったそうです。
 その時に縁があって浄土真宗の坊さんに悩みを打ち明けたそうです。そうしたらその住職さんが「大変ですねえ。」と言われたそうです。それを聞いて何て冷たい人だと思ったそうです。普通はこういった悩みを相談すると、貴方は命の大切さが分っていないのでないかと言われたり、努力すれば必ず実るとか、生きていればきっといいことがあるとか、あなたよりつらい人がたくさんいるとか、そういうことを他の人はよく言う。そしてあなたよりつらい人がいると言うその人は五体満足で自分とは違う、そういう思いでいたそうです。
 しかしこの住職は「大変ですね」の冷たい一言でした。しかしその後続けて「あなたは淋しい生き方をしていますね」と言われました。田口さんは「私は一流の高校に入ったのに、ついていけなくなって淋しい人間ですよ」と応えました。すると「そうではない、君の考え方が淋しいのではないですか」と言われた。
 そして「君は差別の意識を強く持っている。目が不自由なことで人よりも強く自分自身を差別しているのではないか。君は目が不自由だということを悪く思っている。たしかに障害を持っている人はいるけれども、しかし、競争するために勝つために生まれてきた命ではないでしょう。生きることを願われて生まれてきた命でしょう。あるがままを生きる、自分の姿をしっかり受け止めていくことが浄土真宗における救いですよ。念仏して目が見えるようになっていじめっ子に勝ちたい、そういう幻を願うのではなくて、幻を見なくなることが救いですよ。」と言われたそうです。
 それから田口さんは僧侶になられて坊主バーで色々な人と関わるようになりました。私はこの方に出会って、救いとはそういうものかと思いました。

 先ほど言いましたが俺は寺に入らなかったらこうなっていただろうとか、念仏したらいい生活が開けるのではないかとか、そういう呪文のような考えをしていましたが、田口さんに出会って、ありのままを生きるということが救いではないかと気付かされました。

画像  そういう意味では前住職は法話でよく「南無阿弥陀仏はおまかせですよ。お陰様のはたらきに気付かされることですよ」と言っておりました。始めのころはこれを聞くとおまかせが他人まかせのように感じられたものですが、最近は自分の限りある命のままに任せるというのが、南無阿弥陀仏の念仏ではないかと受け取っています。
 そこから省みると、証券会社は成績を求められる。企業ですから当然です。証券マンとはこうだというイメージがあります。警察官とはこういうものだというイメージもあります。それは型に嵌められてきたのではないかと思います。こうでなければならないという型に嵌まるということは、イコール、出来る人というイメージがあります。本屋でも「出来る人と出来ない人」といったタイトルが並んでいます。そういう思いが強くあったのではないか。変な話ですが、お寺の世界に入って「えっ、こんな人でも住職ができるのか」と、そういう思いが少しありました。お寺さんがいないということにして話しています(笑)。それはやはり型にあてはめようという思いからの感想だったのではないか。
 今はお寺の世界は色々な人がいて色々な考えがあって面白いと思います。僧侶になって気付かされたことです。

 こうして外で話すことが初めてなので、時間配分が全く分りません。もう少し我慢して聞いてください。南無阿弥陀仏を呪文と思っていたと言いましたが、こうなって欲しい、ああなって欲しいという願いは、自己欲求を押し付けていたことだと思います。坊さんになったばかりなのであまり言えないのですが、仏教で一番重要なことは分別心を離れるということだと習ったとき、手がかりを得たように思いました。分別心が型に嵌まらないものを排除していく。そこに自分自身を苦しめる問題がある。ありのままを受け容れることは善いことも悪いことも分別せず自分のこととして引き受けていく。寺に入ってそういうことを教えてもらったと思います。
 お盆などに自坊で話をすると50分ぐらいすると「あーあぁ」という声が聞えてくるのですが、もう少し我慢して聞いてください。(一同笑)
 親鸞聖人は教行信証という本を書かれていますが、その総序という部分に「円融至徳の嘉号は悪を転じて徳と成す正智、難信金剛の信楽は疑いを除き証を獲しむる真理なり」という言葉があります。
 この悪を転じる、転じるでよかったなという話です。これが変じるだと大変なことになると念います。私は色が黒いのですが、小学校時代よりはましになりました。小学校の時に初めて会う人などからは「アジアの方から来られたのですか」と言われたりしました(一同笑)。当時野球もやっていたのですが、色が黒いのでいじめられた経験もありました。今、この話を自坊ですると黒い方が男らしくていいよ、皆さん励ましてくださるのですが。
 小学校でいじめられた時に母親は「黒いということを欠点だと思わずに、チャームポイントにしたらどうだ」言ってくれました。その言葉一つで、それまでは学校では隅っこの方にいたのですが、集合写真などではできるだけ真ん中で目立つようにしてやろうという気持ちが生れました。黒い色が白になれば状況は変わるのでしょうが、転じるというのはそうではなくて事実の表と裏といったらいいのか、事実に対する考えを変えるだけで生きていく力を取り戻せる。
 総序のこの言葉を読むたびに私のその時の気持ちを思い出します。この言葉がそういう意味を持っているのか今はまだ分りませんが、自分自身の見方を少し変えてみて、黒いことも引き受けてみたらどうだ、そういうことが書かれているように感じます。私は色々経歴を経ましたが様々なところに浄土真宗の教えが流れているのだなと気付かさせてもらいました。それは僧侶にならなければ、この時の気持ちを思い起こすこともなかったと思います。
 報恩講は恩に報いるということですが、私にとってはそのままでいい、ということを教えてもらったことに感謝するのが報恩講だと思います。
長い時間、ご清聴ありがとうございました。


 

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