真宗大谷派 西照寺

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2018年3月21日 春彼岸会法話「曇鸞和讃のひとコマ」


 今日は天気が午後から荒れてくるようですが、まだ降らなくてよかったです。3年くらい前の春の彼岸会は大雪でしたね。新聞などを見ると温暖化しているから冬のドカ雪になると言ってます。そして季節がだんだんずれてきてお彼岸に雪が降ったりする。私はこの前62歳になったばかりですが、たかだか50年しないうちに世の中が随分変わってきたなという感じがします。人間の世界が高齢化と経済の停滞に変わって、それと一緒に天候も私が子供のときと比べるとずいぶん変わったと思います。
 それが人間の業というもので変わってきていると言わざるをえない。つまり温暖化の原因が二酸化炭素の排出と言われています。それが本当の事か分らない、そうじゃないという学者もいますが。私が小学生だった頃は温暖化という言葉はなかった。逆に氷河期になると言われていました。私より年上の方は覚えておられますか。これからどんどん寒くなっていくと言われていましたよね。そのために電気を沢山作れるようにしなければならない、石油を沢山燃やすから原子力にならなければいけないと言って、経済発展とともに原発を沢山作った。そういう世の中の動きが今になって振り返ってみると、ほぼ間違いだったというか、変な話だった。そしてそのとき話題にも上らなかった、人間が石炭石油を燃やす時に出る二酸化炭素で、いまエライ目に遇っている。そしてお彼岸に晴れて欲しいのに雪が降ったりする。つまり我々の所行が持って回って自分達に降りかかってきている。業ですね。

 さて、今日はちょっと気になっていたことをお話します。今、毎月の同朋の会で正信偈の解説をしています。正信偈は勤行本のページで言うと、最初の3ページから13ページまでは阿弥陀仏が本願を起したいわれ、つまり無量寿経に書かれていることを説明している。無量寿経は阿弥陀仏が現れたいわれを説いたお経です。
 仏教徒の中で無量寿経を信ずる人達を浄土門といいます。我々の浄土真宗も浄土門の中にあります。浄土門には浄土宗も含まれます。これらの宗派は同じお経を信じています。読み方は宗派によって違いますが。本願寺はもともと一つでしたが東と西に分れてしまったので、読み方が違うようになりました。
 正信偈に戻ると、14ページからは無量寿経を信じた歴史です。それがお釈迦様から親鸞さんの時までの仏教の歴史、それが我々の場合は無量寿経を信ずる流れとして正信偈の最期まで書かれている。それが七高僧ということで七人の偉い坊さん達で表わしている。龍樹、天親、曇鸞、道綽、善導、源信、源空(法然)。同朋の会では天親まで説明したところです。4月の同朋の会で曇鸞を取り上げます。そういうことで曇鸞の資料を眺めていたら、曇鸞について親鸞が書いたもので、ずっと引っかかっていたことがありました。それを話します。
 因みに親鸞という名前は天親の親と曇鸞の鸞を取って付けたものです。その前は善信と言いました。何度か名前が変わっていますが、自分の意志でお釈迦様の弟子としての名前を親鸞と付けたのです。これが法名で釋親鸞となります。釋××という法名の付け方は、曇鸞の頃の中国から用いられている古くて由緒のある付け方です。
 脱線ばかりしますが、最近は言われなくなりましたが、昔は我々の宗派の法名は字数が少なくてありがたくないと、よく言われました。よその宗派だと8文字、10文字と付ける。長くてありがたい。うちの宗派は3つしか字がないのかと。私の爺様は短くてありがたくないと言われて、法名の下に居士とか大姉を足していた。墓石を見るとそういう法名がぽろぽろとある。しかし、既に曇鸞の時代からこの法名ですので1600年以上の歴史のある名前の付け方を、我々の宗派はきっちり守っている。そういうことで由緒のある宗派だと思って頂けると嬉しい。(笑)

 曇鸞の話に戻ります。今日、正信偈の後に和讃を上げました。正信偈は漢詩です。和讃は和歌とも違い、当時の流行歌の今様という形式に合せて、リズムを持った言葉で和語で作られた詩です。親鸞さんはこの形にのせて、仏教の讃歌をたくさん作られた。その和讃はテーマ別に浄土和讃とか高僧和讃とか正像末和讃とかに分けられている。この高僧和讃は七高僧を称(たた)えている。その中に曇鸞の和讃がある。そこから三首取り出してここに懸けてあります。

1 世俗の君子幸臨し 勅して浄土のゆえをとう
   十方仏国浄土なり なにによりてか西にある

2 鸞師こたえてのたまわく わが身は智慧あさくして
   いまだ地位にいらざれば 念力ひとしくおよばれず

3 一切道俗もろともに 帰すべきところぞさらになき
   安楽勧帰のこころざし 鸞師ひとりさだめたり

 和讃の内容に入る前に、曇鸞とはどんな人だったのかを喋ります。
西暦476年〜542年の中国の人です。親鸞さんがピックアップした七人はその時代と地域を代表するような、天才だと考えていいと思います。曇鸞は20歳前に感ずるところがあって出家した。その当時の仏教の最先端の学問を極めた人だと思われます。しかしそれで満足しなかった。曇鸞について学者が書いた本を見ると躁鬱の気があったようです。曇鸞は大集経(だいじっきょう)という大きなお経の解説を書こうと思い立ちます。しかしその仕事を為し遂げるには、自分の余命の時間が足りないと思ったのです。だから仕事を為し遂げるためには長生きしなければならないと考えた。変な発想ですが。そして長生きする「長生の法」、今で言えば医療技術でしょうが、この当時は「仙人の術」です。これは中国に元々あった道教で発達しました。いわゆる仙人のイメージですね。薬草とか気功とかで自分の身体を健康に保って長生きする。
 曇鸞は仏教の学者でしたが、長生きのために道教の長生の法を求める旅に出た。当時の中国は北に北魏、南に梁という敵対する国で二分されていました。曇鸞は北魏に居ましたが、長生の法の大家が敵国の梁にいた。曇鸞は決心して梁に渡り、梁の王様に面会してこの大家に会う許可を得ました。そして会うことができて長生の法の教科書を譲り受けます。これで自分は長生きをしてお経の解説を書くことができると喜んで自国に帰りました。
 そして首都の洛陽に着きました。そこにはインド人の坊さんで、有名な菩提流支(ぼだいるし)という人がいました。菩提流支はインドの経典を中国語に翻訳する仕事をしていたのです。曇鸞は菩提流支に会って
「自分は長生の法を求めてきた。これで長生きして大集経の解説を書くことができるようになった。仏教にはこのようなすごい術があるか」
と聞いたのです。それを聞いた菩提流支は地面に唾をペッと吐いて
「何というばかなことを言うのか。仏教者たる者がそんな考えていいのか。」
つまり仏教は、いつ死ぬかわからないのが人間というものだと教えているではないか、お前さんはそんなことも分らずに、自分の生命を長らえさせようという身勝手なことをしようとする、己の業を操れると思っているのかと、言われた。曇鸞はそこではっと目が覚め、仙人の術に頼ることを止めた。そして菩提流支は観無量寿経というお経を曇鸞に授けた・・・という伝説です。(笑)
 曇鸞はこれを転機として学問として仏教を研究していた立場から、阿弥陀如来を信仰する者に変わった。その後の生涯は念仏を称える生活を通した。という劇的な話なのですが、これはほとんど作り話です。(笑)
 しかしこのような作り話が出てくるような変化は曇鸞に実際に起きたと思われます。曇鸞は高僧の誉れ高かったので、阿弥陀仏を信ずる立場になっても、君子=天子、つまり国王から尊敬を受けた。自国の天子ばかりでなく敵国の梁の天子からも敬われたという。

 ということでようやく本題に入ってきます。
1の和讃の君子はたぶん北魏の王を指していると思います。この人が曇鸞に質問してくる。

1 世俗の君子幸臨し 勅して浄土のゆえをとう
   十方仏国浄土なり なにによりてか西にある

「国王が曇鸞のところに出向いて、浄土の由来を説明しろと命令した。十方の仏国が浄土だろう。なぜそれを西にだけあると言うのか。」
 親鸞はここで「勅して」という言葉を使っています。勅は命令するという意味ですね。しかしこの話の元ネタになった文章(安楽集巻下 四大門)では、勅ではなく「呵」という字を使っている。呵責という熟語の通り、呵は責めるとか叱るという厳しい意味を含んでいる。だから国王の言い方は「自分が分るように説明しなかったらただでは済まさないぞ」という勢いで言っている。
 そして王の疑問は、無量寿経では浄土は西にあると言ってるが、別のお経では西ばかりではなく十方にあると言っている。それは我々の宗派が用いる阿弥陀経でもそうなのです。これには十方までではないですが、六方――東・南・西・北・下・上――に仏の浄土があると言ってきている。さらに別のお経では浄土は無数にあると書いてあるものもある。だから王の疑問は「十方に無数の仏国があり、それがすべて浄土だというのに、なぜお前は浄土は西にあるというのか、なぜ西にこだわるのか」と聞いているのです。この疑問は真っ当で理屈に合っていますよね。仏さんはみんな平等なのだから上にある方を拝んでもいいだろう。東にある方を拝んでもいいだろう。この考え方は我々現代人の感覚でもそうですね。

2 鸞師こたえてのたまわく わが身は智慧あさくして
   いまだ地位にいらざれば 念力ひとしくおよばれず

「鸞師(曇鸞)は答えて言った。自分は智慧が浅く、まだ地位にも入っていないので、浄土を念ずる力を、十方に等しく注ぐことができないのです。」
 地位(ぢい)というのは、覚りを得るまでの修行する段階のことです。最初は仏教を聞いて信ずる段階。その後に実際に修行する段階があります。普通我々も何かに熟練する場合もそうですね。その修行ができるようになる位を菩薩と言います。菩薩になると本当に力を持った修行ができるようになる。その菩薩の位も十段階あって、それを地という。十段階なので十地といいます。その十地の最初の段階を初歓喜地(初地)といいます。そしてこの初地に入れば、もう覚りに至る道を後戻りすることはないのです。初地に入ることを地位に入るとも言うわけです。このように菩薩の位は厳しいランク分けがしてあります。だからよその宗派での修行というものはこのような考えが基本になっています。ただし我が宗派ではこの考え方を取らないのですが。
 しかし曇鸞にとってはこの考え方が生きていたと見られます。そして曇鸞は学者の高僧ですので、智慧が浅いはずないと思うのですが、謙遜したのか本心なのかわかりませんが智慧が浅いという。たださっき言った通り、躁鬱の気があったようだし、仏教を学ぶのに長生きしなければならないという変な考えに囚われたり、そういう自覚があったのかもしれない。そして自分はまだ菩薩の位にも達していない、覚りへの道を踏み外すかもしれない人間だと言うのです。だから十方に浄土があると言われても、それら総てを拝む力は自分にはないという。

しかし、和讃では王と曇鸞の会話がここで終ってしまっているのです。次の和讃が

3 一切道俗もろともに 帰すべきところぞさらになき
   安楽勧帰のこころざし 鸞師ひとりさだめたり

「一切の出家者と民衆は、仏教の信ずるところは阿弥陀仏の他にない。安楽(阿弥陀仏の浄土)を勧め、信じさせる志は、曇鸞ひとりが決定していた」
 2番目の和讃は王の質問への回答の途中で終っていますが、この3番目はその続きではないでしょう。別の話題になってしまっていますよね。私はこの中途半端がずっと疑問だったのです。わかってくれますか(笑)

 そこで今回調べてみました。この和讃の元ネタは七高僧の第四祖の道綽が書いたものです。それを見ると続きがちゃんと書いてあるのです。それによると、どうして西の浄土のみを拝むのかというと、曇鸞はこう言うのです。
「牛がいるでしょう。牛のかいばおけに餌の草を置いたら、牛は食べたくてそこだけを向くでしょう。自分も牛と同じです。」
 つまり、浄土という餌で仏さんの教えを保てるようにするために、西という方角を定めているのですよ、ということです。私はよく自分を理屈屋だといいます。理屈で仏教をわかろうという欲求が強いのです。この世俗の君子も理屈で聞いてきたのです。なぜ沢山の浄土の中で西だけを選ぶのかと。それに対してきちんと理屈で答えられるかというと、牛と餌の喩えでしか答えられない。阿弥陀さんて餌か(笑)。
 よく浄土真宗のことをキリスト教と似ていると言われる。阿弥陀仏一仏の信仰はキリスト教の唯一神信仰と似ていると。しかしキリスト教の場合、神は絶対ですから餌などに喩えたら大変なことになると思う。ところが仏教の場合は絶対なものを設けない。だから信仰される阿弥陀仏も餌の喩えに使われてしまう。
 和讃についていえばこの牛と餌の喩えも親鸞さんが書いてくれていれば、もっと筋が通ったのではないかと思います。親鸞はもちろん元ネタを読んだ上で和讃を作っていますから、わざと書かなかったのでしょうかね。

 さて、王は曇鸞のこんな答えて納得できたか、ということです。そしてこれは現代の我々の問題でもあります。つまり自分の信じているものが本当に正しいのかどうか、本当に頼りになるのかどうか、誰でも知りたい。しかしその思いのレベルで答えが返ってくるものでしょうか。

 そういうことを反省すると、結局自分の中で、どう腑に落ちるかということしかないのです。たから私が仏教の説明を分かりやすく説明できたとして、皆さんが分ったと思ったとしてもそれはおそらく本当に分ったとは言えない。私の説明はヒントにはなると思いますが、皆さんがどういう分り方をするかは、お一人づつの一大事です。我が宗派は一大事という言葉を使います。本当に分るかどうかは人生の一大事です。
 阿弥陀仏を信仰するということは納得しなければだめです。しかし言葉で納得させてもらえるかというと、無理でしょう。曇鸞も答えとしては喩え以上の話は出さなかった。しかし三番目の和讃の通り、自分一人は阿弥陀仏を信ずるということを決めている。その決めているという姿が周りの人に感動を及ぼして、曇鸞のもとに多くの人が集まった。
 親鸞もこれと似たようなところがあります。皆さん、歎異抄はご存知でしょう。その中に関東の弟子達が自分達の信心が定まらず内輪もめになったために、京都の親鸞のところまで命懸けで聞きに来る場面があります。親鸞は京都に戻る前は関東の弟子達のところにいて先生だったのです。弟子達はいつでも答えてくれるお師匠さんが側にいたから、何となく安心していた。しかしお師匠さんがいなくなると、疑問が出ても答えが得られないのでみんな不安になり、内輪もめも起きるようになった。
 そうして訪れた弟子達に向って親鸞は「あなた達がどう思おうと、自分は阿弥陀仏を信ずる気持ちは変わらない。あなた達には私が知っていることは総て伝えてある。それを信ずるか信じないかはあなた達それぞれの問題だよ」と冷たく言ったのというのです。そういうことを考えると、阿弥陀仏を信ずるということは自分一人の心の中で決めるしかないということです。こういう姿勢はよその宗派だと形は違いますが、仏教一般に言えることです。  

2018/03/25

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