真宗大谷派 西照寺

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十善


今回の節「善い行い」も非常に長いです。132ページから144ページまで、13ページもある。 今日はこの節の最初の部分の解説をします。先ず、引用します。カッコの中にそれぞれの行いの名前を追加しています。

道を求めるものは、常に身しんと口と意の三つの行いを清めることを心がけなければな らない。
身の行いを清めるとは、生きるものを殺さず(不殺生ふせっしょう)、盗みをせず(不偸盗ふちゅうとう)、 よこしまな愛欲を犯さない(不邪淫ふじゃいん)ことである。
口の行いを清めるとは、偽りを言わず(不妄語ふもうご)、悪口を言わず(不悪口ふあくく)、 二枚舌を使わず(不両舌ふりょうぜつ)、むだ口をたたかない(不綺語ふきご)ことである。
意の行いを清めるとは、貪むさぼらず(無貪むとん)、瞋いからず(無瞋むしん)、 よこしまな見方をしない(正見しょうけん)ことである。

心が濁にごれば行いが汚れ、行いが汚れると、苦しみを避けることができない。だから、心 を清め、行いを慎むことが道のかなめである。 (132ページ)

 「身と口と意の三つの行い」を身口意しんくいの三業さんごうといいます。私達が毎日生活するとは、 具体的にはこの三業を行っているということです。この三業を清めるとは、引用にあるとおり次の十個の行為です。
・身業しんごう
(1)不殺生ふせっしょう (2)不偸盗ふちゅうとう (3)不邪淫ふじゃいん
・口業くごう
(4)不妄語ふもうご (5)不悪口ふあくく (6)不両舌ふりょうぜつ (7)不綺語ふきご
・意業いごう
(8)無貪むとん (9)無瞋むしん (10)正見しょうけん

 これら十個の行いを「十善」と言います。十個の善い行いということですが、「善い行い」と言いながらほとんどが 「善い行いをせよ」という言い方ではなく「・・・するな」という禁止の言い方になっています。
 さて、引用した文章では「道を求めるもの」、すなわち私達のような仏教の覚りを求める者は、この十善を行わなければならない、 と言っています。そこで、これらの十個についてその行いがどのようなものなのか、それは私達自身が実行できるものなのかどうかを 確かめてみましょう。
・身業
(1)不殺生
   当然ですが、私達は食物を食べなければ生き続けることができません。そして食物は他の生き物を殺して材料にすることにより 生産されます。したがって殺生をしないということはできません。私達はその食物を金で買うことで、直接手を下す殺生はしていないと 言うこともできますが、しかし、金によって他人に殺生をさせているのです。
 それでは菜食主義者であれば守ることができるのでしょうか。しかし植物も生きています。また一歩譲って、動物を殺さなければ 良いとしてみましょう。しかし、菜食をするときのその穀物や野菜はどこから手に入れるのでしょうか。やはり他人が生産したものを 金で買うことになります。その生産をしている人々も菜食を守っている可能性は非常に低くなります。そのようにして私達が口にする 食物はどこかで必ず殺生が行われた結果として目の前に有るということになります。
(2)不偸盗
   「盗んではいけない」ということは、ごく当たり前の道徳として守るべきものと私達は思っています。そうして他人を信頼する世間で、 他人の財産を盗もうとする強盗や詐欺ならば、それはやってはならないこととして私達は非難をし、当事者であれば後ろめたさを 感じるでしょう。しかし、別の場合を想像してみてください。自分が金に困り、路頭に迷ったとします。空腹に耐えきれなくなったとき、 路上の店先に食物が置いてあるのを見て、それを盗まないということはできるでしょうか。私はできそうにありません。 私も本当に腹が減ったという経験は一、二度しか無いのですが、飢えというものは凄まじいものです。食物を見たら、 考えるより先に手が伸び口に運んでいることでしょう。まして自分一人ならまだしも、家族を抱えていたらどうでしょうか。 我が命を投げ出しても家族のために食物を盗もうとするのではないでしょうか。
(3)不邪淫
 衣食住が満たされた男女であれば、どうしても異性に対する欲望は起きます。それは栄養を充分取ることによって、 身体の臓器が正常に活動し、生殖器も活発に働くからです。従って「健康で文化的な生活」を営んでいる限り性欲を 避けることはできません。夫婦という制度はその欲望を制御し、社会生活を安定させる仕組みではありますが、 一組の男女が夫婦になるまでに、それぞれが他の異性との恋愛や交渉があったはずです。邪淫というのは夫婦でない男女の性交渉を 言うのですが、邪淫かそうでないかはそう簡単に区別できるものではありません。また夫婦となってからも配偶者でない異性に対して 魅力を感じるのは自然なことでしょう。その誘惑のままに進んでしまえば邪淫ということになりますが、 では実行しなければ良いのかというと、そのような、うわべだけの問題の解決の仕方では無いはずです。そして何よりもまず、 人間の社会というものは、このようなやっかいな性欲の結果として絶えず生産されているのです。 その欲望を抑える方法はおそらく一つしかありません。それは「健康で文化的な生活」を放棄することです。衣と住に対する欲望を捨て、 生殖器が充分に活動出来ない、生命の維持だけができるくらいの最低限の栄養しか取らないのであれば、 邪淫の欲望も湧かないことでしょう。しかし、これはとても受け入れられることではありません。 

・口業
(4)不妄語
   嘘をついたことの無い人はいないでしょう。私達は言葉を持っています。そして他人と喋るたびに、自分の身や思いを守るために、 小さいことから大きなことまで嘘をつき続けます。それは気付かないで言う場合から、意識して計画的に言う場合まで、さまざまですが、 生きていく上で避けられないことです。
(5)不悪口
   夫婦、親子、友人などの付き合いの中で、相手の行動に対して怒りを感じる危険性は常にあります。怒りというものは皆さんも ご経験があるとおり、瞬間的に暴発します。それがののしりの言葉として現われたものが悪口です。悪口を言ってしまってから、 はっと気付くのです。あんなこと言わなければ良かった、と。しかし、悪口が出る直前に制御するということはほとんど不可能です。
(6)不両舌
 私の友人にAさん、Bさんがいたとします。ある時私はAさんと話をし、その話題はBさんのことでした。この会話の内容は、 ほぼ確実にBさんの悪口になります。別の機会に私はBさんと話をし、Aさんを話題にしました。この会話の内容は、 ほぼ確実にAさんの悪口になります。こうして私はAさんの前ではBさんの悪口を、Bさんの前ではAさんの悪口を言いつつ、 そのどちらにも悪口など言っていないという振る舞いをすることになります。このような言動を両舌と言います。 もちろんその他にも色々パターンはありますが。皆さん、自分の会話をちょっと反省してみてください。 日常的に無意識に両舌を行ってしまっていることが分るはずです。
(7)不綺語
 誰かと話をするとき、相手の悪いところや嫌なところが見えたとしても、いきなりそれを指摘するのは危険なことです。 下手をするとケンカになります。最悪の場合殺し合いにもなります。そうなりたくなければ、いやな奴だと思っても話を進めるためには、 相手の機嫌を取らなければなりません。そのためには、おべんちゃらやむだ口もたたかねばなりません。やはり、 いつでもやっていることです。

・意業
(8)無貪
   生きるとは食欲や性欲等の欲を起し、それを満足させていくことです。欲を満足させようとすることを「貪る」と言います。 ふつうは充分生きられる境遇にあるのに、さらに欲を起しその満足を求めることを「貪る」と言いますが、それでは生存に必要な 最低限の欲は許されるのか、というと、そのように欲に線引きして良い悪いを区別できるものではないはずです。
(9)無瞋
 生きていれば、必ず他人と接触し、他人と付き合っていかなければなりません。そうすると相手の振る舞いや思いと、 ぶつかることになり、そこに怒り(瞋り)が必ず生れます。

 さて、このように確かめてみると十のうち九つまで、それを真剣に実行しようとすればするほど、私達はそれを成し遂げる力を 持っていないということを思い知らされました。私達はこの九つの善を破る仕方でしか生きることができないのです。 しかしまたこの九つの善を破るということは、あらゆる悲しみや憎しみや怒りの原因を作り出していくことでもあります。 そうして人生には苦悩が満ちあふれることとなります。なんとも悲しむべきあり方ですが、そこから逃れることはできません。
 親鸞はこのような人間のあり方、具体的には自分自身のあり方を深く省みて次のように書いています。

まことに知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞ぐとくらん、愛欲の広海こうかいに沈没ちんもつし、 名利みょうりの太山たいせんに迷惑めいわくして、定聚じょうじゅの数かずに 入ることを喜ばず、真証しんしょうの証しょうに近づくことを快たのしまざることを、 恥づべし、傷いたむべし。
(教行信証・信巻 東本願寺版『真宗聖典』251ページ)

〔訳〕 腹の底から知る。自分(愚禿鸞)とは何と悲しむべき生き物であろうか。愛欲の広い海にどっぷりと頭まで浸かり、 名誉や利益などの誘惑の大きな山の中に迷い込み、その中でいたずらに時を過してしまっている。長年覚さとり(証さとり) を求め続けて、一度はそれを得たはずなのに、さらに踏み込んで、その覚りを得た者達の仲間(定聚の数)に入ることをためらっている。 一度得た覚りを更に深く深く究めていかなければならない(真証の証)のに、そこに近づくことを楽しまない、 そうして愛欲や名利に喜びや楽しみを感じる自分がある。恥ずべきこと、痛ましいことだ。

 しかし、このように自分と人間全体の悲しむべきあり方を目を背けず見つめるとき、それを自分の事として引き受けようという 覚悟が生まれます。そうして自分の身口意の三業をできるだけ制御し、悲しみや怒りや憎しみの原因を ──すべて取り除くことはとてもできませんが、しかしそれに絶望することなく、少しでも取り除いて軽いものにしていこう という意欲が生まれます。これが前回説明した心を清めるということです。そしてこの姿勢を(10)の正見、と言うのです。
 この正見から、自分の行動は殺生から不殺生に、偸盗から不偸盗にというように、他の九つの行いが悪から善へ段々と変化して いくことになります。

                                 2010/01/17

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