真宗大谷派 西照寺

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心の自問自答


 今回の節(163ページ「道を求めて」)も長いですね。163ページから178ページまで16ページもあります。 取り上げられている話も9つあり、その内容も様々です。この中で1番目の話は私の好きな哲学的な話題を扱っていますが、 本日はこれを取り上げることは控えます。私も段々経験を積んできたためか、皆さんに難しい話しをするときはかなり 気を使うようになっているようです。本日は4番目の話を取り上げますが、葬式の話題から入ることにします。

 私は坊主としては葬式という儀式を執り行う立場にありますが、また肉親が亡くなった場合には、当事者として葬式を出します。 更に一般の参列者として知人の葬式に参加することもあります。このそれぞれの場合での私の関わり方を述べてみます。

1.儀式執行者として
 枕経まくらぎょうから始まって葬式の一切が終了するまでの儀式全体の意義を、どうまとめ上げるかということに 相当力を入れます。
 通夜の法話の内容は、故人がどのような人であったかを織り込みながら、その人が亡くなって生きてはいないということの意義を、 参列者にどう伝えるかを苦心して組み立てます。
 法名は「死んでから付けたのでは遅いのですよ」と言いながらも、故人のイメージに合うようなものを何とか考えて付けます。
 勤行や所作振舞いの作法はしっかりと行うよう心がけます。
 こうして葬式の数日間はある程度の精神的緊張と肉体の作業があり、終了したときは結構疲れが出ます。しかし、それぞれの段階の 作業をきちんと行うことができたときは、それなりに達成感があり、「仕事をした」という充実感もあります。

2.当事者として
 母が亡くなった時感じたことですが「それなりにきちんとした葬式を出さなければならない」という気持ちはやはり強いですね。 この気持ちは、おそらく皆さんの場合と同様だと思います。ただし、「きちんとすること」を形に表そうとすると、それなりのお金が 掛かります。この、お金が掛かるという面だけが一人歩きすると「金を掛ける葬式など不要だ」とか「葬式はいらない」などの、 最近流行の言い回しが出てくると思うのですが、私は金額の多い少ないを基準にして葬式の価値を判断するのは、ポイントを外している と思います。
 「故人のためにきちんとした葬式をやりたい」という気持ちは、それに掛かるお金の多少を気にする気持ちとは別のところにあります。 そうするためにお金を掛けざるをえないのであれば、それを工面しようというのが、当事者の正直な気持ちでしょう。お金を掛けようと することは、故人との関係において、自分の生き方の形をどう表すかというところが問題となっていると言えるのです。
 ただし、気持ちはあってもお金が用意できるかどうかはまた別の問題です。時節柄それが難しい人もいるでしょう。そのとき儀式を どう形付けるかは、お金とは切り離して考えなければなりません。

3.一般参列者として
 故人との親しさの度合いによります。故人が自分の生活に密接に関係した人であれば、2と同じくらい深く関わる場合もありますが、 そうでなければ1や2の場合のような切実さや充実感は減ります。他宗の儀式の場合などは、自分の宗派の儀式と比べてみたりする 興味もあるのですが、型にはまった弔辞や「お別れの言葉」、電報紹介などが延々と続くと早く終わらないか、とイライラすることに なります。

 こうしてみると、葬式というものは1,2の場合は充実しているが、3の場合は退屈になる可能性が高い行事であると言えます。
 そして、1は坊主というごく少数の人でなければ体験できない事ですし、2は自分の一生に何回かあるだけです。したがって、 大半の人々が葬式に関わるのは3の場合で、そうすると世間の風潮としては「葬式はいらない」といった言い方も出てくるのか、 と思います。

 さて、このように、私達の心は他者の死に関しても、故人と自分との近さ、遠さによってさまざまに動きが違います。しかし、 どの場合でも一連の儀式が終わった後は、一息ついて休息を取り、それ以上「死」というものを深く考えることなく、あいまいにしたまま、 日常生活に戻ってしまうのです。すべての人がそうだとは言い切れませんが大半はそうでしょう。(私も含めて。)
 他者の死とは実は現に生きている自分の死を映してくれる鏡なのですが、私達はなかなかそこまでつなげて考える努力をしません。
 そうして、毎日の、いわば自分の死に比べたらどうでもいいようなこと、つまり仕事や生活に戻っていくのです。どうでもいいような ことと言いましたが、だから止めてしまえという意味ではありません。仕事や生活をしなければ私達は生きていけません。しかしまた、 それをこなしているだけではどうにもなりません。私達は自分の死というものをいかにとらえるか、ということについて解答を見出さない 限り心安まる時は無いのです。それが心というものの本来的なあり方なのです。

 このような私達の毎日の心の動きを表したものが、今回引用する4番目の話の内容です。読んでみましょう。

「わが心よ、おまえはどうして、無益な境地に進んで少しの落着きもなく、そわそわとして静かでないのか。
 どうしてわたしを迷わせて、いたずらに、ものを集めさせるのか。
 大地を耕そうとして、鍬くわがまだ大地に触れないうちにこわれてしまっては耕すことがで きないように、生死の迷いの海にさまよっていたので、数知れない生命を捨てたのに、心 の大地の耕されることはなかった。
 心よ、おまえはわたしを王者に生まれさせたこともある。また貧しい者に生まれさせて、 あちこちに食を乞い歩かせたこともある。
 ときにはわたしを神々の国に生まれさせ、栄華の夢に酔わせたこともあるが、また地獄 の火で焼かせたこともある。
 愚かな心よ、おまえはわたしをさまざまな道に導いた。わたしはこれまで、常におまえに従ってそむくことはなかった。 しかし、いまやわたしは仏の教えを聞く身となった。もはやわたしを悩ましたり、妨げたりしないでくれ。どうかわたしが、 さまざまな苦しみから離れて、速やかにさとりを得られるように努めてくれ。
 心よ、おまえが、すべてのものはみな実体がなくうつり変わると知って、執着しゅうじゃくすることなく、 何ものもわがものと思うことがなく、貪むさぼり、瞋いかり、愚かさを離れさえすれば、安らかになるのである。
 智慧の剣をもって愛欲の蔓つるを断ち、利害と損得と、たたえとそしりとにわずらわされる ことがなくなれば、安らかな日を得ることができるのである。
 心よ、おまえは、わたしを導いて道を求めることを思い立たせた。ところがいま、どうしてまたふたたび、 この世の利欲と栄華にひかれて、動き回ろうとするのであるか。
 形がなくて、どこまでも遠く駆けてゆく心よ。どうか、この超え難い迷いの海を渡らせてくれ。 これまでわたしは、おまえの思うとおりに動いてきた。しかし、これからは、おまえはわたしの思うとおりに動かなければならない。 我らはともに仏の教えに従おう。
 心よ、山も川も海も、すべてはみなうつり変わり、災いに満ちている。この世のどこに楽 しみを求めることができようか。教えに従って、速やかにさとりの岸に渡ろうではないか。」
(167〜169ページ)

 どうでしょうか。覚りを得るということは心の動きが静まり、何事にも動じなくなるといったイメージがあるかもしれませんが、 実はここで言われているような、自分の心が持つ怠惰で勝手気ままな性質、無関心や無気力に落ち入りがちな傾向との、絶え間ない 闘いの面もあるのです。
 そうして、自分の心を励ます導きの糸を仏の教えに見出し、それを持続させていくことが大切なのです。

                                 2010/04/22

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